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ヒロが死にかけたあの日、階段を上っていた僕は唐突に「あしおと。」のメールを思い出した。
数段は気持ちが急くままに足音を奏でてしまったが、急く思いを必死に堪えて、音を立てずに屋上へと登り切った。
目の前には緊張の面持ちで銃を掴んでいるヒロとライ。
ライは相変わらずの表情で僕を見ていたが、ヒロが銃を持つ手から力が抜けたのを見て、やつも銃を下ろした。
「ひとりか」
ヒロの言葉に頷くと、ヒロは表情からも力を抜いた。
「…仲間か」
ライの質問に状況が呑み込めず無言を貫くと、ヒロは頷いた。
「ゼロ。
ライは僕たちと一緒だ」
その一言で、漸く僕は緊張が解けた。
「…っ、よかった」
ただひとこと、振り絞ったような思いを伝えて、ヒロの前で蹲る。
「流石に、もうだめかと思ったよ」
ヒロの温かい、血の通った手が肩に触れて、力強く掴まれる。
少し痛むくらいの力が、ヒロが生きていると教えてくれる。
その手に触れて、僕は両足に力を入れた。
その後ヒロの死を偽装して、屋上を離れる。
気を引き締めろ。
僕は僕の為に、途中離脱となったヒロの為に、そして日本の為に、折れる訳にはいかない。
ヒロは表向き死人として、僕のバックについてくれることとなった。
少し気が抜けたのか、今日は警察学校時代の同期の飲みに参加している。
もちろん僕は不参加だが、先月、偶然にも萩原以外の二人と顔を合わせられたので気持ちは軽い。
死にかけた直後だ、これくらいのご褒美は目を瞑るところだろう。
そんなヒロが、日付を超えた頃にやってきた。
「ただいま」
物音の立て方がヒロひとりのものだったので、声をかけられてから僕はおかえり、と言いながらパソコンから彼へと視界を映す。
「どうだった?」
やはりどこか軽そうな、そして嬉しそうな声音でヒロは笑う。
「相変わらず。
連絡寄こせって」
大方予想通りだ。
先月も同じことを二人揃って言われている。
「会わなくていいから顔見せろ、とも言われたな」
「なるほどな」
その言葉は頭に入れておいてもいいかもしれない。
決行することはないだろうが。
パソコンに視界を戻して、細々とした作業を続ける。
「そうそう、萩原の家に行ったら女の子がいたんだ」
「女の子?
萩原の彼女?」
萩原の周りに女の子が絶えないことは以前からだ。
家にいたってことは漸く一人に絞ったのか、というところが本音ではあるが。
「それがさ、萩原が卒業してすぐに爆弾事件に巻き込まれてただろ?
あの時の被害者なんだって」
五人でつるんでいた内、さっそく一人死んでいったのかと思ったあの事件のことだ。
まだ組織に潜入していなかった僕は、思わず公安のネットワークで調べてしまった。
「ホォ」
「妹みたいな感じで仲がいいらしい」
妹。
悪いことではないが、萩原の日頃の行いを見ると眉間に皺が寄る。
「萩原の傍にいたら危ないんじゃないか?」
僕の返しが想像ついていたのだろう。
ヒロはあはは、と軽く笑う。
だが、その軽さは次の瞬間にはなくなっていて、真剣な声音でヒロは呟く。
「ないと思うよ」
「ん?」
「あの爆発事件の時に、表向きは警察が助けた一般市民、だけど。
萩原はそうは思ってないみたいだ。
あの子がいたから、助かったんだって。
萩原の、かみさま、なんだって」
かみさま、か。
萩原らしい響きだ。
「熱烈だな」
茶化す気持ちでそう言うと、ヒロもね、と頷く。
「でも、――」
「え?」
でも、の後が聞き取れずに、僕はまたヒロを視界に入れた。
なんでもない、と言って誤魔化すヒロは、少し様子がおかしい。
「でさ、その子、同い年らしいんだけど」
「妹みたいなのに?」
つい先ほどヒロから得た情報を返すとあぁ、とヒロは頷く。
「中学の時に事故って植物状態だったらしい。
で、その四年前の事件の日に目覚めたから、年齢感覚バグってるみたいだな」
へぇ、と話半分で頷く。
事故で植物状態になってから、爆発事件の日に目が覚めるとは随分大変な人生だな、なんて思っていた。
僕の興味がないことがわかっていたのだろう。
「ゼロ、覚えてない?
第二中の女子の事故」
ヒロは唐突に過去の思い出を持ち出してくる。
あの事件は、僕たちが出会ってから初めて警察沙汰になった事件だ。
ヒロが警察に、僕が救急に連絡をしたが、コトの終わり方を僕たちは知らない。
彼女が無事かどうか、僕たちは知らない。
「そりゃもちろん、覚えて…」
そこまで答えたところで、僕は息を飲んだ。
唐突に、十年も前の話を持ってくるということは。
思い至った答えが呑み込めず、僕はヒロと視線を合わせた。
「まさか?」
してやったり、とした表情のヒロが、徐に口を開く。
「そのまさか、だったよ」
そのヒロの頷きが呑み込めず、僕は時が経つのを忘れた。
あの時の女子は、子供を身を挺して守った子だ。
僕たちに共通して知る、ひとつの正義の在り方。
情報はないが、きっと無事だと信じていた。
高校、大学と、一緒になることなんて奇跡みたいな数字だと解ってはいたが、どこかに居ないかと探すこともあったような、そんな淡い思い出の一つ。
「…そ、か」
力が抜けた。
抜けた代わりに、口角が上がるのがわかる。
「記憶喪失らしいけど、事故当時のことは少し思い出してたみたいだったよ。
元気そうだった」
「よかった。
ちゃんと、命を守る手伝いができてたんだな、僕たち」
幼い頃の忘れられないいちにちが、殊更に美しく、かけがえのないものになった。
そんな日だった。