V
* * *

 俺は、俺の答えを探すんだ。でも、そんなもの、いったいどこにあるのだろう。

 斜面を駆けて、丘の樅の木を目指す。雪を滑り、転がり落ちるように走った。

 冬の日暮れはあっという間だ、空にはもう星が出ている。星を見上げながら走るうちに、俺は、あの夜の、イヴァンの言葉を思い出していた。

『答えが見つかったら、僕のことを起こしに来てくれる?』
『冬眠ってすごく眠いから、寝ぼけやすいんだ』
『春の話をしようよ。どうしたら、春がきたって分かるんだろうね。……そうだな、花が咲いたら、僕のことを起こしてよ。花が咲いたら、あれの作り方を教えてほしいな』
『あのさ、あれ……花が、輪っかになってるやつ……えっと、なんて言うの? 前に、もらいそこねちゃったから』

 そうだ、たしかそう言っていた。忘れかけていたあの日の記憶を、はっきりと取り戻す。花冠が作りたいと言ったから、春になったら教えてやると、俺は約束したのだった。

 花が咲いたら、春がくる。

 一気に丘を登りきる。樅の木の根元も、やはり雪は少なかった。枝が両手を広げても、遮ることができなかった分だけ、風が運んできた雪がわずかに積もっている。

 息が整うのも待たず、木陰に膝をつく。雪のなかへ、迷わず手を差しこんだ。
 静まりかえった丘に、俺が雪をかく音だけがしている。木陰は暗く、雪も重い。やっと見えた地面も、凍りついている。

 咲いているわけもないのに、花を探していた。意味など、俺自身でも分からない。ただただ夢中で、手を動かす。

 その場を諦めて、腰を上げて少し移動し、また掘った。
 白い雪をかき分けて、枯れ草や落葉を除け、その下に眠る地面を見る。もちろん、どこも凍りついている。眠りを妨げられて、土は少し面食らったようだった。

 体の奥底まで、沁みつくような冷たさだ。爪の先に、土と雪とが混ざり合い、入りこむ。

 せめて、芽のひとつだけでも見つけたい。土の上に何もないなら、地中はと思い、暗い土のなかにまで手をのばす。手がかりだけでも、あればいいのに。

 暖をとるために、時折り耳をつかんだ。手が汚れているから、耳まで汚れてしまう。意識の片隅にはあるのだが、気が急いて構っていられない。

 はぁ、と息を吹きかける。たいして暖かくはなかったが、また移動し、雪をかく。自分がまともじゃないことも、分かっていた。それはほとんど、もがいているような必死さだった。

 ――冬のなかで、もがいて、辿りつく岸辺など見つからずに、それでも探しつづける。なんで、どうして、何もないんだ。

「……っ、ぁ……どうして……!」

 誰もいない、声もない、見えない、聞こえない――。
 なにか、誰か。俺の手に触れてくれ、いっぱいに手を伸ばすから、掴んだらもう離さないから。

 俺が、暗いところから引き上げてやるから。俺の手を、誰か握り返してくれ。

「わっ……?!」

 突然の衝撃に、目をつむる。
 どさどさと頭に落ちてくる、雪だ。樅の木の枝から滑り落ちてくる雪は、たっぷり俺を埋めてから、やっと止まった。

 顔を上げて、頭に積もった雪を振り落す。
 せっかく掘り進めた土は、雪のなかへ、また眠りについてしまった。俺は何も出来なくなり、時を忘れ、その場に佇む。

 しんとした夜の風が、頬を撫でていく。暴走していた心臓も静まっていくが、鼓動が落ち着くと、寂しさでひんやりする。

 しばらく経ってから、汚れた手を、雪になすりつけて土を落とした。のろのろと立ち上がり、ぼうっと宙を見つめる。

 何も見つからなかった。悲しい気持ちもここまでくると、逆に心が鈍くなる。涙も出なければ、痛みも感じない。ぽっかりひらいた空洞へ、風が吹きつけるだけだ。

 気づけばまた、耳をつかんで暖をとっている。とくとくと脈打つのを感じ、その感覚にすがりついた。心細くてたまらず、とうとう耳をかじってみる。にじんだ痛みに、少しだけ、生きた心地がする。

 あぁ、寒いな、もう帰らなければ。帰り道のことを考えると、気が重い。耳に爪をたて、またかじる。

 ひとりの巣穴に帰りたくない。今夜は、イヴァンの巣穴に行ってしまおうか。寄り添って眠るだけ、それだけだから。
 あいつなら、きっと許してくれる。あいつなら、きっと。

 誰かに許してもらいたくて、ふと空を見上げたとき、真っ白な光と目が合った。
 俺は慌てて、耳から手を離す。

 白い月が、凍てついた夜空に浮かび、俺を見つめていた。


 吹き渡る風に、雲はもうない。そういえば、雪もやんでいる。満天の星空だ、透きとおった暗闇に映える光、月が、どこまでも白い。

 まるで、何かを語りかけてくるようだった。どうしてそんなに光る、何を伝えたいんだ。じっと見つめるうちに、俺の心まで透きとおっていく。

「……分かったよ、それは違うって言いたいんだろ……」

 ――月と話すことができたのは、これが初めてだった。

 ぼうっと呟いた声が震えていて、耳に入ってきた響きに、少し驚いた。自分の声じゃないみたいだ。

 会いに行くのを諦めて、仕方なく一歩を踏みだす。樅の木に別れを告げて、東へ、俺の家へと帰るために。

 一歩ずつ、踏みだすごとに、胸が熱くなる。言い様のない気持ちが、熱い衝動がこみあげてくる。月が明るくて、なんだかもう、言葉にならなかった。

 あぁ、と息を詰まらせて、泣きたいような吐息が漏れる。けれどもう泣かない、俺は大丈夫だ、まだ頑張れる。

 心の底が見えれば、そこにちゃんと、行き先が示してあった。寂しさに惑わされずに、やるべきことを、やらなければ。きっと今、自分が試されているのだ。

 かわいそうなウサギでいることが、嫌ならば、自分を好きになりたいのなら、ひとりで歩くしかない。

 研ぎ澄まされた風のなか、俺は星をつかむような気持ちで歩いた。

「……なんだよ、ついてくるなよ」

 優しくされて、気恥ずかしいような、弱さを見透かされて、嬉しいような、妙な気持ちだった。ゆらゆらとついてくる月に、つい素直じゃないことを言ってしまう。

 不思議だ、月と話せたのは初めてなのに、ずっと前から親しくしていたような気がする。イヴァンが言った通りだ、本当に、今がそうだと分かる合図をくれた。きっと、ずっと見ていてくれたのだろう。

 そう思った途端、様々なことが思い出されて、恥ずかしくてたまらなくなる。耳をかじっているところを見られたのが、何よりも痛い。

 おい、絶対、秘密にしろよ! そんな気持ちで睨みつけてみるが、あんまり光が穏やかなので、なんだか気が抜ける。

「巣穴までついてくる気か? ……まぁ、べつにいいけどな」

 月を振り返りながら、雪の上の足跡を見かえした。これが俺の足跡なのか、小さくも大きくもない。

 俺の腕が、冴えた月光に照らされている。黙々と歩きながら、なんだか初めて見るような心地で、銀色の体を見下ろした。染みや汚れを見つける度に立ち止まって、足元の綺麗な雪をこすりつける。

 さらさらとした粉雪が、少しずつ俺を磨いてくれた。凍った川まで戻ってきた頃には、体中ぴかぴかになっていた。

「……、よし!」

 最後の仕上げだと、覚悟を決めて、ふかふかの雪で顔を洗う。

「うへ、ちべたい」

 冷たさに目をぱちぱちとまばたいた時、氷の欠片が瞳に入って、視界も綺麗に透きとおった。これで全て綺麗になっただろうかと、首を傾げれば、空の月もくるりと傾く。

 なんだか面白くなって、ひとりでくすくすと笑ってしまう。
 すると自分の笑い声にまじって、枝を踏むような音が聞こえた。耳をすませて、音がした方向を見る。

 久しぶりに彼らに会えた、白いウサギの群れだ。眠っているような氷の川を、慣れた様子で歩いている。連れ立って、どこかへ行くようだ。もう夜更けなのに、どこへ行くのだろう。

 遠ざかっていく姿は、すでに爪の先ほどに小さかったが、俺はしばらく眺めていた。最後尾を行くウサギは、いつかこの川原で出会った彼女だろうか。と、思っているうちに、そのウサギが振り向いた。

 お互いに、あっ、と驚いたような顔を見合わせる。なんだか気の毒そうにこちらを見る目は、俺のように赤くはない。
 いや、俺がそう思っただけだ。実際には遠すぎて、瞳の色など見えなかっただろう。

 真夜中の川原で、俺たちはわずかな時を共有した。

「行けよ、俺は大丈夫だ」

 自然に微笑んでいるのが、自分でも意外だった。風下にいる俺の声は、彼女に届いただろうか。白いウサギは前を向き、遅れを取り戻すよう、仲間のもとへ小走りに戻っていく。

 また会えてよかった、会ってみれば、簡単なことだった。彼らはたしかに白いウサギだが、でも、銀色じゃない。俺の毛並みとは少し違う、よく似ているけれど、同じじゃない。

 そうだ、銀色じゃない。俺はいいんだ、このままで。


 やっと住処が見えてきて、ほうっと白い息を吐いた。巣穴に入る前に、もう一度だけ空を見上げて、まじまじと眺めてみる。

 夜空から、遠い距離を透かして、凍てついた光が降り注いでいる。星の並びも、冬の配置をしていた。時が止まっているような夜空だって、絶えず動いているのだと知る。

 辺りに満ちているのは、静けさと、刻々と時が流れているという実感だった。夜明けまで眠ろう、目が覚めたら、今日とは違う明日がはじまる。

 星の光が入り込んでくるのか、なんだか胸のなかがきらきらして、今夜は眠れる気がしなかった。だけど、この森のなかで、今この時も、イヴァンは安らかに眠っているだろう。だから俺も眠りたい、同じ夜のなかで。

「……おやすみ」

 空に浮かんだ月と、心に思い浮かべた寝顔に向けて、そっと呟く。そうして俺は、巣穴に入った。



* * *













花咲く丘*花が咲いたら につづきます。



.
.




.