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ひなちゃんが伊達の事故を庇ったと聞いた時から、交通課の友人何人かに頼んでいたことがある。
ひなちゃんを見かけた時に、怪我をしていないか、変な人間が彼女に近寄っていないか、教えて欲しい、と。
連絡がある時は日に何度もあったし、ない時は全くない。
そんな程度の“お願い”だったが、最近緊急発令を出す事態に陥った。
ひなちゃんと一緒に、チャラい男の目撃情報が相次いだのだ。
聞いた特徴から全て同一人物らしく、不特定多数に絡まれている訳ではないのは一安心だが、問題は相手がひなちゃんだと言うことである。
ひなちゃんは俺が知る限り青春と言われる時期の大半を寝たきりで過ごし、目覚めたあとも友人付き合い以上の経験はない。
しかも基本同性。
そんな、彼女が、チャラい男に、連日、絡まれている。
一大事だった。
俺の神様が危ない。
その日も、相手に彼氏ができるまでは合コンの幹事をし合っていた宮本由美からの電話があったのだ。
「萩原さーん、今日もデート中ですよー」
少しやる気のない抜けた話し方。
もちろん仕事の端末で話せる内容ではないので私用のものだが、スマホを持つ手が思わず力む。
「デートって言わないで、由美ちゃーん」
「いや、男女が連日二人で出かけててデートじゃなかったらなんだっていうんですか?」
言ってることは真っ当だ。
真っ当すぎて何も言い返せない。
言い返せないけど、そんなことは関係ないのだ。
「駅前の焼肉」
「明日よろしくお願いしまーす!」
出費は痛いが背に腹は変えられない。
由美ちゃんからの電話を切って、そのままひなちゃんに架ける。
何コールか待ったが、コール音は途切れ通話に変わった。
「もしもし、ひなちゃん?
今どこにいるの?」
彼女の声が聞こえる前に聞くと、少しの無言の後、彼女が答える。
「ショッピングモールの前にいるけど」
「わかった」
そう言って通話を切って、由美ちゃんにメールでGOサインを送る。
その後数分待つと、相手からメールで連絡が来る。
それがいつもの流れだった。
だが、今日は違った
「私が誰と遊ぼうと付き合おうと結婚しようと、研にぃには関係ありません!」
由美ちゃんから電話があって、その一言を言われる。
「伝言預かったんで。
そろそろ引き際見極めないと、本気で嫌われちゃいますよ」
いつも間の抜けた彼女の声が、少し真面目なトーンで俺の鼓膜を揺らす。
足下から地面が崩れていくようだった。
いや、確かに最近はひなちゃんが大分イライラしているのは分かっていたけれど。
「…わかった、ありがと」
「明日の焼肉、ナシでいいですよ」
もう一度礼を言って、通話を終えた。
そして、ひとりデスクで頭を抱える。
「えぇぇ…」
ひなちゃんに嫌われたら、俺、この先どうやって生きていけばいいんだ?
翌日、庁内の廊下でたまたま会った班長に思わず第一声でどうしよ、と言ってしまった。
俺が班長に泣き言を言うのは今までにもあまりなく、班長は目を丸くしていた。
「どうかしたのか?」
休憩所で缶コーヒーを渡される。
礼を言って受け取るそれはひんやりとしていて、少しだけ正気に戻れるような気がした。
「ひなちゃんに嫌われたかも…」
「は?
お前がひなちゃんに?
何かやったのか?」
俺がやらかしたこと前提である。
いや、事実そうだからなにも弁明できないのだが。
事の顛末を説明すると、班長は爪楊枝を咥えたまま器用にため息をついた。
「どう考えてもお前が悪いな」
予想通りの言葉が返ってきて、だよなぁ、と呟く。
自覚があるから何も言い返せない。
「自覚があるなら謝ってこい」
「あぁ…わかってるんだけどな」
既に嫌われていたら、と思うと怖すぎて会いに行く勇気が持てないのだ。
踏ん切りのつかない俺を見て、また班長はため息を着く。
「ひなちゃんは一度内側に入れた人を、簡単に嫌いになるような子じゃないだろ」
そう。
大切なものを、命を懸けて大切にする子だ。
止めてくれ、と言っても聞かないだろう。
証拠に、彼女は以前班長の事故に出くわして怪我を負っている。
あの日、ひなちゃんが目を覚ますまでの三日間、次に携帯を開いた時には、ひなちゃんの訃報が入っているかもしれない。
そんなことを思い続けて、とにかく着信音が恐ろしかった。
そんな恐怖は二度と味わいたくない。
だが、きっと、あの日まで、俺は彼女の内側に居なかった。
初めて会った頃、ひなちゃんは大切なもの自体がわからないようだった。
病院での爆発物解体を手伝ってもらった後、それは少し変わって、大切なものは、まるで自分が触れてはいけない宝石のように、遠くから眺めているようだった。
去年の事故の後、ようやく彼女は、他人を内側に入れた。
それと同時に、自分が他人の…例えば、俺の内側にいることを自覚したのだ。
ふと、あの三日間の事を思い出して肝が冷える。
少し感情的になっていたのも落ち着いて、俺はコーヒーを飲み干した。
「ありがと、班長」
おぅ、と頷く班長に片手を上げて仕事に戻る。
ひなちゃんの職場に行く算段を頭の中で立てて、仕事を終わらせるために俺は執務室へ急いだ。
無事ひなちゃんの終業までにひなちゃんの職場に着くことができた。
少し待っていると、いつものオフィスカジュアルでビルから出てくる。
ひなちゃんは一瞬俺のことを視界に入れたが、そのまま家路へと足を進める。
普段こうして立っていると駆け寄ってくれることを思うとまた心がズシリと重たくなったが、負けじとその後を追う。
「ちょっと、ひなちゃん」
その背中に声を掛けても立ち止まってくれない。
「怒ってる?」
少し足を早めて、今度はひなちゃんの横を歩く。
視線すらこっちに送ってくれない。
やばい、俺、ひなちゃんにずっとこんな態度取られてたら本当に死ぬかも。
「…ごめん」
そう思うと、こぽりと謝罪が口から溢れた。
自分が思っていた以上に弱った声で、我ながら呆れた。
「ひなちゃんが嫌がってたのに、ごめんな」
そう言うと、ひなちゃんはちらりと俺を見た。
眉がつり上がっていて、怒っているのがわかる。
「私が、嫌がってるのわかってたんだよね」
「うん。
心配してる、なんて俺の勝手な都合だよな」
そう返すと、彼女はため息をひとつ着いて足を止めた。
通行の邪魔にならないように端によって向かい合う。
「私は、研にぃに言う必要があることなら言うよ」
「うん」
「…彼とは付き合うことは無いし。
でも、中学からの知り合いなの。
懐かしくて会ってるだけだから」
そう聞いて、ほっとした。
ひなちゃんと出会うより前のひなちゃんのことを、俺は知らない。
出会った時は記憶を失っていたし、思い出してからもその話題を口にしたことはなかった。
ただ、以前の友人と連絡をとってる様子は見受けられなかった。
そんな彼女が意図的に会っている相手だ。
異性でチャラくても、大切な繋がりのひとつなのだろう。
「そっか、中学の…」
「だからね。
…研にぃ、お腹空いた」
それは、彼女からの仲直りの通達だった。
思わず口角も上がる。
「よし!」
ひなちゃんの手を取って、駅前に向かう。
「おにーさんが美味しいお店連れてったげる!」
「私の好きなものある?」
「モチのロン!」
ひなちゃんとの付き合いも七年目だ。
彼女の好みは熟知している。
合コン会場で新しい店を開拓する度にひなちゃんが好きそうなメニューがないか、本当にひなちゃんの好みの味か確認するのは俺の日課だ。
「今はね、研にぃたちと話したり、仕事してるのが楽しいの。
それ以外はいらないんだよ」
ポツリと呟いた彼女の言葉は、嬉しいけれど、どこか排他的で悲しくなる。
俺は、こんなにも彼女を思っているけれど、それは決して恋では無い。
恋にはならない。
それでも、愛しいこの子を本当に幸せにしてくれる男がいつか現れるなら、その背を押したいのだ。
君には、いつも、幸せでいて欲しい。
叶うなら、君か俺、どちらかが死ぬまで、その幸せを見守っていたい。
翌日、俺は連絡を取っていた交通課の友人たちにメールを送った。
ひなちゃんを見かけたら、怪我をしていないか教えて欲しいこと。
あのチャラ男以外で変な人間が寄り付いていないか教えて欲しいこと。
由美ちゃんからは反省してないですね、と返信が来たが、それはあえて無視することにした。