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僕は優しい子



2017.10 twitterでの無計画な呟きから
もらったお題「ギルベルトくんが風邪を引いてるときに来たイヴァンさんを間違えて親父って呼んじゃう(間違えちゃう)話」

※Caution!! 体調不良・子どもの嘔吐

*フリッツ親父と親子設定、ショタ(雰囲気でお読みいただければ幸いです)
*転校生→あこがれの男の子












 ◇ 僕は優しい子 ◇


 思い出には二つの種類がある。忘れたくない℃vい出と、忘れられない℃vい出だ。
 まだ小さかった手のひらに、まだ幼かった目で見た景色は、淡雪のように降り積もり、積み重なった。時とともに溶けていくはずだった。でも、特別な記憶だけは、肌に直接、刻まれるのかもしれない。
 それは大人になった今も、僕の手のひらにずっとある。まるで治りかけの傷のように、甘痒い香りを放って。




 出会いの春、僕の思い出の一ページ目は、カン違いからはじまった。
 教室の扉を開けた瞬間、ざわざわとした声が僕の体をつつんだ。クラス替えに誰もが緊張して、今日はきっと学校中が、生徒たちのはずむ声であふれているはずだ。
 新学期の席順は、出席番号で決まるらしい。黒板に貼られた図に従い、自分の机について鞄をおろした。ひと息つくよりも先に、ざわざわが胸にうつって緊張してくる。
 おはよう、って、誰かに言おうかな。どうしようかな……。
 僕は、おしゃべりが上手じゃない。怖がりで、緊張しいだ。自分でも分かっているし、大人からもよく、ぼんやりした子だと言われる。
 新しいクラスメイトたち、前後左右の子に、自分から声をかけるべきかどうか、悩んでいるうちにもうチャイムが鳴りそうだ。
「おい」
「ぴぇっ」
 飛び上がりそうになって、振り向けば、見覚えのある男の子がそこにいた。
 あぁ、この子と同じクラスになれたんだ! 何よりも先にそう思うと、驚きはすぐ喜びに変わった。
「お前だけ、なんでそんな色の鞄なんだよ」
 もちろんそんな僕には気づかず、その子は机を指さしながら問いかけてくる。
「えっと……冬に、引っ越してきて、」
 やっぱり、このクラスでも同じことを訊かれるんだな。ラベンダー色って、そんなに目立つかな?
 僕は、緊張した時の癖で意味も無くにやけたまま、決まった答えを繰り返そうとした。
「そういうことじゃねーって」
「あっ、ご、ごめんね。どういうこと?」
 見覚えのある子は、不思議そうに目を細める。
 この学校の男子は、決まってみんな、黒い鞄を背負う。後ろの席に置かれた、彼の鞄も黒い。そしてよく磨かれているのか、ぴかぴかだった。
 四年生にもなれば、男の子の鞄なんていくつも傷がつき、革がくたびれてきているのが普通なのに。活発そうな目をしたこの子と、綺麗な鞄……ぴったりだ! すごく、かっこいい。
 僕はどきどきしながら、こっそり他の持ち物も観察してみた。赤や青のペン、黄色い鳥の形をした消しゴム。ペン入れもノートも、色とりどりで、机の上がおもちゃ箱みたいだ。
 すごい、すごい! 嬉しくて笑ってしまう僕を、不思議そうに見つめてくる瞳は赤い。髪は冬空に流れる雲のようだ、こうして近くで向かい合っていると、銀色に輝いて見えた。
 ――ずっと、この子の名前が聞いてみたかった。何度か廊下ですれ違うたび、この髪と目の色が気になって、どんな子なんだろうと考えた。転校生の僕とは違って、いつも友達と一緒で。元気そうに駆け回っている姿を見ては、近づいてみたいと思っていた。
「それ自分で選んだのかよ」
「ううん? お姉ちゃんが……」
 そうだ、ついつい余所見をしてしまったけれど、今は僕の鞄の話だ。
 ラベンダー色の鞄と、僕の顔とを見比べて、男の子はじっと何かを考えている様子だった。
「ふーん……」
 何か気になるみたいだけど、今、話しかけても良いものだろうか。
 早く、名前を教えてもらわなきゃ……! せっかく声をかけてもらって、きっと最初のチャンスなんだ、もう待ちきれない。
「あの、あのさ、」
「……ぷっ」
 勇気をだして訊こうとした、その時。急に、プスプスという笑い声が、目の前の男の子から漏れた。
「すげぇ色……お前におにあい≠セな!」
 つられたように、周りの子たちがくすくすと笑う。
「……えっ?」
 いつの間に僕らのことを見ていたのだろう、知らない子が「ギルベルト!」と声をあげて近寄ってくる。
 僕がぽかんと口を開けている間に、彼は何人もの男の子たちに囲まれてしまった。僕のことなんかもう見ていない。
 そうか、みんな、僕との会話が終わるのを待ってたのか。この子、やっぱり人気者みたいだ。
「ギル、春休み何してたの?」
「親父と旅行!すっげー楽しかったんだぜ、見ろよこれ」
「なにそれー、変なの!」
 みんな、楽しそう。――お似合い≠チて何だろう?
「…………」
 きっと、良い意味ではない気がした。
 僕は前に向き直って、自分の椅子に座り、ちくちくと痛みはじめた胸をおさえる。あとからあとから恥ずかしさが込み上げてくる。
 みんなに笑われちゃった、恥ずかしい。――あ、泣いたら駄目だ。
 新学期の初日に泣くなんて、最悪の事態だけは避けて!  と、心のなかで、もう一人の僕が叫んでいる。
 ……大丈夫だもん、絶対泣かないから! 僕は天井の染みを数えるフリで、必死に涙をこらえる。
 彼の声に続いて、大きな笑いが何度も起き、背中にその波を感じた。旅行の思い出を語っているらしいその内容は、ちっとも僕の頭には入ってこなかった。
 そのうちチャイムが鳴り、笑い声が止む。生徒達はばたばたと机に戻っていった。新しい担任の先生が教室に入ってきて、笑顔をばらまくのと同じペースで、たくさんのお知らせを配りはじめる。
 自分の名前が書かれたプリントを取って、残りを後ろに回す。何度も「ギルベルト・バイルシュミット」の文字が見えて、それがこの子の名前だと知った。けれど僕はもう、彼と目を合わさないようにと、それだけで精一杯で――。
 それからの時間は、気づけばあっという間に過ぎた。
 天井の染みから目を離し、ふと窓を見ると、クリームソーダのように明るい春の空と雲が見える。いつもならお弁当を出す時間なのに、生徒たちは帰り支度を始めている。そうだった、始業式の日は帰りも早いんだ。
 のろのろと動きはじめた僕の周りで、とっくに帰り支度を済ませた生徒たちが、声をひそめて放課後の相談をしていた。
 あとはチャイムを待つだけ、みんなは遊びの予定を立てるのに忙しい。
「ギルベルト、お前もうちにゲームしに来る?」
「んー、俺は行かねぇ。家の手伝いする」
 やっとその時が来て、帰りの挨拶も終わった。わっ、と教室から外へあふれ出した声は、廊下に響きわたり、瞬く間に階下へと流れていく。
 僕も、はやく帰らなきゃ。どこかぼうっとしたまま、ラベンダー色の鞄を背負う。
「おい、お前さー」
「わぁっ、な、なに?」
 鞄ごしに背中をつんつん突かれて、僕はまた飛び上がりそうになった。振り向けば、あの子が僕に、にへ、と笑いかけてくる。
「一緒に帰ろうぜ?」
 おまけに、信じられない言葉が聞こえた。
「えっ、え?! やだよ!」
 何も考えずにそう言ってから、カァッと顔が熱くなった。
 だって、誘われる理由がないもの、こんなの悪戯に決まってる。
「はぁ? なんでだよ」
「や、やだやだ」
 恥ずかしさがこみ上げてきて、訳も分からず泣きそうになる。慌ててマフラーを口まで巻き、僕は逃げるように教室から出た。――まさか、追いかけられるとは思わずに。
「待てよー。その鞄、やっぱすげぇな」
「えぇっ、来ないで」
「お前、姉ちゃんって何歳? お前に似てる?」
「知らない!」
「うそつけ! なぁ、家どっち?」
 思わず走りだしそうになって、でも校内は走っちゃいけないのだと、できる限りの早足で階段を下りた。追いかけてくる声は気楽な調子で質問を投げつづける。
「前の学校ってデカかったか? お前、どっから引っ越してきたんだ?」
「知らない、ついてこないで!」
 僕は焦って、靴ひもを結ぶ手ももたついてしまう。その間に彼はさっさと自分の靴を履き、「まだ?」と言いたげに僕を振り向く。
「すげー、靴も珍しいな、お前」
 寒い地方で生まれ育った僕の靴は、頑丈で、不恰好なくらい大きい。引っ越してまだ数か月、新しい靴も買ってもらえてはいなかった。皆と違う靴は、転校以来ずっと気にしていたことの一つだ。
「お、お……お前≠カゃないよ!」
「おっ、おー、って……アシカの真似か?」
 恥ずかしい!! 靴のことも、どもりがちな喋り方も笑われた気分で、いよいよ僕は泣きそうになった。
「な、名前が、ちゃんとあるもん……」
 ちゃんと、両親がつけてくれた名前があるのだ、オマエなんて名前じゃない。
「そうだ、名前きいてなかった……あっ!」
 校門を出てしまえば遠慮はいらなかった。たーっと走りだした僕は、決して振り向くもんかと誓う。
「よっ、と」
 しかし、彼はいつの間にかブロック塀の上にのぼり、軽々と距離を縮めてくる。
「驚いたか? なぁ、名前!」
 かと思えば、あっという間に僕を追い越して、目の前に飛び降りてきた。
「なんで? 通してよーー」
 道を塞がれた僕は、眩しい笑顔を前にして、軽いパニック状態に陥る。
 クラスの人気者に、教室のみんなの前で笑われてしまった。しかも、ひそかに憧れていた男の子だ、ショックが大きすぎる。
 まだ雪深かった今年のはじめ、僕はこの街の地面を、コンクリートで灰色に埋められた道を初めて踏んだ。年度の途中での転入だった。その上、北の田舎町とこの首都とでは、生活も子どもの流行りも違うことばかりだ。慣れるのがやっとで、友達を作るどころではなかった。
 僕は、この新学期に賭けていたのだ。
「……もうやだ」
 きっと明日からイジメられるのだろう。もう駄目だ、おしまいなんだ。自分の不幸を嘆いて、ついにぐずぐずと鼻をすする。
「お前さ、」
 にじんだ涙には気づかないのか、彼はとことん自分のペースで話を続けた。
「鞄、目の色に合わせて選んだんだろ」
「……え?」
 目の色、だって? 今度は見た目までバカにされるのだろうか。もう全て悪いことにしか思えず、目をぎゅっとつむる。
「すげー良いよな!」
 でも、想像したような悪いことは起こらなかった。それどころか、意外な言葉が聞こえた気がする。
 びくびくしながら目を開く。すると、はじけるような笑顔が見えて、
「…………え? それっ、て」
僕はぱちぱちとまばたいた。すげー良い≠チて……もしかして、ほめられてる?
 彼は僕のまわりをぐるりと歩き、しげしげと鞄を眺めてはまた笑い、堰を切ったように早口で話しだす。
「俺もさ、赤がいいー! って親父に頼んだんだ。でも女の色だからやめとけ、って言われちまった……。お前は良いなー、やっぱ色が違うと目立つな!」
 ……なに、どういうこと? なにが起こってるの?
 急なことに頭がついていかない。落ち着きなく歩き回っている、きゅっきゅと鳴るようなスニーカーの靴音を聞きながら、僕はぽかんと口を開けて固まっている。
「これ、なんて色だ?」
「ら、ラベンダー……」
「ラ……?」
「花の名前、だけど……」
 訊かれるままに答えれば、感心したような声がする。
「へ〜。よく分かんねぇけど、かっけー!」
 まったく悪いと思っていないような顔に、すごいすごいと大きな声で褒められて。あまりの驚きに、肩の力が抜けた。
「……変だって思ってないの?」
「良いって言ってんのに」
「だって、お似合い≠チて……バカにする言葉だよ?」
「えっ? あれ……俺、そんなこと言ったか?」
「だって、君が……お前にお似合いだ≠チて、そう言ったから……」
 勇気を出して告げれば、ぴたっと靴音が止まる。
「わりぃ、そんなつもりじゃなかった、俺、」
 男の子の顔がみるみるうちに赤くなり、声もしぼんでいく。
「あ……ううん、僕も分かんない、えっと、ごめんね」
 その変化があまりにも分かりやすかったので、なぜかつられて僕まで赤くなってしまう。
「いや、俺が……ごめん」
 ……つまり、どういうこと? 僕のカン違いだったの?
 怖がってろくに見れなかった顔を、今になって、正面から見つめてみる。
 わぁ、本当に、赤い瞳なんだ。恥ずかしそうに、僕を見ている。
「俺……よく似合うって、そう言いたかったんだ……」
「う、うん」
 ……わぁ、わああ! 僕の驚きはもう、言葉にならなかった。驚きと喜びで、地面がぐらぐら揺れている気がする。
「お前の姉ちゃん、すげーな……俺んち、親父しかいないから……俺、そんなつもりじゃ、」
「うん……うん。わかったよ」
 赤く染まった頬っぺたの色が、じわじわと広がっていく。あっという間に耳まで染まり、男の子はうつむいてしまった。
 僕の顔もきっと赤い。春風がさわっていくのが、ひんやりとして不思議な感じ。
「その靴も、カッケーな、って……思って」
 新学期の緊張とは違う種類のドキドキが、胸の奥からあふれだしてきて――あぁ、なんでだろう。僕、今すごく……この子に僕の名前を教えたい。
「もう、大丈夫だよ。あやまらなくて大丈夫だよ! ぼく、怒ってないよ……」
「ホントか?! はー、あせった……」
 安心したとたんに、ぱっと笑顔に戻って、照れくさそうに鼻の頭を掻く。なんて素直な子なんだろう。
 赤い鞄が欲しかった男の子――ギルベルトくん。
 ずっと話してみたかった子と、僕は今、二人だけで帰り道に立っているんだ。それってなんだか、特別みたいだ。
「……ぼく、イヴァン、っていうんだ」
「イヴァン……覚えた! よろしく」
「よ、よろしく……ギルベルトくん」
 わっ、どうして、恥ずかしい。
 今までの恥ずかしさとは、まったく違う。初めての気持ちに、気がつけば朝よりも必死で涙をこらえていた。
 一度はカン違いをして、もう駄目だと思ったから……だからこんなに嬉しいのかな?
「お前さ、」
「う、うん」
「……目の色のが光ってて、良いな! ラベンダー? より、濃い色だ、すげー!」
 それとも……君があんまり眩しく笑うからだろうか?
「あ、ありがとう……」
 知らなかった。友達になるって、こんなに恥ずかしくって、嬉しいことなんだ。



 僕はその日、赤い顔のまま家に帰って、風邪をひいたのかと家族を心配させた。
 これが僕とギルベルトの最初の思い出になった。忘れたくない¢蜷リな記憶だ。