03
「それでね、その人が言うには、僕は働き過ぎなんだって」
「あぁ」
細く鋭い光が、厚い雲を切り割いていくような、冬の日だった。日差しは木立の隙間を走り抜け、落葉の掃き清められた道と同じく、公園を整然と美しくする。
「貴方はまだ若いんだから、青春を謳歌しなくてはいけないって。たしかに、見た目の上では若いみたいだけどね」
「おぅ」
「プロイセンくん、聞いてる? ……僕の話、面白くない?」
「まぁな」
小さな口元をすこし尖らせたロシアは、紅茶入りの紙コップを、ほっこりと両手で包みこんだ。
通りのざわめきが風に乗り、裸の木々を撫でるようにして、寒空へと飛んでいく。飛行した声は、すぐに降りてくるだろう、凍みるような冬の白さをまとった、雪となって。粉っぽいそれが、今にもちらつきそうな寒さだった。
「国民に人生相談なんかして、楽しいか?」
「楽しい……というより、彼らと上手に世間話ができると、ほっとするよ」
「自分は前時代の遺物じゃないって、確認か」
「そう! そういうこと。まぁ、煙草屋のおばあさんだけど……」
「あのバァちゃんまだ生きてんのか! もう半分遺物≠カゃねーか」
「ちょっと、失礼だなぁ」
僕の家の人を笑わないで、と言いながら、ロシアは俺よりもよく笑った。俺は苦く熱いコーヒーをすすりながら、足を組み直す。
飲み物は移動販売車から買った。改造された中古のワーゲンバスが、冬季中はこの公園に留まり、しっくりとひとつの景色になっていた。
「……人生の、冬」
「あ?」
「老いを冬に例えるような、そういう表現……時間が動いてる、って感じがして、羨ましいよね」
連絡もなく、ロシアが俺を訪ねてくる事があった。脈絡というものがすとんと抜けた話題は、控えめな様子ではじまって、こうして日光浴などしながら、のんびりと続く。俺も思いつくままに返すだけだ、会話する内容に意味などなくて、ただの言葉遊びに近い。ひと通り遊んで満足すれば、大人しく帰ってくれる。
「……まぁ、俺たちには無い器用さだよな」
「僕たちって、やっぱり、どこか不器用なのかな?」
「そうじゃなかったら、煙草屋に人生相談なんてしないだろ」
――俺たちは、あまりに長くを生きすぎて、きっと生きる≠ニいうことが分かっていない。ロシアとは、何度かこの手の話を繰り返していた。
人間とは違う不器用さを持ちながら、足をもつれさせる事のないよう、少しでもスマートに歩こうとしている。世間話を好んだり、日記をつける習慣をもったり、わざと人間くさい行動をして、自分を安心させようとする場面がある。国として生まれてきた者には、多かれ少なかれ、そういう部分をもつと思っていた。
「人間が、自らの老いを冬に例えるような感覚が、僕らには無い。ねぇ、しいて季節を当て嵌めるとしたら?」
「……夏」
「うん、僕もそう思う」
なんだか面倒くさい会話になってきたが、分からない内容でもないので、つい話を合わせてしまう。
「繁栄と衰退、最も強い光と影、そういうものしか残らないから、夏≠セな」
「僕にだって毎日細々とした暮らしがあるはずなのに、歴史には大きな変化しか記されないし、小さなことは時が経つと思い出せなくなるんだ……僕らって、曖昧な上に、極端だよね」
「そうだな」
ロシアは相変わらず、両手で大事そうに紅茶を持ち、暖をとっていた。ふっと視線が変わると、丸い瞳のなかで、太陽光の粒がぽろぽろと踊る。冬の光の下にいることで、印象がぐっと強まる容姿だ。
「プロイセンくん、いちばん忙しかった頃のことって、今も思い出せる?」
「それなりに。あんまり思い出そうとしねぇけど」
「いま思い出すと、どう感じる?」
どう、と言われても。すぐには言葉に表せない。曖昧すぎる問いだ、それだけに、センシティブな答えを求められている気がする。本当に面倒くさい奴だ。
「……最も活発だった時期は、たぶん……輝きながら、腐っていく、ような……そんな気分だった」
「輝きながら、腐っていく……?」
「当時は妙に高揚してて、それも面白いとしか思ってなかったけどな」
「それ、分かるなぁ、すごく」
――常に国家の繁栄だけを望み、パレードの先頭を歩いていた。強烈な光と影のなかで、これは葬列でもあるのだと、最初からどこかで理解していた。それでも胸が高鳴るのはどうしようもなく、まるで遺伝子に組み込まれているかのように、ごく自然に、激しい権力を愛した。
「君と話すのは楽しいよ、君ってやっぱり頭が良いね」
「ずいぶん上から目線だな、うるせぇよ」
頭が良いというより、先の読めないロシアの話し振りに、慌てず対応する慣れが身についているだけだ。特に嬉しくもない能力だった。
ロシアの丸っこい瞳が、公園の鳩を見つめている。鳩はふっくらとした羽毛で身を包み、寒さに肩をすくませるような歩き方で、俺たちの周りを行き来した。まさに、こういう何気ない景色だ、この手から真っ先に零れ落ちるのは。
「……あと、君とキスすると、ほっとする」
手の中の見えない部分で、黒いコーヒーが揺れている。そうだ、話し振りだけではなかった――まったく、何をしでかすか分からない。
顔をちょっと近づけられただけで、あきれるほど簡単に、冷たい唇がくっついた。俺は意図を探ったりなどはしない。あらかじめプログラムされた反応のように、ただ眉を寄せる。慣れだ、これも。
「……前時代%Iなキスだな」
「あはは、そうだね。君こそ、遺物≠フ王様みたいな人だから」
「うるせぇ」
逆光のなかへ、笑い声が遠ざかる。
「ねぇ……僕、変わったほうがいいのかな」
「は?」
俺はベンチに腰かけたまま、ぽかんと口を開ける。また唐突に話が変わった。
去り際に放り投げるような問いかけではない。戸惑っている俺を無視して、本人は何でもないようにコートの襟を直している。
「……そのままでいいんじゃねぇの?」
俺は首を傾げながらそう言い、開いたまま塞がらない口に、とりあえずコーヒーを流し込む。
ロシアは笑わずに、ただ少しだけ眉を下げた。そうして、北風の吹いてくるほうへ向き直ると、子どものようにポケットに手を入れ、小走りで去っていった。
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