奪われたのだ

「昴さんがいてくれて、本当に助かったよ!」

コナンは、にっこりとした微笑みを隣を歩く青年、昴に向けた。学校帰りに事件に遭遇し、刑事の高木から詳細を聞いている途中に、昴が通りかかったのだ。気になった昴も捜査に加えて事件を解決へと導いたコナンは「昴に話しておかなきゃいけないことがあるんだ」と告げると、高木に手を振って昴と歩き始めた。

商店街を歩きながら、昴が「それで、話とはなんです?」と聞くと、コナンは苦渋を滲ませながら「…組織のことなんだけどさ」と口を開いた。信号で止まり、車が二人の前を通り過ぎていく。二人の他に、信号待ちをしている人はいなかった。

「実は、結構前から…毛利探偵事務所に身を寄せている人がいるんだ」

昴が、僅かに身じろいだ。

「ホー…」
「その人は、とても狡くて浅ましいことをした自分を恥じて悔いて、組織を抜けて…僕と出逢った」

信号が、青に変わった。コナンが先に歩き出し、昴はそれに着いて行く。商店街を抜けて、閑散とした住宅街を進んでいると、賑やかな子供の声が聞こえて来た。近くに公園があるらしい。

「…一番最初は警戒したし、どうやって組織の情報を引き出してやろうって色々考えたんだけど…灰原が、あいつが…傍に走り寄って抱き締めたんだ」

コナンが、公園の遊具が見える所まで来て、立ち止まった。この家の角を曲がれば、すぐに公園がある。車が止まっているらしく、車体の一部が少し見えていた。
コナンが、ゆっくりと言葉を吐き出した。

「…僕、その様子を見てさ。―― 灰原と同じで、守ってやらなきゃって思ったんだよ」

すっと、角から一歩踏み出したコナンに、声が掛けられた。近寄ってくる足音が、一つ。…何処かで嗅いだような、紫煙の薫りが昴の鼻腔を擽った。警戒しつつも、その青年の顔を見た瞬間、昴は目を見開いた。翡翠の光彩が、しっかりと彼を映していた。

「おいこら!お前ここに来んの遅すぎだろーが!ガキどもから、おにーさんもいっしょにあそびたいのー?とか聞かれただろ!」
「名前!…わりーわりー!ちょっと、事件にあっちまって」
「お前はほんと事件に会いすぎだろ…つーか、俺も呼べよ」
「おめーを呼んじまったら、高木刑事が怯える」
「あの人まじ性別男?佐藤刑事の方が男前だよな〜そんで美人」

嗚呼、懐かしい。その声、その表情、その口調。そして、彼が手に持っている煙草。全てが、間違うことなく彼本人であることを示していた。昴が目を細めて、口元に小さく笑みを浮かべた。
―― また、お前に会えようとは。

「……なあ、コナン。この男、誰?気配なさ過ぎて怖い」
「ああ、この人は新一兄ちゃんの家に住んでる、大学院生の冲矢昴さんだよ。一緒に事件を解決してくれたんだ」
「…工藤新一の?へえ〜…」
「昴さん。こっちは名字名前。僕と同じで毛利探偵事務所に居候してるんだ!」
「そうなんですか。初めまして、冲矢昴です」
「はあ…ヨロシク」

名前がそう答えて、自分の目の前に差し出されている昴の手を一瞥すると、触れる程度に握り返してすぐに手を引っ込めた。そうして、ふ、と柔く紫煙を吐き出した口が、不機嫌そうに歪められた。じっと昴を観察するように眺めてから、鼻を鳴らすと煙草を携帯灰皿に捨てながら「早く哀んとこ行くぞ、コナン」と歩き出そうとするので、コナンが慌てたように「おい…!」と告げた。

「…こいつ、オキヤさん。なーんか…ライ…あー、赤井秀一に似てて、やだ。顔が似てるとかじゃねーから。雰囲気な。フンイキ」
「っおめー、赤井さんのこと嫌いなのかよ…!」
「いや、逆。俺ライのことは気に入ってた。結構好きな方」

昴が、は、と息を詰めた。組織に潜入していた時に出逢った彼は、自分に逢うといつも不愉快そうに表情を歪めていたからだ。…嫌われていると思っていた。

「あいつが組織にいた頃は、すれ違ったりしててさあ。いっつもすまし顔つか、顔色変わんねーの!バーボンに睨まれようが、スコッチに笑顔で話しかけられようが。流されないっつーか、そんなとこ気に入ってた。けど、あいつのあの端整な顔!まじ妬ましい…!俺いっつもベルモットに「その凡庸顔どうにかしたら、相手してあげるのに…」とか言われて…!だから、あいつに会った時は、嫌そうな顔してやろうって息巻いてた」
「は…はあ?」

コナンが呆れ顔で名前を見た。名前はそんなコナンの様子に慌てたように「いや、違うからな!ベルモットに興味ねーからな。あの女の相手してたら、命いくつあってもたんねーし…すげえ美人だけど」と苦虫を噛み潰したような表情をしてコナンの両肩に手を置いて真面目な視線を向けている。「いやそこじゃねーよ…」とコナンは溜息を吐いた。

「つーかさ、このオキヤさんの前で組織の話してもいいのかよ」
「昴さんは気にしないでいーよ」
「…そんな緩くていいのかよ…俺、ジンに粘着質抜群に追われてるんだけどな…」

そう言って、笑みを滲ませてコナンの髪の毛をぐりぐりと撫で繰り回した。「ちょ、おい…!」とコナンが嫌がる。それを見て口を開けて笑った名前は、立ち上がると、懐かしそうに目を細めた。「まさか、」と重たそうな声音で告げる。

「まさか、こんな風になるなんて思わなかった。先の事は本当に分からないな…ライがワンコだって知った時も…妙に安心しちまったくらいだったから…あいつと…明美は、一緒だと思ってたんだ。いや、これで…本当の意味で一緒になれんのかもって。…明美はあんまし組織に関わってはなかったし…ジンも、明美には無頓着だったから」

ジンが、明美の命まで狙うって…思っても見なかった。と名前は静かに息を吐くと、コナンをぎゅっと抱きしめた。そして、幼いコナンの手を握り締める。ポケットから車のキーを取り出してボタンを押しながら、昴にもう一度目を向けた。やはり、その表情は歪められている。

「…俺たち、今から博士んとこ行くんだよ。…オキヤさんも徒歩なら乗れば?…コナンが信頼置いてんなら、一緒に来てもいい」

俺の周り、バーボンといいライといい…スコッチといい、イケメン多すぎだよなあ。と悔しげに呟いた言葉が、昴にもコナンにも聞こえた。コナンはそれに肩を震わせて笑いながら「赤井さんが聞いてたらどうする?」と告げた。名前が真面目な顔で「恥ずか死ぬ」と答えた。「つか、あいつ死んだって聞いてるから、一人減ったな」と少し寂しげに言葉を続けた。「もし、生きてたら?」とコナンが問うので、名前は眉を寄せてしばし考え込むと「どう考えても、恥ずか死ぬ」とこれまた真面目に答えたので、次はコナンだけでなく昴も小さく笑い出した。名前が笑われたことに腹を立てるように「んだよ!二人して笑うな!」と怒るので、昴が「すみません」と謝った。

「…赤井という男はあなたの表情を見る度に、嫌われていると思っていただろうなと。まさか、本当は気に入られていて、会うたびに表情を歪めていたのが、そんな理由だったと知れば、あなたのことをそれはそれは可愛らしく感じただろうな、と」
「げっ…あいつが可愛らしく感じるような男かよ…」

名前が身震いする様子に、コナンだけがにやにやしながら「あーあー、赤井さんに聞かしてやりてーなー」と声高らかに告げて昴を盗み見ていた。昴は、コナンからの視線を感じて、ふっと微笑むと「そうですね、聞かせてやりたいです」と名前に一歩近付いた。

「ん?一緒に来んのか?」
「ええ、今度は…長い事一緒にいれそうですから」
「?」
「好かれてたってわかったしね」
「?」

意味わからん、という表情の名前を置いて、二人は分かり合う。そして、コナンが名前の手を引いた。

「博士んとこ、早く行こうぜ!」
「なんっか、気に食わねー」
「では私も、お言葉に甘えて送っていただきましょう。よろしくお願いしますね…名前さん」
「……ちょっ…と、待て。名前で呼ぶな!名字で…名字って呼べ!」

いいや、呼ばせてもらおう。君の本当の名を…やっと知ることが出来たんだからな、と昴は名前の柔らかい髪を優しく撫でると、車に乗り込んだのだった。

「っく…!イケメンなんか…!イケメンなんかなあ…!」
「名前、早く運転席に乗って」
「〜〜〜っ分かってるっての!」

名前は喚くようにそう返すと、運転席に乗って車を発進させたのだった。

▼▲

「っジン!あんた、正気か…!?なんで明美にあんなこと…!っ命まで奪うことなかっただろう!」
「ロゼ…お前は考えが甘すぎる」
「…シェリーのたった一人の、家族だったんだぞ…!」
「だからどうした」
「ジン……俺は、あんたに目をかけてもらってたけど…俺はあんたのように…卑劣には、なりたくない…」
「…何が言いたい」

ロゼが、それまで伏せていた顔を、上げた。

「――― 俺は、組織を抜けさせてもらう」

ジンが可笑しそうに笑った後に暗く微笑むと、ロゼの細い首筋を掴んで荒く自分に引き寄せた。ロゼの呼吸が、急な圧迫に乱れる。
ジンが、ある感情を宿した冷えた瞳をロゼに向けた。ロゼはただただ、呼吸を探す。

「抜けられるってんなら、抜けてみろ。だがなァ……俺から、逃げられると思うな」

―― お前だけは殺さねえし、逃がさねえだろうよ。