7



二月、バレンタイン直前のある日、会社で聞いた同僚の言葉に、私は気持ちを微塵も隠さず表情を歪めた。


「え、しんけん?」

私の反応を受け流しながら彼女は頷く。

「しんけん。
朝会ぬ後、部長から女性社員んかい話があるとうむう」
「えー、じゅんにやだ!
部長、自分が恋人んかいあげたいだけあんに?」
「九十%ね。
建て前が欲しいだけさー」

お互い目を合わせてから、小さく溜め息をついた。
あと幾日もないというのに。
今年のバレンタインは関わらないと思っていただけに、面倒臭さは倍増だ。

「って、今年、バレンタイン日曜あんに?」
「やくとぅ作るって話」

あー。
同僚の言葉に納得してしまって、私は涙が出そうだ。
本当に面倒臭い。

「…溶かして固めるだけ」
「わんも。
アラザンおまけにして」
「やさ」

お互い目を合わせて、今日何度目か解らない溜め息を付いた。

その日の夜、島宝に行く曜日。
私は材料を買ってから島宝に向かった。

「めんそーれ!」

カランコロンと相変わらずのドアベルに、皆の優しい声に疲れが取れるような気がした。

「めんそーれ、ひなちゃん」

傍にいた裕次郎さんに言われて、お邪魔します、と笑った。
当たり前のように空いていた指定席に座って、メニューを開く。

「寛さん、ちゅーぬオススメって何かあります?」

聞くと、寛さんは微笑みながら答えてくれた。

「じゃあうりと、凛さんオススメぬカクテルで」
「わかったさぁ。
酒は、なますぐ?」
「食後で」

長居しようと決め込んで来たから、お酒は後だ。
そもそもそんなに強くないから、空腹時に飲むと失敗する確率が上がる。

今日はどんなお酒かな、なんて今から待ち遠しい。
取り敢えず、寛さんに今日のレシピのコツも聞かなくちゃ。



「隣ゆたさん?」

ご飯を食べてると、凛さんが声をかけてくれた。

「うー。
やしが、仕事やいいんですか?」

クスクスと笑いながら聞くと、凛さんはムキになったように休憩!と言った。

「ちゅーやどんなお酒ですか?」

トス、と音を立てて座った彼に、私は問う。

「出てくるまでぬお楽しみ」
「えー」

不満をぶつけてみると、凛さんは楽しそうに笑う。

「やー、あまり酒強くないあんに?
薄めに作るから、楽しみんかいしとけ」

あ、私が弱いの気付いてたんだなぁ、と思いながら、その事が嬉しくて私は笑う。

「にふぇーでーびる、凛さん」
「ひなや大事なお客様、やさ。
まーさんぬ作るさぁ」

そう言いながら、凛さんは寛さんが作ったまかないを受け取った。
それがあまりにも美味しそうで、私はつい目を見張った。

「くり、じゅんにまかない?」
「おー」
「美味しそう…」

呟いた私に、一口食うか、と食べ物を掴んだ箸を向けられた。
その箸と、端に積まれたおかずと、凛さんを見比べて私はポカンと口を開けた。

あーんをしろと?

思考停止のフリーズ状態になった私を、凛さんは不思議そうに見ていた。

「凛、付き合い始めたぬか?」

その様子を見ていた寛さんに問われて、凛さんはいや、と否定する。

「…うり、女性としては悩むくとぅだとうむうんやしが」

そう言って、寛さんは箸を指差した。
それを目で追う凛さん。
意味に気づいたのか、目を見開いた。

「わ、わっさん、ひな!」

顔を真っ赤して慌てた凛さんを見て、私は漸く思考が動き出した。

「い、いえ…だいじょぶ、やいびん」

どうにかそう返して、こっそり頬を抑える。
熱を持ってる。
多分、凛さんに負けず劣らず赤い顔をしているのだろう。
少し恥ずかしくて、視線を逸らした。

凛さんはうり、と今度はお皿を差し出してくれて、私は気付かれないように笑った。

「頂きます」

自分の使っていた箸を使って、一口貰う。
見た目通りの美味しさに、凛さんの優しさに、頬が緩んだ。



その後はお酒を美味しく頂いて、私は帰り支度を始めた。
凛さんは裏に行ってしまって今日は挨拶は出来なさそうだけど、まぁしょうがない。
こんな日もある。

「じゃあ、そろそろ帰りますね」

裕次郎さんにそう言って、会計を済ませる。

「ひなちゃん、くり」

そう言って差し出されたのは、可愛い小さな袋だ。

「…くりや?」
「バレンタインあんに?
来てくれたお客さんにあげようって話してやー。
ひなちゃんにも」

そう言って、裕次郎さんははい、とまた差し出す。
それを受け取って、ありがとうございます、と笑った。

「作ったぬや浩一君ですか?」

聞くと、裕次郎さんは楽しそうに笑う。

「せーかい」
「やっぱり。
浩一君に、にふぇーって伝えてください」
「おう!」

裕次郎さんの返事を聞いてから、私は店を後にした。

扉を閉めて、荷物を持ち直して歩き出す。
帰ったらやることを考えながら空を見上げた。

「ひな!」

凛さんの声が聞こえて、私は慌てて振り返る。

「凛さん、どうしかしましたか?」
「いやっ、うぬ…」
「わん、忘れむぬしました?」

言いづらそうに言葉を詰まらせる彼に私は首を傾げる。
前科があるので聞いてみると、彼は頭を振った。

「いや、してないんどー」

じゃあ、どうしたのだろう。
そう思って凛さんを見つめていると、凛さんは小さな袋を差し出した。

「お店ぬバレンタインぬですか?
裕次郎さんからもらったんですけど…」
「あらん!
くり、や…わんから。
わんが、浩一んかい作り方聞いて作ったんばぁよ」
「あいっ」

彼の手にある袋を見つめて、今度は彼を見つめる。

「いいん、ですか?」
「おー」

受け取って、両手で掴む。

「にふぇーでーびる、凛さん!」

凛さんはふわりと笑った。
温かすぎて、どうしようもない。

島宝が、凛さんが、大好きだ。



帰ってから、裕次郎さんに貰ったチョコを頬張る。
流石浩一君。
とても美味しい。
今度作り方聞こう。

次に、凛さんに貰った方を眺める。
どうしよう。
ちょっと勿体無いかな…。
でも、このままにして食べられなくなっちゃう方が勿体無いし。
そもそも、失礼だ。

私は包みを開いて、しっかり目に焼き付けてから頂いた。

浩一君のと比べると、残念かもしれない。
でも、それ以上に美味しく感じる。
幸せだなぁ、なんて思って、お返しをしたくなった。

取り敢えず今日はもう遅いから明日感謝のメールを送るとして。

どうしよう。
会社用の簡単なチョコだなんて失礼すぎる。

そう考えてから、私はふと思いついた。

そうだ。
これ、バレンタインじゃん。

「お返しや、ホワイトデーやっしー」

取り敢えず一ヶ月の猶予に、私は心から安心した。