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サミット会場の視察を数日後に控えたある日、萩原が一人でポアロに来た。
あの日、東都水族館での一件以来、萩原の立ち位置が変わったことはヒロから報告を受けていた。
先日松田と班長とポアロにやってきたのは、ファミレスで見られたこともあるかもしれないが、それ以上に立場が変わったことによる情報共有のためだろう。
まだ実務で使えるレベルではないから渡している情報は限られているはずだが、僕、ヒロ、そしてひなさんという接点がある萩原には僕もヒロも期待している。
特に僕は、必ずひなさんを守れる立場にはいないので、ヒロと萩原を頼れるなら有難い。
本人には言わないが。
「安室さんって探偵なんだって?
パソコン得意?」
そう聞かれて、僕はまぁ、と頷く。
必要があればハッキングもするので、世間一般で言えば得意の部類だろう。
僕個人としては体を動かしている方が性に合っているが、安室とバーボンのキャラクターとしてはパソコンに向かっている方がいい。
悲しい話だ。
「今勉強中なんだけどさぁ。
これわかる?」
そう言って見せられたのはハッキング画面だ。
恐らくヒロが作った練習用。
「僕が答えたら意味ないんじゃないですか?」
「えー融通効かねぇなぁ」
恐らく僕が答えるとは思っていないだろうが、萩原は軽口を叩く。
これくらい軽くやれるようになってもらわないと実務では使えない。
心を鬼にして頑張ってもらうしかない。
そもそも、萩原は恐らくこういった作業に向いている。
細かいことが好きだし、機器の修理をしていたのだから、何かの穴を見つけるのは得意なのだ。
今は協力者候補として留まっているが、上手くシフトチェンジできればこのまま公安に引っ張りたいくらいだ。
軽口を叩きながら、手の動きは止まらない、が。
「あ」
ちらりと覗くと、画面に爆発マークが映っている。
失敗したらしい。
「やり直しですね」
「くっそ。
いい線いったと思ったんだけどなぁ…」
一息ついたあと、また萩原はパソコンに向かった。
そんなやり取りから暫くして、ひなさんが来店した。
「お、ひなちゃん。
やっほー」
「やっほ。
またポアロ通い始めたんだね?」
萩原はそれとなくノートパソコンを閉じながらコーヒーカップを手に取る。
随分前に提供したものだからだいぶ冷めているはずだ。
「おぅ!
やっぱり梓ちゃん可愛いし。
コーヒーも上手いしな」
ふーん、とジト目で萩原を見た彼女は、視線を僕に移す。
「安室さん、ミルクティーホットでお願いします」
「かしこまりました」
ティーポットと茶葉を準備している間に彼女は萩原の横に座っていた。
「珍しいよね、研にぃがノート持ってるの。
お仕事は外じゃ出来ないんじゃないの?」
萩原の本来の業務は無理だろう。
そして、ヒロが萩原に頼もうと思っている仕事も無理だ。
今日やっていたのはゲームみたいなものだからできるだけ。
なんて答えるかな、と無言を貫いていると、萩原はぱっと笑ってそれがさ、と意気揚々と話し出した。
「今ハマってるネット小説があってさー。
ひなちゃんも読んでみる?」
「私恋愛小説以外興味ないよ」
「えー、ミステリーも面白いよ?
さっき安室さんにも勧めててさ」
勧められた覚えは無いが、ひなさんもお茶を濁しているだけだと気付いているのだろう、ふぅん、と頷いた。
萩原の語りを見事にスルーしたあと、ケーキサーブ用の冷蔵庫を見て、彼女はあ、と呟いた。
「安室さん、ショートケーキまだありますか?」
彼女は自分にご褒美、と決めてる日にケーキを注文するらしい。
なら丁度よかった、と頬を綻ばす。
「ひなさん、実はショートケーキを改良したんですよ」
「え!」
目を丸くした彼女。
今までに作っていたショートケーキが好きなようだったから、彼女にとっては改悪になってしまっただろうか。
いや、だが、彼女の注文と食べ方、表情から察するに今作っているケーキの方が好みに近いはずだ。
「是非食べてください」
新しくしたケーキを盛り付けて持っていくと、ひなさんはケーキと僕を真顔で見比べたあと、手を合わせて目を輝かせた。
「いただきます!
美味しそう〜!」
ケーキを切り分けで頬張ったる彼女は、破顔する。
「ん〜!」
横にいる萩原の肩をバンバンと叩く彼女の様子に、僕と萩原は笑う。
「美味しい?」
萩原の問いに彼女はコクコクと頷いた。
壊れた人形みたいだ、とは言わないでおく。
貶してない、可愛いと思ってる、信じて欲しい。
「も、めちゃくちゃ!
すっごい美味しいです!」
「喜んでもらえたようでよかったです。
ひなさんは、甘すぎないケーキの方がお好きですよね」
「そうなんです。
ちょっと甘すぎるとしんどくて…」
頬を掻きながら苦笑する様子が可愛らしい。
元々のポアロはそんなにケーキの種類はなかった。
マスターのレシピはそれぞれ秀逸だが、ひとりの人間が考えている以上、感性は偏る。
「でも、これはもうペロリですね!
リピーターになっちゃいそう」
「是非、いつでも食べに来てくださいね」
「はい!」
彼女の笑顔を見ただけで、あの数日間の苦労が報われる思いだった。
その後萩原にケーキを一口奪われた彼女が目くじらを立てて怒っていたのはまた別の話だ。