鳥籠



近くに住んでいた幼馴染は、ハーフでその容姿は日本人だらけの小学校ではとても珍しいものだった。
幼さ故のいじめも少なからずあったようだが、恐らく彼は私の学校で初恋泥棒の称号を手にしていたと思う。
低学年の頃は勝気な性格とは裏腹な可愛さが満ち溢れ、高学年になるにつれギャップと言えばいいのだろうか。
勉学でも運動でもトップを爆走する超高性能男子だったのだ。
走るのが早いだけで人生の勝ち組になれる小学校という空間では、紛れもなく圧倒的強者だった。

特別容姿の整っているひとが好きな訳ではないが、私も初恋を奪われた一人だった。



さて。
この世界、男女の性とは別に、バース性と呼ばれるものが存在している。
アルファ、ベータ、オメガだ。

大半の人間はベータで、特出することのない一般人。
このバース性に翻弄されることのない、男女の性差のみで生活ができるひとたち。

アルファは、脳みその作りが違うって言いたいくらいにカリスマの揃う支配階級だ。
学業でも運動でも、その他でも、有能な人が多く、各種業界のトップや芸能人に多い。

残るオメガは所謂妊娠に特化した性別だ。
特別個体能力が高い訳でも低い訳でもないが、発情期…所謂ヒートが約三か月に一度あり、休みを余儀なくされてしまうことも相まって社会的な地位が低い。

女性のアルファは相手を妊娠させることができるし、男性のオメガは妊娠することができる。

性差での差別をなくそうという試みは常々あったし、実際オメガも以前より生きやすくなったとは言うが、人の心の中まではそうは変わらない。
意識的か無意識的かは置いて、冷ややかな視線を受けることはよくある。

そんなアルファとオメガに夢を見るひともいる。
所謂「運命」だ。

性交中にアルファがオメガの項を噛むことで番という彼らならではの絆を結ぶことができる。
どんなアルファとオメガにも番関係を結ぶことは可能だが、「運命の番」は話が違う。

彼らは出会った瞬間にお互いが運命だとわかるらしい。
ある人は目が合った瞬間に相手が欲しくなったと言い、電撃が走ったようだと言い、とにかくフェロモンを強く感じたと言うひともいる。
感じ方は様々だが、とにかく自分の感情とは別のところで「わかる」のだそうだ。

この約八十億人の世界の中で、ただひとりを見つけられた本能の歓喜とでもいうのだろうか。
番を持つことができないベータも、どこかに「運命」がいるかもしれないというアルファとオメガも、この運命の番に一度も夢を見なかった人間は少数派のはずだ。



そんなバース性の検査は中学卒業時。
家に着いた結果はなんてことない、ベータだ。
特出する能力がないことからアルファではないと解っていたが、オメガでもなかった。
運命なんて夢のまた夢だ。
あぁ、でも、オメガのヒートは大変そうだからベータでよかったかもなぁ。



なんて、思った、過去の自分をはっ倒したい。



今私が一人暮らしをする米花町は、やたら犯罪率が高く、道を歩けば事件に出会う、なんていう人もいるくらいだ。
いや、でも実際そうなのだ。
容疑者や被害者になる機会は稀だが、居合わせてしまうことは多い。
バスジャックやデパートの立てこもりなんかも含めたら経験者は右にも左にもいっぱいである。
いつか被害者の中で、あ、また会いましたね、なんて会話がなされる時も遠くないだろう。

その日も、私は事件に巻き込まれていた。
密室の中私は身体の自由を奪われていて、目の前で首に縄の掛けられた人も体の自由を奪われていた。
目の前の彼女は、私だったかもしれない。
何をもって犯人がこんな行動に出たのかがわからないから、想像しかできないけれど。

事件や事故に巻き込まれるのは、前述した通りよくあることだ。
それでも、目の前で誰かが死体になるのは、初めて見た。
その人とその瞬間、息を引き取る最期の瞬間まで目が合っているなんて、この日本で起こりえるのはこの町くらいではなかろうか。
私はただ、目を逸らすこともできず、頭が沸騰するのかそれとも底冷えしていくのかわからないような感覚を味わっていた。

甘い匂いが、どこかから漂ってきたのを感じて、私は意識を閉ざした。



目が覚めたら知らないベッドの上だった。
真っ白で清潔な様子から恐らく病院だろう。
どこか熱っぽく感じて頭がくらくらする。
熱っぽいのは困るが、病院と言うことは事件は解決したのだろう。

…ということは、目が覚めたことがわかれば検査と聴取が行われるだろう。
今回見たもの、自分の身に起きたことはなんっだっけな、とぼぅっとする頭で組み立てながら、ナースコールを押した。
思い出したくない見知らぬ人の死まで律儀に思い出してしまったが、それも聴取の一つだ。
語らざるを得ないだろう。

パタパタと足音が聞こえた後、ノックの後に扉が開かれる。

「二城さん、目覚めましたか?」

そう言って声を掛けてくれたのは白衣を着たお医者さまと看護師さんだ。
腕にはオメガの刺繍が見えた。

病院ではアルファとオメガの医師と看護師は両腕にそれぞれの刺繍が施されている。
ヒート等があったときに何か起きてからでは遅いからだ。
バース性に関する病気でなくても、突発的な精神不可等からバース性に関する不調は現れる可能性がある。
そのための措置だ。
私はベータだからアルファ、オメガ、ベータ全ての医療従事者に診察してもらう機会はあるが、二人揃ってオメガというのも珍しいな、と他人事に思った。

一通りの診察を受けてから、医師は小さく息を吐いた。

「単刀直入に言います。
貴方はオメガに性転換されました」
「は?」

唐突に言われた言葉に頭がついていかず、私は思わず音を零した。

「後天性オメガ、と言いましょうか。
日本ではまだ数件ですが、国際的に見ると認知度の上がってきた症例になります。
確かなことは言えませんが、症例から考えるに過度なストレス状況に陥った際、相性のいいアルファ、オメガが居たため性転換が為されたと思います」
「相性の、いい…」
「えぇ。
二城さんの場合は周りに<相性のいいアルファ>が居たため後天性オメガになりましたが、仮に<相性のいいオメガ>が傍にいれば後天性アルファに成りうる、と思われています」

とは言っても、現状では、後天性アルファはほぼ発見されていないそうだ。

医師の言った言葉に頭がついていかない。
言葉としては理解しているのに、気持ちがついていかない。
どうしよう、どうして、どうすればいいの。
そんなことばかりが脳裏に浮かんで、どうしようもない。

「私は…、これからどうしたら…」
「二、三日検査入院してもらいます。
入院中に、改めてオメガについて認識を深めてもらうことと、職場や役所へ手続きが必要なので早めにやってしまいましょう。
ヒートがいつになるかわからないので、退院の際に抑制剤は多めに渡しておきます。
思いがけない事ばかりで戸惑いも多いかと思いますが、私たちがフォローしていきますので、自分自身のことを大事にしてあげてください」

まるでテンプレートのような言葉を残して、医師は冊子と本を置いて出て行った。
バース性がわかるのは中高生の頃だ。
その中高生向けの「オメガって?」と記載のある冊子に、少し医学書じみた「オメガのすゝめ」とかいうちょっと破りたくなる本。

今自分で考えている熱っぽさは、ヒートではないがそれに近いものらしい。
これがずっとずっとひどく症状として出るのがヒートだと聞くと、近々やってくるだろうそれが恐ろしい。
大した症状でもないのに個室なのはそういうことだ。

今まで生きてきた人生が、百八十度変わってしまった。
そんな一日だった。






熱っぽいせいで重たい体をどうにかしつつ、会社に電話をしてオメガの女性社員に書類を届けてもらって、必要書類を書く。
自分でよければいつでも相談にのりますよ、と声をかけてくれた。
有難いことこの上ないが、現実逃避したい身としては曖昧に頷くに留めてしまった。
バース性に後天的に変わるなんて知らなかった、という雑談もしつつ、少しだけオメガ事情を話して彼女は退室していった。

役所に提出する書類もさっき看護師さんに教えてもらいながら書いたし、あと病院でやることは検査だけだ。
帰ってからやることを考える。
ひとまず、一回目のヒートがいつ来るか分からないから一週間分の食料を買わないと。
あとはチョーカーだ。
やっぱり一回目のヒートがいつ来るか分からない以上、身の危険はすぐそこにあると思って生きないといけない。
知らないアルファと勝手に番になるのは嫌だし、なった挙句に身勝手に解消されようものなら私は死に一直線だ。

現時点では相手と別れたくらいで死にたくなるとか有り得ない、と思ってしまうが、アルファに番を解消される、ということに関する絶望は、きっとその局面に立ち会わないと理解できないのだろう。

そういえば。
あの場には、私の<相性のいいアルファ>が居たんだよな、と思い至る。
相手に既に番が居れば、オメガの私にもアルファの相手にもフェロモンは分からないはずだが、わかったということは相手には番がいないのだと思う。
相手の人には、気付かれなかったのだろうか。
ベータをオメガに変えるほどの相性だったけど、運命足りえなかった。
そういうこと、なのだろうか。

そうであれば、少し複雑だ。
オメガになったとしても、相手と知り合えて番になるか否かを選択できるなら、まだオメガになった甲斐もあるというものだが、なり損じゃないか。

やってらんないなぁ、とベッドに寝っ転がって大の字になる。

「かみさま、私の運命はどこですか?」

思わず呟いた言葉は、何の気なしに呟いた言葉だ。
別に、心から運命を望んでいる訳ではない。
そもそも、本当に運命だったとして、わかるかどうかまだ私にはわからないのだ。

ただ、一度でいいから、こんな事態を招いた<相性のいいアルファ>に会ってみたかった。

ごろりと寝返りを打って、目を瞑った。






いつの間にか寝ていたらしい。
目を開くよりも先に窓と扉を挟んだ環境音が聞こえてくる。
瞼の向こうが明るいから、まだ昼間ということか。
なら、そんなに長くは寝ていないはず。

そんなことを思いながら、どろりとした甘い匂いが溢れていることに気付いた。
外国のケーキのような甘味料をたくさん使ったような甘さじゃなくて、且つ香水をつけすぎたような不快な甘さでもない。
正確に言えば、匂いだけならそこまで甘い訳ではない。
花の蜜のような甘さの中に、スパイシーさが含んだ香り。
心地よい香りだと思った。
どろりと甘いのは、香りそのものではなくて、熱だ。

そう。熱。

そう思い至ったところで、私は細く目を開いた。

「んぅ…」

ヒートだ。
現象自体は知っていて、感覚がわからないソレに気付いたのは、少なからず街中でヒートを起こしてしまった人を見たことがあるからだ。

熱っぽい吐息が無意識に零れる。
身体の芯が熱くて、ホシイ。

つい先日までベータだった私は今までに何人か恋人がいたし、感覚を知っている。
生憎イク、ということは理解できなかったが、恋人と致すにあたって不快ではない程度には楽しめた。

でも、今はそんな生温い物では足りない。
とにかく…、とにかく、ホシイ。
それ以外の言葉が出てこない程度には、本能に飲まれようとしている。

叶うなら。
この匂いの、主に。

薄く開けた視界の向こうで、何かが動いた。
それをもっとしっかり見ようと、もう少しだけ瞼を上げると、男が一人座っていた。
その瞳には熱があるように見えるが、どうだろう、よく見えない。
熱がこもっているのは私の方か、と自嘲する。

私と目が合って、彼は口角を上げる。
すると、ぶわりと甘い匂いが広がって、体の芯がより熱くなった。

「なん、」
「君はベータだと思っていたんだがな」

そう呟いたのは、なんとなく、耳馴染みのある声だった。
だれ?
音にしたつもりが、掠れた音にしかならず、私は口を噤む。

「幼馴染を忘れるなんて随分酷いじゃないか」

でも、私の言葉は彼に届いていたようで、彼はむっと口を尖らせた。

幼馴染。
太陽に反射して輝く金色の髪に、焼けた肌、蒼い、瞳。

あぁ。

「ふる、や…?」

初恋泥棒だ。

名前を呼ぶと、彼はまた口角を上げる。

「ひな」

その口角の上がった口から、ゆったりと、私の名前を呼ばれる。
その声一つでこんなに神経を高ぶらせることができるなんて、きっと、降谷以外いない。

「君を貰っても?」

改めて匂いの主を探さなくたって分かる。
目の前のこの男以外、いない。

「はやく、ちょ…だい…」

降谷に手を伸ばすと、彼はその手をべろりと舐めた。
それだけで神経を揺さぶられて、ビクリと身体が跳ねた。
そんな、まさか。

「舐められただけでイクのってどんな気分?」

自分の身体の状況を的確に言い当てられて、全身が火照る。
恥ずかしくて死にそうだ。

降谷が触れる場所がとにかく熱い。
顎を持たれて舐められた唇も、その唾液も今までの経験にはない甘さで、あぁ、これが〈相性〉なのか、なんて、ベータでは知り得ない事実に私は震えた。
尋常じゃない色香を持った男に溺れるまで、あと一秒。






目を覚ました時、私はひとり布団にくるまっていた。
スマホで時計を確認すれば、翌日の朝になっている。
昨日人の身体を好きにしてくれた男は既に部屋にも居らず、甘い匂いだけが残っている。

まだ体に熱はあるが、昨日ぐずぐずになるまで溶かされた結果、多少は発散できているらしい。
恐る恐る項に手を伸ばすと、さらりと指が滑る。
噛み跡などはない様で、少しだけ安心した。



朝の検診にやってきた看護師さんはどうやら〈相性のいいアルファ〉が来ていたことを知っていたらしく、相手の方がいらっしゃってよかったですね、と優しく微笑んでいる。
それもそうか。
知らない…正確には幼馴染だったので知っていたが…アルファに襲われた実績など病院内では作れないだろう。

そして検査の中で、衝撃の事実を知ることになる。

「え。
ヒートじゃないんですか?」
「えぇ。
数値的にもまだヒートと言えるものではありませんね。
オメガになったばかりで不安定なので、瞬間的にはヒートに近かったかもしれませんが…」

血液検査の結果を見ながら言う医者に嘘だろ、と言い返したい。
あれだけ、ぐずぐずのどろどろにされたというのに、あれがヒートじゃないなんて。
あれ以上が存在するなんて。

「今日の検査で問題なければ、明日退院ですね。
安室さん、迎えに来てくれるそうですよ」

あむろさん?
誰だ、それは?
思わず首を傾げると、あれ、と看護師さんが呟く。

「相手のアルファの方ですよ。
お名前、聞かなかったですか?」
「相手の、アルファの方…」

あれ、これ、名前聞いてないでやることヤってる認定になる?怖。

そんなことを頭のどこかで考えながら、昨日部屋にいたのは降谷じゃなかったのか、と首を傾げる。
降谷と呼んだ時、笑っていたし、幼馴染だと言っていたのに。
そもそも、あんな造形美がこの世の中に二つも三つもあるのか。

「聞いたと思ったんですけど…忘れちゃいました」

あはは、と苦笑すると、看護師さんも納得したのかふふ、と笑ってくれる。
記憶が飛ぶくらい激しかったと思われるやつ〜〜。

「安室さん、大分上位のアルファだったので、そんな方と相性のいい二城さんはラッキーですね」

上位も下位も、私の人生に関わりはないから正直どっちでもいい。
ただ、もし、その安室さん、とやらが昨日の記憶通りに降谷なら、それは少し、嬉しいかもしれない。
なんせ初恋泥棒だ。

中学校は別だったから、初恋の記憶は綺麗なまま、淡いままで保存されている。

「彼、初恋の人に似てたので…ちょっと嬉しいです」

素直にそう告げると、看護師さんは少し楽しそうだ。
女子に多い恋愛話が好きなタイプの様だ。

「えー!
これで実は本人で、運命だったりしたら最高じゃないですか!」

運命かどうかはわからないけど、たぶん、記憶さえ改竄してなければ、本人である。
じゃあ昨日の状態で正気を保ってたか、と聞かれると正直自信はないので、誤魔化したほうがいいだろう。

「昨日顔見たとき、本人かと思っちゃいました」

そう言うと、きゃー、とまた彼女は楽しそうに笑った。






翌日、検査に問題がなかったので退院となった。
宣言通り迎えに来た「安室さん」は記憶さえ正しければ降谷そのものである。

「…安室さん?」

病室に現れた彼に声をかけてみると、はい、とにっこりと笑った。
降谷とは思えない、人好きのする笑みだ。

「荷物持ちますね。
体調は大丈夫ですか?」

腰も、とつつつ、と背中から腰に掛けて手を添わすのをやめてほしい。
一昨日の熱が蘇りそうだ。

「大丈夫です、荷物も。
迎えに来てくれたらしいですけど、この後のご予定は?」

一応他人の体で話しかけると、僕の部屋に、と笑う。
いや、これ、他人だったら事案では?

「…よろしくお願いします」

一昨日のように高ぶるものはないが、この匂いは、何よりも代えがたいものだと本能が訴えてくる。



病院を後にして、宣言通り彼の家に着く。
部屋に上がってから彼の表情を見るとさっきの笑顔はどこに行ったと言わんばかりに真顔になっている。

「え、誰」

思わず言うと、舐めてるのか、とまるで違う口調で返された。

「仕事の都合上外では安室透と名乗っている」

外では会っても声をかけるな、などなど言われて、この人は何を言っているのだろう、と首を傾げた。

「降谷?」
「…違う人間にでも見えるのか」
「そんなこたないです」

正直顔面は降谷にしか見えない。

「…後天性オメガ、だったか?」

二人してソファに座ってから、私の診断結果を見て降谷が呟く。

「だって。
ずっとベータだったからびっくりしちゃった」
「だろうな。
噂程度に聞いたことはあったが、実物を見たのは僕も初めてだ」

今度は項をするりと撫でる。
一昨日わかったことだが、どうやらオメガの項は性感帯になるようなので程ほどにしていただきたい。

「…まぁ、でも、君がオメガだと言われても、違和感はないな」
「え?」

昨日は私の事ベータだ、とか言ってたのに、どういう心境の変化だ。

「小学校の頃、ずっと気になっていたんだ。
好き、とも、嫌い、とも違う、匂いの…本能のところで」

がっしりと、腕を掴まれて、腰を抱かれる。
にっこりと、その造形美が安室さんとは違う笑みを浮かべる。

「ようこそ、鳥籠へ。
僕の運命」

私は、来てはいけないところへ着いて来てしまったのかもしれない。
そう理解するのに、時間はかからなかった。