2
予定なんて、本当はなかった。
ただ、一緒にいるのがしんどかっただけだ。
今日は諸伏さんが家に受け取りに来てくれる算段だったのでまっすぐ家に帰る。
ソファに寝転がって居ると、時間が溶けた。
チャイムが鳴ったので体を起こすと、帰ってきてから一時間が経過していた。
諸伏さんかな。
そう思って扉を開けると、目の前にいたのは降谷さんだった。
彼は安室さんの表情で苦笑をする。
「え…どう、して…」
「少し、様子がおかしい気がして。
すみません、ご迷惑かと思ったんですが」
頬を掻きながらするりと部屋に入って扉を閉めた。
その動作に目を瞬く。
「ひなさん、大丈夫ですか?
何かあったならお話伺います」
一瞬、何か話があるのかと思ったが、降谷さんは安室さんの表情のまま、私の頬に触れる。
そこで、違和感を感じた。
彼は、緊急時以外で私に触れることはなかった。
あの日、IoTテロの後に頬に触れたのが初めてだったのだ。
それですら、“ガーゼ越し”だった。
この人が本当に降谷零なら、安室透なら、平常私に直接触れることはないのだ。
だって、私と安室さんは、ただの客と店員、なんだから。
「ふふ、本当になにもないんですよ。
忙しかっただけで…。
ご心配お掛けしちゃってごめんなさい」
そう答えると、少し寂しそうに眉根を寄せる。
あぁ、そっくりだな。
本当に、降谷さん…否、安室さんみたいだ。
「あの、」
声をかけられたタイミングで、部屋のチャイムが鳴る。
目の前の“安室さん”と目を合わせた後、私はすみません、と会釈して扉を開ける。
そこには緑川さんの姿をした諸伏さんが居た。
彼は部屋の中にいた“安室さん”を見て目を見開く。
「“亮くん”、いらっしゃい!」
いつもの緑川さんに対する態度よりも、親しげに声を掛ける。
そうすれば話さなくてもわかるはずだ。
彼が、降谷さんではないことが。
やっぱり察して貰えたようで、緑川さんはぱっと笑う。
「ひなちゃん、やっほ!
…誰?」
私への笑顔とは反対に、訝しげな表情。
「安室さん。
一度ポアロで会ったでしょ?」
そう言うと荒い手つきで頭を掻きながら、そうだっけ、と答えた。
「もー、人の名前と顔、ちゃんと覚えた方がいいよ?」
「俺の代わりにひなちゃんが覚えてるからダイジョーブ!」
にひひ、と歯を見せて笑う。
「大丈夫じゃないし…。
ごめんなさい、安室さんバタバタと…」
「ごめんなー、安室さーん」
「いえ…、僕も突然押しかけてすみませんでした。
ひなさん、体調には気をつけてくださいね。
では」
にこりと笑って出ていく“安室さん”。
扉を閉めたあと、諸伏さんと目を合わせて小芝居を続ける。
「安室さん?
何しに来たん?」
諸伏さんはしれっと覗き穴に背中を向けて穴を塞ぐ。
「…なんだろ?
さっき、ポアロ出てくのにバタバタしてたから心配してくれたっぽい?」
「ふーん…、あ、車にスマホ忘れた。
取りに行ってくるわ」
バタバタと少し大袈裟に服を叩いた彼は、唇に人差し指を当ててから部屋を出た。
テレビを点けたあと、音量を少し大きめにしてから、ついでにキッチンで朝洗ってから出た食器をまた洗い始める。
バタン、と扉と鍵が閉まる音がしてから諸伏さんが機械を持って出てきた。
恐らく盗聴器を見つける機械だろう。
「おかえり」
機械をいじる彼の横で小芝居を続けると、ただ今、と彼は軽く呟いた。
「あー階段疲れた」
「エレベーターは?」
「今なら行ける気がしたんだよなぁ」
「いや意味わかんないし」
ガチャガチャと水周りの掃除も一緒に始めてから少しした頃、彼は機械をひとつ摘んで水に晒した。
「ゎ、冷たっ!」
「あはは!」
「もーおー!」
水遊びを始めたような声に聞こえるだろうか。
また機械をいじった彼は少ししてから、もういいよ、と呟いた。
「盗聴器?」
「そう」
ジップロックを一枚渡すとその中に濡れた機械を入れる。
諸伏さんがひなちゃん、と名前を呼んだ。
「よくわかったね、あれがゼロじゃないって」
俺一瞬わからなかったよ、と苦笑する。
そんな彼に私は頭を振った。
「ううん、私もわからなかったよ。
でも、部屋に入ってからも“安室さん”だったし、安室さんでも降谷さんでも、私に対してしないなって思った挙動があって…」
きっと、その違和感がなかったら気付かなかった。
降谷さん、って呼んでたかもしれない。
「…降谷さんって呼んでたかもって思うと、怖かった」
恐らくはあれはベルモットだろう。
私がいつ目をつけられたのか分からないが、彼女のアンテナに私が引っかかったのだ。
「私が呼んでたら、降谷さんが危険だった…」
両手で自分の体を抱きしめる。
カタカタと今になって震える体を実感して、最悪の事態を想像した私の頭を彼はゆっくりと撫でた。
「それでも、今日、君は気付いてくれた」
流石だね、と呟く。
徐に彼の顔を見上げると、諸伏さんは落ち着いた表情で微笑んだ。
「この件はゼロに共有しておくよ。
対策も考えるから、君は何処で“安室透”に会っても、必ず安室透として接してくれ」
「うん」
「それから、暫くはGPS確認させてもらうね」
「ごめんなさい、よろしくお願いします」
そう言うと、諸伏さんは笑う。
「ひなちゃんが謝ることじゃないでしょ」
その笑顔に、私はへにゃりと笑って返した。
ひとまず、“恋人”が来たなら数分で帰ることはないだろう。
夕食まで一緒に食べてから諸伏さんは帰っていった。