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 俺たちはあの日も丘で待ち合わせて、森の探検にでかけた。森は広く、知り尽くすということがない。やっとここの暮らしに慣れたと思っていたのに、季節が変わればもう別世界だ。

 夏の終わりを惜しむ暇もなく、ある朝、目が覚めたら、もう風が変わっていた。この澄みきった空気の、いったいどこに色があるのか。風が触れた先から、木々は紅葉に染まっていった。

 一緒に山を歩いて、森の変化を訪ねていく。目で、耳で、肌で感じる季節の気配に、イヴァンはいそいそと落ち着かない様子だった。

「いっぱい食べなきゃ、いっぱい! ねぇギル、甘いのと甘くないのだったら、甘いのがいいよねぇ」
「なんの話だよ」
「ブドウだよ! あれはね、花の色では分からないんだ。食べてみるまで分からないんだよ」
「ぷっ。食いしん坊だなぁ、お前は」
「冬のぶんも食べておかないと、いっぱいね! はやくはやく、急ごう」

 そう言いながらも、あっちへこっちへ鼻先を向ける。本当に食べ物を探しているのか、ただ散歩を楽しんでいるようにも見えるけれど。

 いや、やはり普段と比べれば、どこか気が急いているように見える。きっとクマの本能なのだろう、冬に備え、いっぱい食べなければ、と、繰り返し言うのだった。

「もうちょっと、右、右……ちがう! そっちは左だろ、ふらふらすんな」
「だって重いんだよぉ、ギルったら、どうしてそんなに大きくなっちゃったの?」

 探していた山葡萄を見つけ、ふたりとも浮かれてしまい、さっそく穫ろうという話になった。

 それはたしかに、この秋の最初の実りだった。もっとたくさん実がつけば、枝は重くなり、地面へと垂れ下がってくるだろう。なにも今すぐに穫る必要はない。
 だけど俺たちはどうしても、今すぐに、その葡萄を食べてみたかった。ひとつぶだけ、ひとくちだけでもいい。

 肩車をしてもらって、頭上の果実に手をのばす。イヴァンの足はふらふらと頼りなく、俺はふわふわの頭にぎゅっとしがみつく。

 蜜色が、光に透けて真っ白になる、イヴァンの柔らかい髪。葡萄の甘い匂いに誘われるのか、俺のすぐ目の前を、きらきらした羽虫たちが飛んでいる。
 細かく震える音が、耳に心地いい。羽の音に耳をすませて、緑の天井からこぼれる日差しに、思わず目を細めた時だ。

「あっ」

 きらきら、一対の羽が、イヴァンの頭に止まろうとした。

「あっちいけ、そこは俺の場所!」
「イタッ。なに、なんで叩くの?」

 ぱしっと叩いて虫を追い払うと、頭をはたかれてイヴァンが痛がる。
 俺はけらけら笑って、しがみつくフリで、大好きな髪に顔をうずめた。日当たりの一等地である、ふわふわを堪能する。くすぐったくて気持ちがいい。

 うん、ここは俺の場所だ。このくすぐったさも、おひさまの匂いも、今は俺だけのもの。

「ギル、どうしたの? がんばって、はやく〜」
「……へいへい、せかすなよ、あと少し右だ……ん、とれた!」
「ほんと? いっぱい穫れた?」
「んぅ、あんまり甘くないなコレ」
「あっ、ずるーい! ぼくにも!」

 先につまみ食いをしていたら、慌てたイヴァンが声を上げ、急に頭をふる。

「おい暴れるな、動くなって! 落ち、うわっ」
「わぁっ」

 バランスが崩れ、辺りの景色がぐるりと回り、ふたり仲良く地面に倒れた。とっさに反応し、着地できた俺とは違って、イヴァンが硬い土に打ちつけられる音が、したたかに響く。

 さあっと血の気が引いた。けがをしていないか、すぐに様子をうかがう。

「イヴァン! おい、大丈夫か? 痛かっただろ」
「……ふ、」
「笑ってんじゃねえ、頭も打ったのか?」
「あは、あはは」

 ころん、と寝転がり、何が面白いのか、笑いが止まらない。ますます心配になって顔をのぞきこめば、ぐっと近くに引き寄せられる。

「ギル、大丈夫だよ。ふふ、君はすばしっこいねぇ」
「お、お前がのろまなんだろ」
「ちゃんとブドウも落としてないし、おかしくって」
「あれ、ほんとだ」

 俺の手のなかには、ちゃんと山葡萄の枝があった。さすが、身軽な俺様だ。

「ね、僕にもちょうだい?」
「ん? あぁ、そうだな」

 きゅうっと抱きつき、期待に満ちた目で見つめてくる。あたたかい体温にはあらがえない。俺はイヴァンの体に乗りあがった。
 というか、こいつは簡単に腹を見せすぎだ。俺たちウサギだったら考えられない。いつもそうやって隙を見せて、俺をなんだと思っているのか。

 イヴァンは子どもみたいに目を輝かせ、俺の手から食べさせてもらえるものだと、信じて疑わないようだ。なんだかもう、深く考えても仕方ないと思えてくる。

「ほら、いっこ」

 あー、と開いて待ちかまえた口に、手ずから食べさせる。指がわずかに触れた唇は、ふわふわだった。

「ん、」
「……な? 甘くないだろ」
「……ほんとだ、美味しくないや、あはは」
「ぷっ、なんで笑うんだよ」

 言いつつ、俺も一緒になって笑ってしまう。

 いろいろ失敗したけれど、ふたりで食べた最初の秋は、ゆっくり体に沁みわたっていく。

 さんさんとした光が浮かびあがらせる、山野の風景はのどかだ。びっしりと苔でおおわれた倒木も、柔らかな緑を光らせているから、あたりかまわず触れてみたくてしょうがない。

「ギル、もういっこ」
「まだ食べるのか? ほら、ぜんぶやる」
「うん」

 なんだか離れがたくて寄り添ったまま、欲しがられるままに、指から葡萄の実を与えた。もっと甘い実じゃないと、お前の栄養にはならないだろうに。

「……こんなとこで、ごろごろしてて、いいのかよ。いっぱい食べて、冬に備えないとだろ?」
「う〜ん、そうなんだけどね……でも、今日までね、たくさんがんばってきたから、すごく太れたんだよ? ほら、触ってみて」
「……うわ、本当だ。ふっとい首!」

 たくましく成長した首を両手で確かめ、立派な体を実感した。なんて温かいんだろう。すん、と鼻をよせると、日向のにおいがする。

 いつまでも、こうしてはいられない。でも、いい匂いで、あたたかくて。ついつい鼻先をうずめてしまう。

 肌に触れる風は、きんきんと刺すように冷たかった。寒さは待っていてくれない、刻一刻と冬は近づいている。

「ギル、」
「……なんだよ」

 ふわ、と甘い温度につつまれて、気づけばイヴァンに頬を撫でられていた。

「抱っこしていい?」
「は、なんで」
「なんとなく」
「……もう、してるだろ」

 もう、抱きしめてるじゃないか。俺はとっくに離れられなくなって、困っているのに。

「そうなんだけど、もっと抱きしめたいんだ。どうすればいいんだろうね?」

 撫でるだけでなく、白い頬をすりよせてきて、そっと呟く。

「そんなこと言われても……俺も、知らない……」
 
 俺は不機嫌な顔をしながらも、おとなしく抱きしめられていた。喜んではいけない気がした、だって、俺はもう大人だから。小さなウサギさん≠ニして可愛がられるのは嫌なのだ。

 そういえば少し前まで、抱きしめられることは苦手だったのに。たまに本気でゾッとしては、逃げ出すこともあったはずだ。今も苦手には違いないが、嫌がる理由が違う。

 嫌だけど、とても嬉しい。だからこそ困る、こうしていたらいけない気がする。

 頬を撫でられ、胸のなかが甘いものでいっぱいになった。早熟な山葡萄は甘くなかったのに、どうしてだろう。上手く息ができない。

「イヴァン……、」

 おのずと、イヴァンの大きな手を握りしめていた。そして、その手に自分から頬ずりをした。
 どきどきして不安なのに、こうしたい。頭と体があべこべのことをする、複雑だ。

 イヴァンは黙って、俺の好きにさせてくれた。ふたりとも、しばらく無言で、穏やかな日差しを浴びた。

 伏せていた視線を上げる。見つめれば、優しく見つめ返される。なんだか、たまらなく恥ずかしくて、ぐしぐしと頬をすりつけた。手のひらに唇を押しつけ、ぷぅっと息を吹く。

「ギル、くすぐったいよ」
「ん、」

 イヴァンが手をひっこめて、それをきっかけに、俺たちは起きあがった。ぱんぱんと体についた草をはたくのを、一緒に手伝ってやる。

 太陽はゆっくりと、西に傾きはじめたところだ。

「……帰ろうか」
「うん」
「また来ようね」
「あぁ」

 帰り道は珍しくイヴァンが先を歩き、俺は後からついていった。育ちきった広い背中を、ぼんやりと眺めていた。

* * *