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まさひなさんが次にコーヒーとショートケーキを頼むとは思わなくて、僕は鳩が豆鉄砲を食ったように驚いた。
いや、こんなどこにでもいるような女性がヒロの協力者?
そもそもどこで出会ったんだ、なんて野暮な疑問まで浮かんでくる。
直近で知り合ったような女性を協力者にするとも思えないし。
疑問は深まるばかりだった。
そしてそのコーヒーを飲み終わった後、彼女は僕を呼び止めた。
「紅茶、お願いします」
あぁ、まさか、が、現実になった。
思わず上がった口角を一瞬で安室に戻す。
「かしこまりました!」
そう言うと、彼女はくしゃりと笑みを作った。
受け渡し方法は特に指定していなかったが、直前までなかったポーチが無造作に口を広げて置いてある。
彼女はポーチの中に入っていただろう鏡の中の自分を見ていた。
「お待たせいたしました」
紅茶のカップと一緒にポットを置いて、傍に置いていたポーチに、USBを滑り込ませる。
ヒロの助言があったのかどうかはわからないが、もし自己判断なら彼女はなかなかやれるタイプだ。
しれっと鏡をしまったポーチを鞄に滑り込ませながら、彼女は鈴のような声で礼を言った。
ポットから最初の一杯をティーカップに入れて、ストレートで飲む。
コーヒーを口に入れたときは渋い顔をしていて、すぐに砂糖とミルクを入れていたことを考えると、彼女は紅茶派だろう。
「…美味しい。
幸せ…」
やっぱり、と思ったついでに、可哀そうに、あとでヒロを詰っておこう、と考えた。
先ほどまでとは打って変わって和らいだ表情が、彼女の印象を変えた。
ふふ、と笑うと、彼女は少し気まずそうに笑った。
梓さんの退勤後、静かになった店内で僕は雑務に勤しんだ。
彼女は紅茶を飲みながら小説を読でいる。
ひとまず作業を終えて彼女の容姿を改めて見ていると、どこかで見たような顔だと思った。
最近、ではないはずだ。
警察学校の同期だったら、別の教場だとちょっと微妙だな。
だが、僕たちの立場で警察官を協力者にする可能性は低いか、と思いついた案を破棄した。
そんなことを思っていると、彼女が小説から顔を上げる。
「なにか、ついてますか?
私の顔」
「いえ、…誰か、知り合いに似てる気がして」
そう言葉にしてから、どこのナンパだ、と思う軽い言葉だと気付いて自分に嫌気がさす。
「ふふ、私は、安室さんみたいな笑顔が眩しいイケメンさんの知り合いはいないですね」
彼女の言葉に反射で笑って返す。
ヒロとは人生の半分以上を共にしている。
一度聞いてもいいかもしれないが、なんとなく癪だった。
何の情報もなく彼女を待ち構えた僕のことをからかっているとしか思えない。
慈しみを含んだ表情だった彼女は、唐突に目に力を込めた。
どうしたのかと思うと、その目に涙の膜が張ったように見えた。
何故、どうして。
そんなことを思ったけれど、このまま彼女を帰してはいけないと思った。
紅茶を煽ってオーダーシートを持つ彼女の名前を呼ぶ。
すると、彼女はぱっと顔を上げた。
「不快でなければ、ここで気持ち吐き出していってください」
そう伝えると、少し驚いた表情が、くしゃくしゃと歪んでいく。
「そんな迷惑なこと…」
「もうラストオーダーの時間ですし」
言い訳を紡ぐ彼女の言葉を遮って言った後、扉に掛かるOPENのプレートをCLOSEに変えて、ブラインドまで下げる。
「そんな泣きながら外に出たら、事故に遭うかもしれません。
ね」
二月に事故に遭ったという彼女。
丁度同時期、班長も事故に遭ったそうだ。
ひとはいつ、どこで死につながるかわからない。
少なくとも彼女はヒロが協力者にしていいと思えた信頼できる相手なのだろう。
そんな相手に危ないことはさせたくはなかった。
くしゃくしゃの顔から、ぼろりと零れた涙。
それが酷く、無垢なものに思えた。
一粒流れると、遮るものがないように次々と流れていく。
「っ………ひっく……」
一度しゃくり上げた彼女は、二度と声を漏らさないように、カバンに入っていたハンカチを目に押し当てて、ただ、泣いていた。
その小さな肩を抱くわけにもいかず、やらなくていい仕事を手持無沙汰に始めた。
お手拭きを一つ、冷蔵庫に入れるのは忘れずに。
ひなさんが小さな声でお礼を言って顔を上げる。
その前に、冷蔵庫に入れたおしぼりを置いた。
「ご迷惑おかけしました」
会計の際に改めてそう言った彼女に、いえ、と笑う。
何も言われなかったが領収書を切ると、彼女は安心したように笑った。
USBと一緒にヒロに渡してくれ。
「これからよく来てくださるんですか?」
「はい、梓ちゃんもあぁ言ってくれてたので」
「ありがとうございます。
まだバイト始めて日が浅いので、いろいろ教えてください」
ふふ、と彼女が笑う。
強かだと思った。
さっきまで壊れそうに泣いていた彼女が、綺麗に笑う。
「では、失礼します」
「ありがとうございました」
そう見送ろうとしたところ、扉に手を触れた彼女が、ぽつりと呟く。
「あの…今…」
「はい?」
中々そのあとの言葉が紡がれず、催促をしてみると、彼女は小さく頭を振った。
「“あなた”に、いつか聞きたいことがあるんです」
彼女が言った“あなた”が、決して安室ではないことだけはわかった。
ヒロが彼女にどこまで告げているのかはわからないが、僕のしている仕事の片鱗は理解しているらしい。
「いつか、僕に答えられることなら」
あえて安室透としてではなく、降谷零として、気を使わない表情で答える。
それを見て、彼女はわずかに目を見張った。
「お待ちしてますね」
直後に安室の仮面を被って、彼女を見送った。
その背中が、来店した時よりもUSBを渡した時よりも、泣いていた時よりも、凛と美しく見えた。