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金曜の夜、仕事終わりに彼女がポアロに現れた。
嬉しそうに迎える梓さんと彼女の会話がやや賑わっている店内に馴染んで消える。

パスタとデザートを食べたら帰るのかと思いきや、彼女は読書を始めた。
その静かな空気が、日中の温かさを思い出させるようでどことなく心地いい。

本を脇に置いて、カフェラテを手に取った彼女に、そういえば、と前置きを置いてなんとなく問う。

「僕とそっくりの方とはどういった関係だったんですか?」
「え?」
「中学時代の友人…というほど、親しそうな様子でもなかったですし、大人になるまで容姿を覚えているということは何か覚えている理由があったからなのかな、と」

そう。
彼女とは会話をした覚えはない。
もちろん、同じ教室に二年もいた以上一言も、という訳ではないが、友達と言えるほど仲がいい訳でも、委員や係が一緒になったこともない。
そんな仲だ。
確実に僕のことを覚えてはいないだろう、と思っていたのだ。

気の抜けた音を呟きながら空を彷徨う彼女の視線が僕に戻ってきたとき、彼女は苦笑していた。

「…片思い、してたので」

カタオモイ。
予想外の言葉が出てきて、僕は瞬きをした。

「な、なんですか…」
「いえ、まさかそんな可愛い理由だとは思わなくて」
「か、わ…」
「やんちゃと仰ってたんで、意地悪でもされてたのかなと」

二の句が繋げなくなっている彼女に、“安室透”ならこう返すだろう、という言葉を返す。

「全くですね。
きっと相手も覚えてないくらい、接点なんてなかったですよ」
「え…でも、片思いされてたんですよね?」

僕の記憶違いで何か接点があっただろうか、という疑問が脳裏に過っていたがやはり接点はないらしい。

「彼のこと、どうして好きになったんですか?」

彼女が言っていた通り、かなり“やんちゃ”だった自覚はあるから、彼女のような人には怖がられているだろうと思っていた。
にも拘らず、片思い、という言葉が出てくるのはあまりにも予想外だった。
思案に耽っているのか、黙る彼女を見つめる。
意識が浮上したのか、僕を見て彼女は焦ったように言葉を紡いだ。

「よ、よくあるやつですよ。
河川で犬がいじめられているとこ助けてるのを見かけたんです」

犬。
なんだ、そのエピソードは。

「あぁ…ギャップというものですね」

言葉を紡いでおくが、どんなに思い返したところで当時河川で犬を助けた覚えはない。
喧嘩に明け暮れた覚えならある。

彼女が言っている“僕”は別人ではないか?
そう思うが、初めてポアロに来た時に呟いた名前は確実に自分だったし、そもそも僕は彼女を知っている。

「彼の名前と、安室さんに似てるってことしか覚えてないんですけどね」
「同級生ならアルバムがあるのでは?」

見られたら、流石に似てるなんてものじゃなく自分とわかるかな、と思いつつ聞いてみるが、彼女は困ったように眉根を下げた。

「あぁ…あたし、実家が火事に遭って何も残ってないんです」
「それは…不躾に失礼しました」
「いえ。思い出は、残ってますから」

言葉に悲しみの色はなかった。
きっと色々と乗り越えた後なのだろう。
あの困った表情は、おそらく僕からの同情等の態度を予想したからだ。

「…他に彼との思い出とかあるんですか?」
「彼とのですか?」
「えぇ。思い返して、思い出を鮮やかにするのもいいかと思いまして」
「…思い出」

他のエピソードがわかれば、犬の真意もわかるだろうか、と思いつつ聞いてみる。
もしくは、他の誰かと混合しているか、だ。

「…ない、ですか?」
「接点、なかったので。
…ずっと、目で追って、その度にときめいて…。
たぶん、彼と同じ教室で過ごす一瞬一瞬の全てが思い出で、好きだったんだと思います」

そう言われて、二の句が繋げなくなった。
言われた対象が自分だと一瞬思えなくて、だがわかった瞬間に熱が上がりそうになった。

目の前の彼女が、自分が口走ったことを悟って真っ赤になった。

「ご、ごめんなさい、年甲斐もなくこんな夢見てること言って…!」

頬を両手で包んで俯く様子が小動物のようだった。

「いえ、可愛いこと仰るんだなぁ、と。
そんなに想ってもらえていたなんて、当時の彼が羨ましいですね」

動揺せずに返せたか。
いや、絶対に動揺している。
“当時の彼”ってなんだ、微妙におかしくないか。
気付かれることはないだろうが、自分の迂闊さに心の中で舌打ちをした。

「どうも…」

両手の中の小さな口で、彼女は絞り出すように呟いた。



最後の客が退店してから、梓さんと閉店作業を行った。
いつも通りに帰宅するため車に乗り込んだ僕は、真っ先にハンドルへと突っ伏した。

「…なんだ、これは」

彼女の真っ直ぐさに当てられた熱が収まりそうになかった。