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なし崩しに告白をされて、私は気が付けば頷いていた。
一瞬だけ、嬉しそう、な、ような。
悲しそう、な、ような。
そんな表情をした彼はすぐにはにかんで、よろしくお願いします、と言った。
連絡先を交換して、その日はそのまま別れた。
私が家に入って玄関を締めた後、車が去っていく音が聞こえる。
…あれ、私、何が起きた?
ふわふわと現実味がなかったけれど、ちゃんと鍵を閉めましたか、という連絡がチャットツールからやってきて、決して夢ではないのだと認識させられた。
「…まじかぁ」
今日、家に誰も居なくてよかったかも。
玄関に腰かけて、私はしみじみそんなことを考えた。
彼と付き合い始めて、大きく生活が変わることはなかった。
探偵でアルバイターな彼は忙しかったし、私も推し活が忙しかった。
連絡は時折。
帰り道、ポアロに寄ったときに会えれば少し話をして、ポアロが空いていれば送ってくれるようになった。
榎本さんには私のことを話したらしい。
勝手に話してすみません、と謝る彼に、送ってもらえると助かる、と頭を振った。
あれ以来、あの公園の傍の道を歩くことはなくなったが、それで家への道のりが遠くなるわけでもなかった。
ただ、公園の傍の方が街灯があっただけ。
街灯がない道を一人で歩くことも安室さんは物申したいようだが、流石にそれ以外に道もないので黙認しているようだ。
まだ一ヶ月程の彼との付き合いは学生の頃の延長のようなもので、大人の付き合いからは程遠いものだった。
私三十歳、彼二十九歳。
よくまぁお互い何も言わないものだ。
そう思うと同時に、人生の大半を推し活につぎ込み、できた彼氏にはことごとく「俺より推しの方が大事なんだろう」というどこのヤンデレ女子のテンプレみたいな言葉で振られた私としては、近すぎない彼との距離はありがたかった。
「僕、来週は探偵の仕事でポアロ休みなんです。
帰り道気を付けてくださいね」
遅くなったらタクシーを使うこと、と約束させられる。
随分と過保護なものだ、と思うが、前例があるだけに反論はできない。
「はい。
お仕事頑張ってくださいね」
別れ際に触れるだけのキスをする。
そんな、清い交際。
私が玄関の扉を閉めるまで彼は見守った後、ポアロまでの道のりを戻っていった。
ホテルで行われる株主総会の裏方に駆り出された。
普段は適当に座って話を聞いて、流されるように職場の行く末を見守って、適当に帰ってちょっといいお弁当を食べる。
そんな日だったが、現在総務を筆頭とするバックオフィスチームが人手不足ということで受付や片づけを手伝うことになった。
この株主総会のバラしは予想以上に時間が掛かるもので、全てが終わるころにはとっぷりと日が暮れていた。
今日できなかった仕事、明日以降に持ち越しかぁ、と目を細めるのも仕方がないとわかってほしい。
そんな仕事の疲れとは別に、ホテルはレベルの高いところを使用していたため調度品に目を瞬かせるのも一女子としては当たり前なのだ。
季節柄特別な飾りつけはされていないが、これがクリスマスならツリーがあったりでさぞ綺麗なのだろう。
バックオフィスチームの同期と話しながら出口までの道を歩く。
ここに泊まるのはさぞ勝ち組なひとなのだろうなぁと、見るからに着るもののお値段が違う人たちを横目に眺める。
その中に、知った顔を見つけて私は目を見張った。
安室さんだ。
普段ラフな格好しか見ないが、ワイシャツにベスト、綺麗なループタイをしている。
ただでさえイケメンな彼は身なりを綺麗にするとこれは本当に三次元か?っていうくらいに美人だ。
え。
あれ、私の彼氏なの?
私隣に居ちゃダメでは?
眩しい。
三次元に対してこんなことを思う日がこようとは。
例の事件とは別に、ちゃんと安室さんを好きな気持ちはある。
が。
ついそんなことを思ってしまうのは、幼い頃から二次元ばかりを見つめてきた性だ。
許してください。
あれだけ畏まっているということは、探偵の仕事中なのかな、と思う。
こんないいホテルにいるということはクライアントが一流な方なのだろう。
そう思って、声をかけるのはやめようと思った。
仕事の邪魔はしたくない。
でも、目の保養だけは許してほしいなぁ、と思わず彼を目で追う。
そこで、私は見てしまった。
隣を歩く綺麗な女性の腰に回る、彼の手を。
私に対してしたことのない、女性へのエスコートを。
彼のものとは思えない、冷たい、冷たい表情を。
「二城、どうしたの?
うっわ、美男美女ー」
足を止めた私に気付いたのか、同期が声をかけてきた。
そして私の視線の方にいる彼らを視界に入れたらしく呟く。
「…ね、私もそう思って、つい見ちゃった」
「珍しい、二城が三次元見て足止めるなんて。
…あぁ、推しに似てるから?」
妹と言い、よほど彼は私の推しに似ているらしい。
「似てないもん。
私の推しは天使だもん」
あんな、冷たい表情はしないし、女の腰に手を回したりしない。
付き合っている子がいるのに、そんなことしない。
「ハイハイ、ほんと好きだよね」
そう言われて頷く。
誰よりも好きなのだ。
金色の髪に褐色の肌、透き通る様な青い瞳。
好きになるのは、決まってその特徴を持ったキャラクターだ。
私は、安室さんを本当に好きなのだろうか。
本当は好きじゃないんじゃないだろうか。
事件の吊り橋効果もあるし、安室さんも、同じ特徴だ。
そんな考えが浮かんでは消える。
ただ一つ言えるのは、他の女性と並ぶ彼を見て、私はこんなに苦しいってことだけだ。
それだけは紛れもない事実。
株主総会から三日、ポアロの前を通ったとき、ちょうど彼は外を掃除していた。
「お帰りなさい、ひなさん!」
にっこりといつものように笑う安室さんに、私はいつものように笑顔を返せただろうか。
「今日はテイクアウトは?」
「今日は帰ります。
推し活で出費が重なっちゃって…」
安室さんと顔を合わせるのが気まずいこともあるが、出費が重なったのも事実だ。
まさかゲームセンターのぬいぐるみに五千円かけることになろうとは。
でも推しが私のベッドの上にいるとか最高すぎるので後悔はしていない。
「今空いてるので送ります。
ちょっと待っていてください」
そう言って、店内に入った安室さんが榎本さんに声をかけてエプロンを外す。
榎本さんとガラス越しに目が合って、会釈をした。
「お待たせしました」
カラン、とドアベルを鳴らして出てきた安室さんと並んで帰路に着く。
「今日はお仕事は大変でしたか?」
「少しだけ。
先日株主総会があったので、その皺寄せがありまして」
真面目に答えてしまって私は後悔した。
あの日の、安室さんとは思えない表情をした安室さんを思い出してしまった。
気付かれないように表情を取り繕って、会社全体バタバタでした、と続ける。
「それは、お疲れ様です。
終わりそうですか?」
「はい、明日頑張れば、通常運転に戻れそう」
よかった、と笑う。
気付かれなかったのか彼も言動に変化はない。
「あまり無理しないでくださいね。
綺麗な肌がボロボロになっては大変ですから」
私の頬に伸びた手が、触れずに、落ちた。
誤魔化すようにふふ、と笑う彼が、代わりに私の手を取って歩き続ける。
私よりもずっと大きくて、温かい掌。
彼の微笑みが、その温もりが、嘘だなんて思いたくないのに。
彼は、私に触れるのを躊躇するのだ。
あの日、綺麗な服を着ていた彼は、私の会っていた安室さんとは違う表情で、知らない女性の腰を抱いていた。
今ここにある、この温もりさえ嘘なんだ。
そう、思い知らされた。