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目を開いたとき、灯りは消されていた。
カーテンの閉じた窓から太陽光が差し込んでいるのが見えたから、朝か昼か。
窓の外からは車の音や、人の話す声が時折聞こえてきて、このガラス一枚隔てた向こう側は、平凡な日常なのだとわかる。
上半身を起こそうとして、左腕に管が着いていることがわかった。
壁に画鋲で輸血パックがぶら下がっていて、どうやら歩けそうにない。
起き上がるのも諦めて、どうしたものか、と思っていると、傍に人の気配があることに気付いた。
薄暗い室内でもわかるミルクティブラウンの髪が浮かんでいた。
「…あむ、」
そう声をかけたところで、喉が引っかかった。
彼の名前を全て呼べなかったが、彼は気付いてくれたようでばっと顔を上げた。
よく見えないが、酷く疲れた顔をしている。
こうして怪我をした後、いるのはいつも諸伏さんか研にぃだった。
降谷さんがいるのは初めてだな、と私は曖昧な意識の中思った。
「痛みは?
どこか違和感とかはあるか」
前のめりになってベッドに寄ってきた彼に聞かれて、私は首を横に振る。
私よりも、貴方の方が大丈夫かと聞きたい。
多分、言っても聞いて貰えないけど。
降谷さんは安心したように息を吐いて体制を崩した。
「…僕の判断ミスだ」
恐らく、ごめん、と口を開こうとした彼の言葉を遮って、私はあの、と声をかけた。
彼は言葉途中に口を噤んで私の言葉を待つ。
「ありがとう、降谷さん。
いつも守ってくれて」
あれが最期にならなくてよかった。
またあなたに会えて、よかった。
掠れた声でそう言うと、彼は表情を歪ませてどういたしまして、と言った。
不意に隣室からガタ、と物音がして、数秒後に扉が開いた。
「ゼロ、物音がしたけど…」
諸伏さんは降谷さんに声を掛けたあと、スライドさせて私が起きてるのを視認した。
諸伏さんは諸伏さんで凄く疲れた顔をしていて、その疲れた顔を安堵に変えた。
どうやら諸伏さんは隣室で仮眠をとっていたようだ。
ベッドサイドに寄りながら聞かれる。
「気分悪かったりしない?」
もう一度頭を振ると、彼はよかった、と私の頭を撫でた。
体を支えてもらって上半身を起こす。
どうやら事件は昨日のことらしく、あまり日が経って居なくて安心した。
職場への連絡は警察を名乗って行ってくれたらしい。
…まぁ、嘘ではない、けども。
結果として、私と諸伏さんは暫く降谷さんの家で厄介になることになった。
ベルモットの配下の者が見張っている可能性が捨てきれないからだ。
バーボンの元にも以来連絡はないようで、彼自身ヤキモキしている。
研にぃとは一度ビデオ通話で話した。
さすがに今回は誰からも怒られなかったが、随分と心配かけたようで皆やたらと過保護だ。
左肩は縫合しているそうで、あまり動かさないように、と三角巾で吊られている。
そうすると色々と不自由が出てくるので、これまた二人がやたら構いたがって食事まで食べさせようとしてきたのでさすがに勘弁してくれと土下座した。
二十九にもなって、彼氏でも家族でもない人にあーんされるのはしんどい!
でも、一番困ったのは、悪夢を見ることだった。
ベルモットにそのまま殺される夢。
蘭ちゃんが殺される夢。
研にぃが、諸伏さんが、松田さん伊達さんが殺される夢。
降谷さんが殺される夢。
夜中に飛び起きる度に降谷さんと諸伏さんが気遣ってくれて申し訳ないと思いつつ、二人が居てくれることが、皆の無事を教えてくれるようで有難かった。
今まで色んな事件や事故に遭遇したけど、こんな悪夢見たことないのに、と、思って私は気付いた。
私は、自分に直接殺意を向けられたのが初めてだったのだ。
私を害するために傷をつけられるのも、全部。
寝るのが怖くなって、あまり自分から率先して寝ようとはしなくなった。
身体が睡眠を欲しがるようになってからしぶしぶ布団に入るが、今日はまだ大丈夫だ。
ちっとも眠くない。
夜は諸伏さんと二人並んでパソコンで映画を観ていることが多い。
人が死なない恋愛映画やコメディだ。
普段見るジャンルではないが、今は血が流れる描写が怖い。
それを諸伏さんも分かってくれるようで、彼にとっては面白くないであろうジャンルの映画を嬉々として選んでくれる。
エンドロールが流れ始めたところで夜の九時。
まだ眠くはならないし、もう一本映画を観るか、それとも好きなアーティストのライブ映像とかでも見ようか。
諸伏さんと選んでいると、珍しくこの時間帯に玄関の開く音が聞こえた。
「おかえり、ゼロ」
「おかえり、降谷さん」
帰宅した彼を二人で迎えると、彼はただいま、と言った。
さっきまで膝に乗っていたハロは、アン、と鳴くと彼の足元に擦り寄る。
その頭を撫でた降谷さんはとても優しい顔をしている。
「何か買ってきたのか?」
珍しくスーパーでないビニール袋を持っている降谷さんに気付いて諸伏さんが問う。
「あぁ。
ちょっとな」
持っていたビニール袋を軽く持ち上げて、彼は部屋の隅にあるギターを手に取った。
どうしたんだろ、と二人でその様子を見ていると、ビニール袋から黒いゴム製の円形を取り出した。
「サウンドホールカバー?」
「正解」
諸伏さんの言葉に頷く彼は、ゴムをギターのサウンドホールに取り付ける。
ビニール袋からもう一つ取り出されたのはピックで、普通のピックと異なり穴が空いている。
「これも静音用」
じゃん、とそのピックを使って弦を鳴らすと、確かに通常よりもずっと静かな音が鳴った。
「へぇ、そんなに変わるんだ…」
「ひなさん、前に少しだけギターやってたって言ってただろ」
あの降谷さんに全力で頬をつねられた時のことだ。
ベチン、と音を立てて両手で頬を包む。
そんな私を見て二人は楽しげに笑うが、私はちっとも楽しくない。
「ギターなら傷も開かないだろうし、やってみないかと思って」
どうやら私の暇潰し道具を提案してくれたらしい。
「でも、全然覚えてないよ」
そう言うと、彼は教えるよ、とギターを差し出した。
前同じように膝にギターを乗せて覚えてる数少ないコード抑える。
「それ、指こっちから抑えた方が楽じゃないか?」
そう言われて、言われた通りに動かしてみる。
確かに薬指の今にもつりそうな感覚は少し和らいだ。
「昔練習してたときは、結局Fコードは抑えられなくて」
好きな曲と簡単な曲を一曲ずつ選んで練習したが、なんと好きな曲は難しいコードのオンパレードという切なさで、私は早々に挫折した訳だが。
「Fか…慣れもあるし、稀に物理的に無理なひとも居るけど…。
ひなさんは何だかんだ器用なイメージあるし、やってれば抑えられるようになると思う」
“やってれば”。
それが出来なかったから挫折した訳ですが、と思ったのは隠したつもりだったけど、諸伏さんは察したようだ。
降谷さんの向こうでクスクス笑っている。
ジャカジャカと、でも小さな音で練習して、一時間もすると指が悲鳴を上げた。
「あー…ビリビリする…」
そんな私を見て降谷さんは笑った。
「それも慣れだな」
「だよねぇ」
その言葉に頷くと、降谷さんは私からギターを受け取って自分の膝の上に乗せる。
そして、私の膝の上に乗っていたギターと同じものとは思えないくらいに綺麗な音色でジャカジャカと音を奏でた。
「降谷さん達はどれくらい練習したの?」
そう聞くと、二人は顔を見合せてたくさん、と笑った。
いや、これ私が練習したところで絶対追いつけない期間じゃん、と唇を尖らす。
そうすると、そんな私を見てまた二人は笑った。
ベッドに体重を預けて、降谷さんの演奏を聞いていると、少しずつ意識が遠くなるのがわかった。
いやだな。
まだ、聞いてたい。
そう思ったけれど、私はいつの間にか眠りへと落ちていた。