05
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 よく晴れた朝だ。澄みわたった空の真上は、青というよりも白っぽい、光をたっぷりふくんでいる。目を遠くに向ければ、はるかに連なる山々が見えて、その上に出ている空ばかりは真っ青だ。

「あぁ、快晴ね、いやになっちゃう」

 普段なら、そんな意味のない泣き言をもらす人ではない。だが今日ばかりは、文句を言いたくもなるだろう。
 ひらひらとした白いスカートから、ふたたびスーツ姿に戻ってしまった姉を慰めるため、イヴァンはずっと側に佇んでいる。俺は少し離れたところで、丘の下から向かってくるはずの車を待っていた。

 昨夜、夕飯の席に着いたと同時に、またも電話で呼び出された彼女は、スープがすっかり冷めたころ、泣きださんばかりの表情で戻ってきた。不測の事態が起こって、どうしても出社しなければならないという。

「ほら、来たぞ。あれだろ、迎えの車って」
「うう、イヴァンちゃん、夜には連絡してね。声を聴かせてくれないと、お姉ちゃん頑張れないから」
「分かってるよ、忘れないから、ね? そんなに悲しい顔しないで、姉さん。お仕事が終わったら戻ってこれるんでしょ?」
「そうしたいけど、どれくらいかかるか分からないわ」
「イヴァン、荷物もってやれ」
「うん。ギルくん、ドア開けて」
「あぁ、二人とも、最後にもう一回だけハグさせて」

 ずっとこんな調子で、大変だった。おかげで昨日はイヴァンと話をするどころでなく、ずっと三人で夜更かしして、あまり睡眠もとってない。

 俺はすっかり同情もし尽くして、迫力のある胸に抱きしめられても、もはや照れることもない。アクビをかみころすだけだ。

「あーもういいかげんにしろ、日が暮れる。イヴァン、荷物、それで全部か? トランク開けてもらえ」
「……うん」

 さっきから、まったく目が合わない。俺の気のせいだろうか。指摘するのも面倒で、俺は車の反対側に回り込み、ドアを開けてやった。

「高いヒールだな、足元、気をつけろ」
「何かあったの?」

 彼女はもちろん、俺達の様子に気づいていて、ひっそりと耳打ちをしてくる。

「……何かあったな、たしかに。でも心配しなくていい。仕事、あんまり頑張りすぎるなよ」

 白い手を差し出されたので、そっと繋いだ。こんなに細い腕が、大きなものを背負っているのだと思えば、あたたかさが沁みた。俺は、できるだけ優しく、きゅっと力を込めてから、その手を離した。

「仲直りしてね、あの子、本当にさみしがりやなの」
「……分かってるんなら、もっと側にいてやれないのか。家族だろ」

 つい口に出してしまう言葉と、彼女を尊敬する気持ちとは相反しない。仕方がないことは分かっている、出来るものなら、とっくにそうしているだろう。それでも、どうしても言っておきたかった。何と返されるのか、聞いてみたかったのかもしれない。

「……血が繋がってるからこそ、埋められない孤独もあるのよ……逆に言えば、繋がりがないからこそ、強く呼び合えることもあるの」
「俺には分かんねぇな」
「それは、うそね。ギルちゃんには、よく分かってるはずよ」

 光でいっぱいの空と、彼女の瞳を見比べる。昨日、感じた通りだった。曇りのない、さっぱりとした青だ。

「……俺も、電話する」
「ありがとう、じゃあね」

 日差しに熱された砂利道を、タイヤが踏んでいく爽やかな音が、いつまでも耳に残った。遠ざかる車を見送りながら、俺は横目にイヴァンを見る。

 ぼんやりと、何かが抜け落ちたような顔をしている。感情の色が薄い瞳は、朝日を浴びて、さらさらに乾いていた。まだ育ちの途中にある横顔に、もう知り尽くした諦念のようなものが混ざり、きらきらとした寂しさに包まれている。

 俺は見惚れそうになるのをこらえて、いつまでも見送り続けるイヴァンに、声をかけた。

「いいのかよ、行っちゃうぜ」
「ん? だって、仕事ならしょうがないよ。姉さん本人がいちばん残念がってるし。お仕事、大丈夫かな」
「姉さん≠ヘこの際どうでもいい、俺はお前のことしか言ってない。お前自身は、これでいいのか? 一言くらい、本音を言ったっていい、寂しいんだろ」
「……さみしくないよ」
「……それ、俺の目を見て、ちゃんと言ってみろ」

 両手で頬を挟み、無理矢理にこちらを向かせた。次の瞬間、俺は思わず、うっと声を失くす。

 さみしい、さみしい、さみしい――。

 表情の奥に、隠された気持ちが、ぐるぐると渦巻いているようだった。眉を下げ、うつろな目をしたまま、おとなしく俺を見つめている。いや、どこも見ていないのかもしれない。

 こんなになるまで我慢して、どうして認めないんだ。憤りをこめて睨みつければ、イヴァンは口元だけで笑みをつくる。

「君がいるから、さみしくないよ」

 嘘もろくに吐けないくせして、強がるな。

 そう言ってやることは簡単かもしれない。でも俺には、その後どうすればいいのかが、まだ分からない。どうしたらイヴァンを元気づけられるのか、分からなかった。

「……もういい、悪かった」

 手を離せば、ほっとしたような息をする。イヴァンを追いつめたいわけではないのに、いつもこうだ。謝るよりもきっと、楽しいことをした方がいいと思って、腹から明るい声をだす。

「どこか行くか、いい天気だから。そうだ、昨日は途中で俺がリタイヤしちまったからな。たしか、あっちの丘の向こうだっけ、なにか、」
「僕、今日は部屋にいるよ」

 俺の言葉を遮るように、平静をとりつくろった声がした。

「は? なんで」
「……ちょっと、読みたい本があるから」
「……ふぅん、じゃあ、俺も勉強する」



 イヴァンが見せた拒絶を、この時の俺は、あまり深刻に考えなかった。ちょっときつく睨んでしまったから、気まずいのだろうと。一緒にいてやれば、そのうち向こうから甘えてくるだろうと、まったく気楽に考えていた。

 しかしその予想は外れて、ホテルの図書室に移動した後も、イヴァンはほとんど口を開かなかった。

 話しかければ、答えはする。だが、会話が続かない。俺は勉強がはかどるわけもなく、イヴァンも同じようだ。視線は本に注がれていたが、目が文字の上を滑っているだけだと、はっきり見てとれる。どこか、ずっとうわの空だった。

 午前中を、そうやって気まずく過ごした。イヴァンは昼食もはかどらない様子で、水ばかり口にして。食事が終わると、眠いと言って自室にひきこもってしまい、俺はすっかり途方に暮れた。

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