01

「雪兎は髪を切るのも上手なんですね…」
「ふふ、そんなことないよ」
「ゆきは器用だからな」

春の風がはるとの魔力と馴染んで喜びを表している様子に和んでほっと息を吐きながら、はるとは桃矢の髪を切る雪兎を見つめて微笑んだ。雪兎の白く透き通るような指先が、桃矢の髪に触れながら慣れたようにはさみを入れて切っていく。はらはらと落ちてゆく桃矢の黒い髪をしばらく見ていたが、はるとは春の匂いの中に何か違うモノを感じて、ふとそれを追うように瞳をそっと細めて、魔力を舞わせた。
喜び賛美するかのように、周りの花々や桜が、はるとの白い頬をするっと撫でるように掠めて風に流れていくのは、俗世と切り離されたような神聖さがあった。さらさらと周りの風や花に魔力を注いでいくが、中々掴むことが出来ない。はるとが焦れたように小さく片眉を顰めると、「ただいまー!買い物してきたよ。日曜日だから商店街のパン屋さん安かったよー」とさくらの元気な声がして、はっと目を開いた。―― しまった…ここには桃矢がいるんだった…不安を感じさせてしまっただろうか…と桃矢の方を見るが、桃矢に特に変わった様子は見らせなかった。……髪を切ってもらうことに集中していたのかもしれない。良かった…とはるとは「お帰りなさい」と散髪中で動けない桃矢の変わりにさくらを迎えている雪兎の声と、さくらの嬉しそうな声に耳を傾けながら優しい笑みを浮かべた。
――…その後の桃矢のじっと探るような視線に、はるとは一つも気付いてはいなかった。

雪兎と庭にやってきたさくらに、桃矢は「ごくろーさん」と告げ、はるとは「こんにちは、さくらちゃん。お邪魔しています」と頭を下げた。「はるとさん…!こんにちは!会えてすっごく嬉しいです…!…お兄ちゃんは、なにやってるの?」とさくらが近付いてきたので桃矢が「ゆきに髪切ってもらってたんだ」と前髪を指先で触りながら答えると「ええ!?」とさくらが顔を赤く染めた。雪兎は「遊びに来たついでに」とまたはさみを持つと「もうちょっと下向いてー」とまた髪を切り始めた。
「はい、おわり」と切った髪を払いながら告げると桃矢は「さんきゅ」と短くお礼を述べると「茶でもいれてくる」と部屋の中に在歩き始めたので、はるとは手伝うことにした。背後では、羨ましそうに眺めていたさくらに、雪兎が「さくらちゃんも切る?」と聞いているのが聞こえて、さくらちゃん嬉しいだろうな、とはるとは口元を緩めた。

▽△

「悪いな」
「いえ、お手伝いできることがあって良かったです」

キッチンでお茶の用意をするために、ヤカンにお水を入れたのを火にかけていると、桃矢がぽんっと徐にはるとの頭に手を置いた。それに目を丸くして「…桃矢、どうしたんですか?急に…」と不思議そうな表情で小さく首を傾げた。桃矢はそのまま、はるとの手触りの良い黒髪を優しく梳きながら、ややあって口を開いた。

「……お前、さっき何か探してた、か?」
「っ…え、」
「…俺には、言えそうにないか…?」
「桃矢…?」

―― 気付いて、いたのか…と、はるとは音も無く、小さく息を噛んだ。桃矢はやはり、聡い。でも、魔力のことに関して大きく踏み込んで聞いては来ない。俺が言わないから、言わないでいてくれるのだ…それでも、こうして俺を心配して、俺が嫌だと思わないかを探りながら聞いてきてくれるその優しい言葉と表情に、はるとは思わず胸を熱くしてしまった。歩み寄って、傍に近付いてきてくれるのが嬉しいのに…俺はまだ、全てを桃矢の前でも雪兎の前でも曝け出すことが出来ない。ついこの間は、繋がっている気がして、喜びを感じていたのに…すぐに憶病になってしまう。はるとはぐっと唇を噛み締めて目を伏せると、お湯が沸いたのでヤカンの火を止めながらも自分の情けなさに苛立ったが、それを諌めるように、桃矢の指先がはるとの唇を撫でた。

「…切れちまうぞ、噛むな」
「っあ…」
「悪かった…けど、心配なんだ…お前は、一秒もほっとけねぇ…この間の、谷元の件も含めて、な」

桃矢のあまりにも切なそうな、苦しげな声音にはるとが顔を上げるが、桃矢の表情を窺い知ることは出来なかった。引き寄せられたからだ。桃矢の優しく力強い魔力が、じんわりと触れ合う肌に馴染み交わっていくのが分かった。桃矢は無意識に魔力を溶け合わせているようで、一層深く顔を体に押し付けられてしまう。息がしづらくなり苦しくなってきたので、顔だけでも離してもらおうと「っとー、や…!苦しい、ので…少しはなれ…!」と掠れた声を上げると、少し腕の力を抜いてくれたが、まだ完全に離してはくれないらしかった。静寂の中に、桃矢とはるとの鼓動がとても大きく聞こえているような気がした。

「約束しろ…何かあったら、俺に必ず初めに言え…」

まるで願うようにそう密かに告げる桃矢に、はるとは目を細めた。嗚呼、触れ合っている桃矢の魔力のなんとも甘美で洗練されたことだろうか…ほうっと、安堵と包まれるような心地良さにはるとは頷いていた。

「ありがとうございます、桃矢…とても嬉しいです」
「っ…」

嬉しそうにそう答えたはるとに、桃矢はやっと体を離した。そして数回頭を撫でて「待ってる」と目元を緩ませてお茶の準備を始めた。はるともコップとお盆を用意して桃矢の少し照れた様子に、にこにこと微笑みを浮かべた。
二人でお茶を持って行くとさくらがそれはそれは嬉しそうな蕩けた表情で雪兎に髪を切ってもらっていた。
「それ終わったら大掃除だぞ。夕が暮れる前にやらんと」と言う桃矢に「なんでもする〜もうなんでもいい〜」と答えるのが可愛くてはるとは笑った。「僕も手伝うよ」と言う雪兎に「私も手伝います」と桃矢の腕にぽんっと優しく触れた瞬間、先程追っていたモノが近くに感じてはるとは、すぐに周りの景色を見るが、変わらない風景があるだけだった。

「この強い力……」

はるとの呟くように小さな言葉は、風に遊ばれて誰にも聞こえることはなかった。
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