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就職した会社はヘルスケアを中心とした中小企業だ。
バックオフィスなので一度出社するとオフィスの中に籠っていることが多い。

前の世界でも総務は少しやっていたので、庶務的なことは会社の癖さえ学べば馴染めそうだった。
少しバタバタとしている内にポアロに顔を出す時間もなく、春が終わろうとしていた。

そんなある日のことだった。
久しぶりに諸伏さんに呼び出されて、私は彼と個室で食事をしていた。
まさかの焼肉屋さんで疲れた体に動物性タンパク質は染み渡るようだった。

諸伏さん情報で、伊達さんはそのまま捜査一課に残っていることを聞いた。
松田さんと違って安室さんと出会うことがあっても大人な対応をしてくれるだろう。
いや、松田さんが子供っぽいとか、信用がないという点ではなく。
人となりの問題だ、うん。
あとやっぱり高木さんと佐藤さんのことを考えると松田さんはフェードアウトしてもらうくらいがちょうどいいと思う。
人の気持ちまでは測れないから、殊更。

最初こそ、二月の事故の件について改めてくどくど言われたり、私の新生活についての話をしていたりとしていたわけだが。

「お願いがあります!」

唐突に、一際お値段の張る美味しそうなお肉を前にして笑った彼に、私は頭を下げて答える。

「嫌です!」

私の返答を受けてえぇ、と軽く目を見張る彼は、出会った頃よりもお茶目さんだ。

「なんで!?」

じゅー、と焼かれる目の前のお肉。
焼肉屋さんの個室ということで周りも音が賑やかだからちょっと隠したい会話にちょうどいいらしい。
もちろん盗聴器の類は確認済みだ。

「緑川さんが畏まって言う時は碌な事がないからです」
「そんな事ないって〜」

あはは、と笑う彼をじと、っとした目で見ると両手を合わせて片目を瞑る。
自分の顔面がいい自覚があるとしか思えない。

「お願い、ひなちゃん!」

そもそも。
勢いよく反射で嫌ですなんて答えたけれど、私にこの人の言葉を本気で否定するなんてできないのだ。
警察学校組が好きで、何度も何度もアニメも漫画も見直した。
在宅ワークの度に見返して、長野がメインのあの雪の映画の、高明さんとのシーンも何度も見返した。
あのひとも、あの三人も当然ながら、この目の前の彼にも、私は幸せでいてほしいのだ。

「今回はなんですか?」

はぁ、とため息をついて、そう聞くと、彼は嬉しそうに口角を上げた。

「暫く、通って欲しいお店があるんだよね」

嫌な予感とは当たるものだ。
彼のその言い方だけで、そのお店の想像は容易い。

「どうしてです?」

だから、場所、ではなく、理由を問うた。

「知り合いが働き始めたから、データの受け渡ししてほしいんだ。
ポアロっていう喫茶店なんだけど…」

一応店名も出してくれた彼をじと、っとした目で見ると、彼はあくまで笑みを崩さない。
綺麗なご尊顔です事。

「…私が“知ってる”って、わかってますよね?
緑川さん?」
「だから!
お願いします」

そう。
繰り返すが、私はこの人の言葉を否定するなんてできないのだ。
そんな、わかりきったこと。
私は耐え切れず、またため息を吐いた。

「わかりました」

そう言うと、彼はまた嬉しそうに笑った。