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夕方、無事残業も無く真っ直ぐに帰路に着いた。
裕次郎が何時に家に着くか、なんて知らないけど、仮にもう家に居たとしても、時間はそう経っていないだろう。
結婚したときに建てたまだ新しい我が家を見上げていたら、顔中に笑みが広がった。

あー、幸せだなぁ。

些細な幸せを噛み締めて、俺は家に入るために足を動かした。

「なまちゃん」

扉を開けながら声を掛ける。
靴を脱いでいたら、ひながお帰りなさい、と言いながら、ぱたぱたという足音を立てて駆けてきた。

「お疲れさまー」

ふわりと笑うその顔を見て、今日一日の疲れが無くなるように感じた。

単純?

そう言われたって構わない。
ひなの為なら、ひなに関わる事なら、馬鹿だろうが阿呆だろうが、何て呼ばれたって構わないんだから。

「でーじにりたさぁ。
裕次郎、まだ?」
「うん、まだやっし」

そっか、呟いて俺はまず着替えるために部屋に戻った。



着替えを終えてから、居間に向かう。
慣れた廊下の所々に飾られている絵は、俺が描いた絵。
ひなは自分が気に入ったものを端から飾っていく。
勿論はじめの内は止めていたのだが、いくら言っても飾られている絵が増える一方だから随分前に諦めた。
その時の“一番お気に入り”をひなは居間に飾る。
それは数日前から、あの曲をイメージした絵に変わっていた。

「凛ちゃん、裕次郎君、ご飯どうするんばぁ?」
「あー、わっさん、知らん……。
やてぃん、あれば食うとうむうさぁ」

ひなはそっか、と言ってから台所に向かった。
俺がよく座る席に座れば、目の前に水が置いてあった。
普段はビールか缶酎ハイがあるけど、裕次郎が来るってことでそれは後でのお楽しみなのだろう。
ちっ。

料理に勤しむひなの後ろ姿を見て、俺はふっと笑みを漏らした。

うちの調理は当番制だった。
朝は俺。
昼は土日が交互で、平日はそれぞれ
夜はひな。

元々、お互い料理が下手ではなかったお陰で美味い飯を面倒でない程度に食べれてご満悦だ。
まぁ、正直俺は苦手だったけど。
でも、ひなも仕事が大変だから、と思えばそれも容易いものだった。
今ではかなり得意になっている。
でもやっぱり自分が作るよりも、ひなが作ったご飯の方が美味い。
ひなの夕飯は、不思議と明日も頑張ろう、という気分にさせられる。
だから、余程の理由が無い限り、俺は家で夕飯を食べる。

ひながおかずを並べ始めたとき、チャイムが鳴った。
来たみたい、とひなが呟くのを聞いてから、俺は玄関に向かった。
扉を開ければ、例によってあの長髪が顔を出す。

「よっ」

片手をあげて、にやにやと笑う。
裕次郎は楽しそうな顔でそこに居た。

「めんそーれ」
「おー」

俺の言葉を聞いて、裕次郎は家に入った。
俺の新しく飾られた絵をちらちらと見ながら歓声をあげる裕次郎。

「やっぱ、凛は絵が上手いさぁ。
中学ぬ頃からうむたけどなぁ」

中学の頃、文化祭のポスターは俺が書いていたから、それを指しているんだろう。
なんせ裕次郎は文化祭実行委員だったから。

「にふぇーでーびる」

素直に感謝の言葉を言って、奥まで行く。
俺は早くひなの飯を食いたいんだ。
その思いが伝わったのか、裕次郎は、お前は変わらないな、と笑った。
毎月のように来といて、変わったも何もあるかと言ってやりたい。

「裕次郎君、めんそーれ!」

居間に顔を出せば、ひながにこりと笑った。
あー、可愛いなぁ、と思いながら俺はさっきまで座っていた位置に座った。

「ひっちーにふぇーでーびる、ひな」

ひなにそう笑いかけた裕次郎。

今でも付き合いのあるテニス部の連中は、ひなの事を金城さんと呼んでいた。
だが、それも俺たちが結婚するまでのことだった。
今はだいたいがひなと呼ぶ。
永四郎は、確かひなクンって呼んでた気がするけど…。
ま、忘れた。

「いえいえ。
さ、座って!
あ、夕食、食べちゃった?」

裕次郎は、座ってから、ひなを見上げて、食べてないと答えた。

「そっか、あとちょっとでなたんから、待ってて」

笑うひなに、裕次郎はありがとう、と言った。

台所に向かうひなの背を見送ってから、裕次郎は呟く。

「やっぱ、ゆたさん嫁さんもらったよな、凛は」
「まぁな」

臆する事もなく頷いた俺に、裕次郎は冷たい視線をよこす。

「ぬーがや。
事実やっし」

俺がそう言うと、溜め息をついた。

「ま、やーがひな命なぬやなまんかい始まったくとぅじゃねーらんさぁ」
「だぁもあたりめぇやっし」

だって、俺とひなはほぼ生まれた時からずっと、一緒にいて、その大半が恋愛期間なのだから。

「わんがあにひゃーを手放すわけがねーらんさぁ」
「ぬー恥ずかしいくとぅあびてぃーさぁ、凛ちゃん…」

残りの料理を運びに来たひなが、真っ赤な顔で呟いた。
ゴン、といつもより大きな音でテーブルに皿を置く。
あ、照れ隠しだな、と気付いて、やっぱり愛しくなった。

「しょうがないさぁ、事実やくとぅ」

そう笑ったら、ひなはまた台所に戻った。