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翌日、怪我した左肩を隠してポアロでの勤務を始める。
痛み止めも聞いているし、これくらいの怪我ならポアロでの業務は通常運転でいけるだろう。
梓さんや常連とIoTテロの話を話をしつつ、怪我をしたというひなさんに思いを馳せる。
時間帯的に、彼女も恐らくIoTテロだったのだろう。
命に別状はないとは言っていたが、軽傷だとは聞いていない。
何事もなければいいが…。
そんなことを思っていた矢先だった。
来店のベルと一緒に彼女の声が聞こえる。
「こんにちはー」
いらっしゃいませ、と言おうとした言葉は喉の奥に忘れて、吐く所か息を飲んだ。
丁度コーヒーを出しに行っていた梓さんの手からお盆が落ちて、カラカラと乾いた音が響いた。
コーヒーをサーブしたあとでよかった。
「っ、ひなちゃんーーー!?」
僕の代わりに梓さんが叫ぶ。
そんな梓さんにひなさんは苦笑した。
…代わりに、なんて思ったが、僕に叫ぶなんて許されない。
“安室”としても“降谷”としても。
その怪我の原因が予想通りなら全ての元凶は僕だ。
「ど、どうしたんですか!」
「昨日のIoTテロでね」
やっぱり。
頬の包帯、右手の包帯から察するに電話をしていたのだろう。
「鼓膜破れちゃってて、こっち側よく聞こえないから左側で話してくれると嬉しいかも」
まさか鼓膜まで。
予想外の一言に僕はまた目を見張った。
「もー、もーー!」
彼女の右側から左側に移動する梓さんが彼女の手を引く。
「ほんっとうに!
いい加減にしてください!」
「テロは私じゃどうしようもないよ」
「そうですけどォ…」
そう会話をするふたりの…ひなさんの正面に立って口をはっきりと開く。
「怪我はひどいんですか?」
「火傷は水膨れできちゃったくらいで、そんな大怪我ではないんです。
鼓膜も自然治癒できる範囲らしいので」
にこにこと笑っている彼女を梓さんと二人でなんとも言えない顔で見る。
今の僕は彼女に謝罪ができない。
されても困るだろう、なんせ理由も言えないのだから。
「二人は?
テロ、大丈夫でした?」
にこりと笑みを深める彼女に、梓さんは諦めたように、先程まで話していた家電の話をした。
夕方になって、上の階が夕食の支度を始める音が聞こえる。
妃英理は料理下手、という話を聞いていたので僕は差し入れを作り始めた。
出来上がった頃、ひなさんが帰ろうとしていたので一緒に上に行かないか誘ってみた。
聞いた話ではひなさんは爆発事件以降ポアロに来ていないので毛利家の面々と会うのも久々だろう。
彼女は少し悩んでから、じゃあ、と頷いた。
室内から不穏な音が聞こえたあと、ひなさんが代わりにノックをしてくれる。
そして僕に扉の前を譲った。
そのまま先に挨拶してくれてもいいんだが、とも思うが、出会った頃から彼女は率先して前に出たがらない。
扉の向こうには蘭さんがいて、持っていたお盆を軽く上げて笑う。
「こんばんは、差し入れお持ちしました!」
なんの罪滅ぼしにもならないが、サンドイッチひとつで今日の彼等の食事が平穏になるのなら。
そんな思いだった。
「ありがとうございます!」
そう言った蘭さんが、僕の横にいるひなさんに気付いて視線を動かす。
破顔しそうになった表情を驚愕に変えて、一瞬後には叫んでいた。
非常に、わかる。
「ひなちゃん!?
その怪我どうしたの!」
「いや、私の怪我の前に小五郎さん大丈夫です?」
ひなさんの視線は床に伸びてる毛利小五郎だ。
扉の向こうから聞こえた音の正体であろう鍋と傍目からもわかるこぶ。
そして飛び散った具材。
もし一緒に生活していた時期にこれが日常茶飯事だったのなら、この男の愛も大したものだな、と感服せざるを得ない。
「この人のことはいいのよ!
IoTテロ?」
この傷を作った張本人が蘭さんと並んでひなさんの顔を覗き込む。
妃英理はあまりひなさんと接点がないと思っていたが、娘の影響か大切に思われているようだ。
…彼女も随分と人たらしだよな、と思う。
「はい、電話してた時に、ばんって」
「もー可愛い顔が台無しじゃない!」
「そんなこと言ってくれるの皆さんだけですよ」
「ひなさん、お祓い行った方がいいんじゃない?」
コナン君に言われた言葉に、えー、と彼女は呟く。
確かにお祓いも必要かもしれない。
だが、彼女に必要なのはお祓いの前に説教だろう。
少なくとも入院した内の三回は車の前や危険地帯に自ら飛び込んでいる。
「ニュースで見てたんですけど、皆さん元気そうで安心しました」
彼女の言葉に、家族は顔を見合せて笑った。
巻き込んだ僕が言える言葉ではないが、この人達の笑顔が見れてよかった。
そう、思った。
毛利家を後にして、階段を降りる。
後ろを着いてくるひなさんの足音は軽く、顔と手以外に怪我はなさそうで安心した。
「じゃあ、」
そう言った彼女の声に反応するように、階段を降りきる前、僕は振り返って彼女と向かい合った。
ひなさんは僅かに目を見張っていた。
そんな彼女の右頬に、ガーゼ越しに触れる。
痛みは無いのか、表情が変わることはなかった。
安心すると同時に、やるせない思いが溢れる。
一よりも百を。
目の前よりも、この国を。
そう思って七年間、公安の刑事として生きてきた。
後悔はないが、時折、分からなくなる。
その信念の元に、僕は一体何人の人を犠牲にしたのだろう。
この手で奪った命もある。
この手で傷つけたひともいる。
彼女のように、間接的に奪った命や傷付けた人は僕が知るよりも遥かに多いだろう。
「すみません」
謝って済む問題ではないと分かっているのに、口が動いた。
あぁ、僕はどうして、何の関係もない彼女に許しを乞うているのだろう。
なんて、卑怯なんだろう。
何も知らない彼女に謝るなんて。
「貴方のせいじゃないですよ」
不意に、彼女がそう言った。
この怪我のことか。
確かに、何も知らない彼女からすればこの怪我は僕のせいではないだろう。
「それでも、」
「昨日は、大変だったと聞きました。
いつも…、ありがとうございます」
それでも、この怪我は僕のせいだ。
言えるはずもない僕の言葉を、彼女は珍しく遮った。
にこりと、安室の笑顔を貼り付ける。
「僕は、仕事ですから」
「いつも、私が遺体を見ないように、とか…他にも、助けてくれるでしょう?
貴方のおかげで、私はこうして笑ってられるんです」
そう言った彼女は、怪我をしている右手を持ち上げる。
ゆったりとしたその動作で、僕の、まさに昨日怪我をした傷の上に、手を乗せた。
この怪我のことは、誰も知らないはずだ。
否、コナン君や公安の一部は知っているが、コナン君と二人で話した様子はなかったし、彼女が繋がるヒロや萩原には伝えておらず、風見からの連絡が行くはずもない。
彼女は、一体、どこで。
そう思っていると、彼女は徐に言葉を放った。
「いつも、ありがとう」
降谷さん。
僕の名前を、音にしないで、呼ぶ。
安室に対する敬語ではなく、僕に対するタメ口で。
君は、僕を呼んでくれるのか。
僕が道を見失いそうになっても、君を傷付けることになっても。
僕の名前を。
それならば。
君が僕を呼んでくれるのなら、僕は、君のそばに居たい。
「どういたしまして」
ひなさん。
僕の立場が許す限り、僕は君を守っていたい。