01

バレンタインデーなるものがある。学校内はその独特な雰囲気に包まれていた。はるとは女子生徒たちから見える花の残像にふっと微笑みながら今日最後の授業の準備をするべく机から教科書を取り出していると、自分の前に誰かが立つのが分かった。誰かなと思い顔を上げると、そこに立っていたのは谷元だった。はるとは思わず目を丸くしてしまったが、次の瞬間には笑みを浮かべて谷元に「どうしたんですか?」と答えた。
谷元は、じっとはるとを見つめたかと思えば、「あー…」と声を出して言いづらそうな雰囲気を出している。―― 教室内に、桃矢と雪兎の姿がないことは、魔力でわかっていた。担任教師に、用事で呼び出されていたのだ。それも二人一緒に。「一緒に行くか?」と誘ってくれた桃矢の心は理解していた。高確率で自分が一人になると、彼が…谷元が近付いてくることがわかっているからだと。それでも、呼び出されてもいない自分が、一緒について行くことは申し訳なくて断ったのだ。桃矢は納得いかない表情をしてはるとを見つめていたが、「…絶対に、近付くな。笑顔も見せるんじゃねえぞ」と誰にとは言わずに告げて困り顔の雪兎と共に教室を後にした。
桃矢は、妹だけでなく友人にも過保護だなあと不機嫌そうな桃矢の後ろ姿を思い出してはるとが小さく目元を緩ませていると、谷元が「あの、さ…一緒に、バレンタインデーのチョコ…買いに行かないか…?」と頬を赤らめながら告げたので、はるとは首を傾げた。

―― 何故、自分にそんなことを…?と思ったはるとは、谷元から溢れる気を探った。人間の感情に左右されやすい自分を守る行動だった。この目の前の人物が何を考えてそう言ったのか、知ろうと考えたのだ。…しかし、彼の気を感じてみても、照れや羞恥の気持ちが強く見られるだけで、この間感じたような≪少し他と違った気配≫がわからない。
しかし、桃矢からも二人になるなと言われているし、はると自身も、谷元と二人きりになるなどもっての外だった。

―― 断ろう

はるとがそう決めて口を開こうとした瞬間に、強く、重い魔力が背後で自分を守るように包んだ。そして優しく穏やかで、あたたかい魔力も。はるとは、告げようとした言葉を言うのを止めた。もう、自分が言わなくていいことだと思ったのだ。

「おー、谷元。どうしたんだ?はるとの机の前にぼーっと立ってよ」
「谷元くん、今日は話すの初めてだね!」

はるとの両脇に、まるで守るように桃矢と雪兎が立った。雪兎はふわふわと優しいままだが、桃矢からはぴりっとした魔力のざわつきが伝わってきた。谷元は、桃矢の表面的には変わらぬ態度に「い、いや…ちょっと相談をな」と照れたままに告げた。「チョコ、一緒に買いに行かねーかって…誘ってて、さ」と視線を彷徨わせながらそう続けた言葉に、桃矢がぐっと拳を強く握り締めた。

―― お前には、絶対こいつには近付けさせねえよ

「悪いな、はるとは俺とバイトだ」
「バイト…?」
「ああ…はると、お前早く言えば良かったのに、言わなかったのか?」
「あ、いや…」
「まあ、お前優しいからな」

ぽん、と軽くはるとの頭の上に手を置くと、そのまま優しく柔らかい黒髪を味わうように撫でた後、谷元に小さく笑みを浮かべて「そういう訳だ、悪いな谷元。チョコは自分で探しに行ってくれ」と告げると、谷元はぎりっと唇を噛み締めた後「そう、か…じゃあ、また誘うことにする」と去って行った。
その瞬間の谷元の表情を、桃矢に頭を撫でられて下を向いていたはるとは見ていなかったが、見なくても、気配でわかった。あの時に感じた、重い気配だ。近寄ることを戸惑うような、あの…闇のような。

桃矢が、ビクリと肩を震わせたはるとに気付いて、大丈夫だというようにそっと肩を軽く抱くと、自分の方へ少し傾けた。桃矢の大きな手のひらから伝わるもう馴染んできた魔力の質に、はるとはほっと安心して細く安心するように息を吐いたのだった。それを雪兎が、優しげに包み込むように、溶けるような笑みで見つめていた。
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