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結果五日ほどで終わった入院生活の後、私は親戚の家でお世話になることになった。
五日間で何度か両親と顔合わせはしたが、双方ぎこちなさが残ったためだ。
中卒の身の上の私は、親戚の家でお世話になりながら高卒認定を受けることにした。
家に籠りながら、というのも精神的に参りそうなので、図書館であったり近くにあった喫茶店ポアロであったり、多くのところで勉強していた。
非番の日は萩原さんがたまに顔を出してくれて、理数系は教えてくれる。
なんと、萩原さんは同い年だった。
記憶はないが、感覚は残っているのか、気分は中高学生のようだ。
萩原さんはとてもお兄さんのように思える。
そう伝えると、萩原さんも俺も、と同意する。
「ひなちゃんは、同い年なのに妹って感じするんだよなぁ」
そんな会話をして以来、私は彼を研にぃと呼ぶようになった。
彼は、あの爆発事故の後、内勤勤務となったそうだ。
逃げる途中の身体の打ち方が悪かったのか、時折右半身にしびれがあるらしい。
「これじゃあ爆弾処理はできねぇよ。
事件のあった日丁度痺れてます、なんて言えないしな。
…あの日、ひなちゃんが居なかったら死んでただろうし?
命があっただけありがたいよ」
そう言って、彼はよく私の頭を撫でた。
一部メディアが誤って警察官が一名死亡したと報道していたらしいが、俺は死んでねぇっつーの、とよくぼやいている。
高卒認定が取れた後、私は大学進学を決めた。
一年が経ったが、記憶が戻る気配はない。
家族ともまだぎこちなく、会うのは年末年始くらい。
今は親戚の家も出て一人暮らしを始めたところだ。
高卒認定が取れた直後はセンター試験まで日がなかったこともあって、一年間みっちり勉強して来年受けることにした。
そこそこ勉強に向いているタイプだったらしく、どうせならと最難関の国公立、東都大学だ。
学部は日本史か国文科あたり。
日本に触れている時間は、純粋に楽しかった。
受験勉強と一緒に、私はポアロでバイトを始めた。
ポアロのマスターは私の事情を知っており、勉強も応援してくれている。
「お店空いてたら、勉強しててもいいよ」
そう言ってくれた優しさに甘えている。
そして25になる年、私は晴れて大学生になった。
ポアロでバイトをしながらの大学生活は楽しく、歳は少し離れるが友達もできた。
気持ちは同年代なので、一緒に同じように楽しめるのも相手にはちょうど良かったようだ。