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暫く、あまり外を歩かないようにしていた。
ヒロからの情報でひなさんが“僕”に会っているらしい。
僕が会っていないということは、つまりそれは全てベルモットな訳だが、ひとまず安室として接することは心がけてもらえているようだ。

彼女の仕事等少し探っても見たが、程度が過ぎれば目をつけられる。
何の収穫も得られることもなく手を引く他なかった。
いくら時間が経過してもベルモットからの連絡はない。
様子を見られているのかどうか。

ひなさんを公安の施設で保護することも可能だが、なにか事件に関わらないと保護もままならない。
僕の立場的にもそんな危険は犯せなかった。

二週間の硬直状態。
ベルモットのひなさんへの興味は失せないらしい。



結果として、最大の悪手を取ったのは、僕だった。

僕が右も左も雁字搦めにされて監視されているのは構わない。
定期的に起こることだったし、そんなことを掻い潜り、日本を守るのが僕の使命だった。

その仕事の、使命の詳細も語られず、本物か虚像かも分からない相手と話し、その挙動によっては僕の命に関わる。

そんな状況下にいる彼女を慮ったつもりだった。
ヒロの迎えと、その後のフォロー体制も含めて万全に準備をした上で当日を迎えた、つもりだった。



ベルモットのいる前で彼女といつも通りの会話。
ひなさんは無理のない表情でいつも通り話してくれているように思った。

ベルモット扮する男が退店したあと、ラストオーダーも過ぎていたのでそのまま閉店業務を始める。

「ひなさん、ラストオーダー過ぎてるので窓閉めちゃってもいいですか?」

普段、ひなさんだけが残っていた場合僕も梓さんも断り入れないが、あえて言葉にする。
彼女は少しきょとんとしたあと、にこりと笑う。

「もちろん。
私のことは気にしないでください」
「ありがとうございます」

そう言ってブラインドを閉めたあと、僕は口元人差し指を寄せた。
ひなさんが頷いたのを確認してから、閉店作業をしつつベルモットの居た席の片付けをする。
恐らくどこかになにか仕掛けているだろうと小型の発見機を片手に右往左往する。
反応があるのは座っていた席くらいだ。
紙ナプキンなどを補充しつつ探していると、そこまで静かにしていたひなさんがぽつりと呟く。

「…たまに、またポアロで働きたくなります」

ひなさんの言葉は寝耳に水で、僕は思わずえ、と呟いた。
彼女から職場の愚痴を聞いたことはなかった。
入社一年目ということもあり、基本的には学ぶ立場だということもあるのだろう。
だが、定期的に怪我をする彼女に理解のある職場という印象だった。

「今のお仕事は大変ですか?」

思わず聞くと、あっ、と彼女は少し慌てた声で呟く。

「仕事が不満なわけじゃないんですよ?
私入院しがちなのによくして下さるし、職場の人には感謝してるんです」

あぁ、やはり聞いていた通りの印象で間違っていなかった。
ならば、何故?
思ったこと答えるように、彼女はでも、と言葉を続けた。

「こうしてポアロに来てると当時のこと思い出して、懐かしいなぁって。
あの空間に安室さんもいたら、もっと楽しいだろうなって思うんです」

当然ながら、僕は彼女がこのポアロで働いていた時期を知らない。
だが、マスターや梓さん、常連の人の様子を見ればわかる。
彼女はここで生きて、愛されていた。
その愛はバイトを辞めてなお続く愛で、どれほど大切な時間を共有してきたのか。
今年出会ったばかりの僕には想像することしか出来ず、少しばかり羨望を抱いた。

だからだろうか。

「…じゃあ、また働きますか?」

うっかりそんな言葉を呟いてしまったのは。

「え」

彼女もそんな言葉が続くとは想定していなかったのだろう。
驚いた表情で振り返る。

「もちろん、ひなさんの職場が副業問題なくて、マスターが許可するなら、ですけど」

相手が驚いていると、自分の冷静を取り戻すのは容易だった。
にこ、と笑みを浮かべたあと、僕はちょうど見つけた盗聴器を潰した。

「え」

バキ、と言う音が静かな店内に響いて、部品が床に落ちる。
ひなさんは振り返った時以上に驚いた表情で固まっていた。

改めて取り出した発見機で反応を確認すれば、今度こそ無反応。
テーブルに置いてあったカップを持って、テーブルを拭いてカウンターに戻った。

「今日はありがとうございます。
先程まで後ろにいたのが、あの日のもう一人の僕です」
「え」

これ以上驚くこともないほど驚いているのか、見開かれた目は最早固まっている。

「あの人の予定から、今日来る予測をしたのでひなさんを呼びました。
ひなさんが僕とあの人の区別が着いていたらひなさんに危険が及ぶと思ったので、一芝居打った形になります」

さらりと今日の経緯を説明すると彼女は徐々に目を細め、

「な、なるほど…?」

と小首を傾げた。

「本当なら今日も送って帰りたいのですが、まだあの人が見張っている可能性もあるので、アイツを呼びますね」

トト、とカウンターの下でスマホを操作する。
この位置は窓のブラインドを閉めてもドアガラスから見えるから念の為だ。

「え、大丈夫ですよ。
ひとりで帰ります」

ぷるぷると首を振る彼女を少し真顔で見ると、彼女は大丈夫とでも言うように笑う。

「明るい道通って帰りますし」
「得体の知れない犯罪者に通用すると思いますか?」

ベルモットは女優の顔は持っているが、組織の人間だ。
仲間想いな一面もあるにはあるが、人を殺すことに躊躇はない。

ここで彼女を一人帰らせるなど、狼の群れの中に仔羊を放すようなものだ。
僕やヒロの手を煩わせたくないといういつもの遠慮からであろうが、流石に許容できる内容では無い。

「諦めて送られてください」

にっこりと笑って言えば、丁度ドアベルが来客を告げる。

「ひなちゃん、かーえろ」
「えーはや」

彼女の言葉に小さくため息をついた。

チャラいヒロの見目は僕はあまり見る機会は無いが、記憶には残っている。
正直お前誰だ、とも思うがその振る舞いが彼女とヒロ自身を守れるならそれに超したことはない。

「迎えに来てくれるなんて、いい彼氏さんですね」
「ふふ、私には勿体ないくらい」

にっこりと笑えば、彼女も負けじとにっこりと笑う。
さすがに本人が登場してしまえば拒否しても意味が無いことはわかっているようだ。

荷物をまとめている間にヒロが支払いを済ませた。

「じゃー安室さん、また来るねー。
今度はお茶しに!」
「はい、お待ちしてます。
ひなさんもお気をつけて」
「ご馳走様でした!」

扉を出て直ぐに手を繋ぐ二人に、目を細める。
チクリと傷んだ心は、囮に使ってしまうことへの罪悪感だろうか。
兎にも角にも、ポアロの締め作業を終わらせて備えなくては、と僕は作業を始めた。