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目を覚ますと、どこかの建物の中だった。
私が横になっていたのは簡易ベッドで、天井にほど近いところに十数センチ程の窓があるらしく角度によって空が見える。
建物は見えないのでここがどこなのかは分からなかったが、当然、分からないように作られているのだろう。
上半身を起こせば立ち眩みの要領でふら付くが少し待つと視界が開けた。

まるで監視カメラで見ていたかのようなタイミングで、コンコンと扉がノックされた。

「はい」

扉の向こうに聞こえるかは分からないが、小さく返事をすると、間もなく扉が開く。
扉を開けたのは研にぃだった。

どうやらさっきの私の声は聞こえていなかったようで、体を起こしている私を見て小さく目を見張った後、安心したように表情を綻ばせた。

「よかった。
体調はどう?」
「大丈夫。
ここは…?」
「公安の施設だよ。
二人とは外で別れたんだ」

松田さんを公安の施設に連れてくる訳には行かないし、諸伏さんもまだ来れないということなのだろう。
直接聞いた訳では無いが、公安の仕事に復帰しないのは警視庁公安部に組織の手の内の者がいる可能性があるからだとに耳にしたことがある。
そっか、と呟くと、研にぃは私の傍に寄って手を差し出す。

「大丈夫そうなら、一度出掛けようぜ。
今回の事、説明するよ」

研にぃの言う出掛ける先は恐らく想像の通りだろう。
差し出された彼の手を取って、私は部屋を後にした。

エレベーターを降りて辿り着いたのは、想像通り映像で見たことのあるあの地下シェルターだった。
目の前には見覚えのあるガラスに囲われた空間があって、中には降谷さんがやたら豪華な椅子に座っている。
薄暗い中でよく見えないが、首元にはさっき道で鉢合わせたあの人の持っていた、首輪型の爆弾があるのが分かる。

研にぃに受話器を渡されて、私はそれを耳に当てた。

「降谷、さん…」

後ろに研にぃ、前に降谷さん。
三人きりの空間だったから、私は彼の名前を呟いた。

「すまない、また君を巻き込んだ」

受話器越しに聞こえた言葉に、頭を振って答える。
降谷さんが悪くないことは分かっている。
相手は罪のない小学生すらも殺そうとするひとなのだから。

彼はここが公安の所有するシェルターであることと、私を狙って来たマスクの人物のこと、保護のため暫く私にここに留まってほしいことを説明した。
概要は説明してくれたが、彼のその首についているものが爆弾だとは言わない。

「うん。
私がここにいることで、皆さんが動きやすくなるなら、そうしてください」
「君の部屋は上の階に用意させた。
悪いがそこで過ごしてほしい」
「ありがとう。
でも、お願いがあるの」

淡々と言葉を紡いでいた彼が、眉をぴくりと動かした。
彼の視線がこちらを向いたことを確認してから、私は一つ息吸い込んでから伝える。

「貴方の傍に居させてください。
仕事で私が聞いちゃいけないことがあるときはもちろん部屋に戻るから」
「それは…すまない。
難しい」

彼の目線は動かない。
私にわかるような機微を表に出していたら、潜入捜査官等務まらないだろう。
流石のトリプルフェイスだ。

それでも、私は、もう、嫌なのだ。

「私が知らないところで、皆が居なくなるのは嫌」

私が言うと、彼は僅かに目を見張った。

最近のことは分からないけど、少なくとも今、私が傍にいることを厭う理由は分かってる。
私に彼の死に様を見せないためだろう。
細かいところが変わっているこの世界線では、本当に彼は今、目の前で爆弾が作動して死んでしまうかもしれない。

それでも、否、それなら、尚更。

「我が儘だって分かってる。
居たところで何もできないことも。
それでも、私の知らないところで、降谷さんが居なくなるのは、嫌」

彼に距離を置かれていることも察しているけど。
それでも、このひとが“ひとりになる”ことだけは、耐えられなかった。

「君は、怖くないのか」

目を見張っていた彼が、ぎゅっと表情をしかめた。

私のことを心配してくれているのか。
直近の様子から距離を置かれていると思っていたけれど、この人は私のことを考えてくれているのだと理解できた。
どうして距離を置かれたのかは解らないけれど、彼の根本が変わっていないことに、少しだけ安心した。

「怖いよ。
悪意を向けられたのは、あのホテルが初めてだった。
今日も、凄く、怖かった」

ただ、対峙しただけなのに。
今思い出しただけでも震えて、気管が狭くなるのを感じる程度には怖い。
悪意を向けられることに慣れてる人間なんて、存在しないと私は思うのだ。
日常のなんてことない悪意が子供の悪戯に感じるような、そんな真っ黒な感情を浴びる機会なんて早々ない。
それは想像していたよりもずっとダイレクトにこちらの精神を抉ってきたし、恐ろしかった。

「ひとりきりで外を歩くのも怖い。
部屋に蹲って生きているのも怖い。
でも、それ以上に、知らないところで皆が居なくなる方が怖い」

傷付かないで、とも思うが、この世界でこの職種に就いている以上、皆が怪我をしないなんて無理な相談なのだろう。
こんな人たちと友人になってしまった以上、きっともう、彼らが傷付く度に苦しくなるのは仕方がないのだ。

「さっき道で会ったあの人は、降谷さんの首に着いているものを持ってた。
私に着けようとしていたんだと思う。
ねぇ、降谷さん…それは、なに?」

元々の知識として、そもそも知っている。
でも、さっき松田さんがぽろりと零したから、知識がなくても、知ってる。
私が知っていることを、後ろに立つ研にぃは、知っている。

降谷さんはこれは、と呟いたきり、目を伏せて動かない。
そんな降谷さんを見て、後ろで研にぃがふは、と息を吐いた。

その声が聞こえたのか、降谷さんは顔を上げた。
長い脚で私の横まで歩いてきた研にぃは、受話器に…彼に届くように言葉を掛ける。

「降谷ちゃん、残念だけど、ひなちゃんはもう知ってるよ。
ソレ」

そう言いながら、研にぃが指を差すのは己の首だ。
その指が示すものを理解して、降谷さんは目を見開く。

「なっ…」
「知ってて、こう言ってるんだよ」

降谷さんの視線がばっと私に向いて、口で言わずとも、本当なのか、と訴えてくるようだった。
ヘタクソかもしれないけど。
大丈夫、と伝える代わりに、笑顔を作る。
だって、いくら口で大丈夫と言っても、私はきっと、大丈夫じゃない。
大切な人が爆発に巻き込まれる瞬間なんて、大丈夫なわけがない。

でも、大丈夫じゃないからこそ、傍に居たいのだ。
ここで離れたら、離れた末に彼が死んでしまったら、私は絶対に後悔する。
きっと死ぬまで自分を責める。
彼をひとりきりにしないために頑張ってきたのに、ひとりで死なせてしまった、って。
傍に居られなかった、って後悔するのは、嫌だった。

「傍に居させてください」

そう言うと、彼は目をぎゅっと細めた。
長い沈黙の後、小さく息を吐いた彼が、首元に手を当てる。

「…僕の首にあるのは、爆弾だ。
時限式なのか、無線式なのか…いつ爆発するか分からない。
今この瞬間、君の目の前で爆発するかもしれない。
僕は、その現場を君に見せたいとは思わない」

そこまでを一息で言った後、でも、と小さく呟く。
彼の綺麗な蒼い瞳が、真っ直ぐに私を見ていた。

「君が、覚悟をしてくれているのなら。
傍に、居てほしい」

あぁ、綺麗な人だ。

外見とか、瞳とか、そういうものではなくて。
その佇まいも、内に秘めるものも、彼を象る全てが、美しいと思った。

「…はい。
よろしくお願いします」