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「兄さん、眠れないのですか」
夜が暗ければ暗いほど、家のなかが明るく思える、灯りがどんなに小さくても。
みんなが寝静まってから、卓上灯をつけてペンを握るのが、僕の習慣になっている。
「ううん、眠らないの」
「新しい、作品ですか」
「……よく分かるね。恥ずかしいから、まだ誰にも言ってなかったのに……」
きっとこの子は、僕のことを、僕よりもよく分かっている。リボンのかかった真新しい本は、両親の笑顔を飾った写真立てと、並べて置いてあった。
「兄さんのことなら、なんでも分かります。兄さんが、好きだから……、」
「……どうして、泣くの」
「私は、私には、時間が足りません。兄さんより早く生まれてくれば良かった。あなたを守ってあげられれば良かったのに」
どんなにがんばっても、年齢の差は埋まらないから、いつまでたっても僕を守れない。そう言って、妹が泣いている。
僕は静かに首を振る。夏の夜でも、ひんやりとしている頬をさすってあげた。指先に優しい涙が触れると、僕も優しい気持ちになれる。
「離れたら、少しだけ、兄さんのことが分からなくなりました」
「……誰でも、少しずつ変わっているからね。ナタも、すごく、きれいになった」
聡明さは、泣いている顔をくすませることなく、澄んだ輝きに近づけていく。この子の美しさは、薄く張った氷みたいだ。冷たく見えるのは、青く澄んでいるから、ただそれだけ。春に花咲くための水がにごらないよう、守っている氷のように、賢くて、優しい。
「たくさん勉強して、早く大人になりたかった。でも、兄さんはもう、ひとりで歩いて行くんですね」
「ぼくは、自分で自分の人生をつくる人間に、なりたいんだ。……ねぇ、早く大人にはならないで、寂しいよ。もっと、顔をよく見せて」
よく見せてと言ったのに、ぎゅっと抱きつかれた。悲しませたいわけじゃない、だって僕は悲しくない。嬉しいのは、彼女が僕に似ているからだ、僕と同じように、強くなりたいと願っているから。妹と自分とが、あんまり似ていて嬉しくなると、ふっと寂しくもなる、なぜだろう。
「兄さん、私の知らない人に、ならないでください、どこにも行かないで」
「ナタ……君の優しさは、どこからくるんだろうね。僕は、君の優しさを通して、この世界の優しさに触れてる気がするよ。天国の母さんよりも、もっと遠くから、君の優しさは生まれてくるんだと思う。僕はいつか行かなきゃいけない気がするんだ、そこへ……、それを、書きたくて……今日も夜更かししちゃった」
「ひとりで、ですか? いやです、私は、どこか遠くになんていません、私はここにいます」
「うん……。ナタ、同じほうを向いていよう。きっと見つめ合うよりも難しいけど、できるかい? おんなじ光景を見て、『きれいだね』って言い合いたい。離れていても、同じものを見て、一緒に歩いていよう」
ぽろぽろ、こぼれる雫は冷たく見えて、とてもあたたかい。
「……だいすきだよ、君は僕の大切な人だ」
腕に抱いた妹を、そうっと撫でた。長い髪先へ指が届く前に、彼女はこくんと頷いてくれた。
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