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ひとまず元居た部屋で夜を越してから、風見さんに連れられて私はシェルターに来た。
降谷さんとは特別会話をするわけではないが、なんとなくお互い同じ場所にいて、時間を共有していた。

コンコンとガラスをノックされて、私は顔を上げる。
受話器を手にした降谷さんに倣って私も受話器を取りに移動する。

「もしもし?」

耳に当ててみると、さっきまで難しい顔でタブレットを見ていた降谷さんが少し楽しそうに口角を上げる。

「…退屈じゃないか?」

そう聞かれてふるふると頭を振る。

「読んでなかった小説端から読んでるから、大丈夫」

最近は追っかけている作家以外の本はデジタルで買うようになった。
積み本が複数あったので、実は丁度いいタイミングだったのである。
よかった、と笑う彼が私の側にあるタブレット端末を指差す。

「ひなさん、東都大出身だったろ?
あの中に学力テスト…というか、一般常識テストあるから受けてみないか?」
「えー、もう覚えてないよ…」
「去年まで学生だっただろ」

ほら、と言われて渋々端末を操作する。
ちょっとの学力と、大半が一般常識と言える範囲のテストだった。
文字を追うのも楽しいが、少し頭を働かせることもあって少し目が覚める気がする。

「何でいきなりテスト?」
「どのレベルでひなさんと話していいのか、って思って」

うん?
もしやそれによって話す内容のレベルを変えてくれるのかな?
慮ってくれているのか馬鹿にされてるのか怪しいところだ。
私の顔を見て、くっくっと楽しそうに笑う。

「冗談だよ。
それ、今僕も解いてるんだ。
一緒に答え合わせしよう」

こちらにタブレットの中身を見せる彼はニヤニヤと笑っいて、さっきの言葉は一体どこまでが本気だったのか…。
二人で話しながら問題を解いていると、何となく一緒に学校で勉強をしているような、同じ職場で仕事をしているような、そんな感じがして口元が緩んだ。

「お仕事は?
大丈夫?」

そう聞くと、彼はあぁ、と頷く。

「この中にいると、仮説を立てることくらいしかやることないからな。
後は溜めてた書類作成くらいだ」
「片付きそう?」
「大体は。
でも、ここから出たらまた報告書祭りだ」

まぁ、そうだろうなぁ。
今現在降谷さんの頭の中にはないはずの偉業を思い浮かべて、苦笑する。

「…いつか」
「え?」

ぽそりと彼が言った言葉が聞き取れず、私は聞き返す。

「いや…。
いつか、君とゆっくり話せる時が来たら、その時は君の話を聞きたいな」

穏やかな表情で微笑む彼の言葉に、私はぱちくりと目を瞬かせた。

「私の話なんて、楽しいことないと思うけど」

思わずそう返すと、そんなことないさ、と頭を振る。

「萩原との出会いとか、ヒロに松田に、班長。
それぞれとのこととか、君が見てきた世界を知りたい」

そう言って微笑む彼は、どこか普段と違う力の抜けた表情で、私は息を飲んだ。
なんて返そうか悩んでいると、安室さんとは違う角度で、安室さんとは違う表情で首を傾げる。

「…嫌か?」
「い、や…なんてことは、ないけど」
「じゃあ、約束だな」

そう言って目尻を下げて微笑む。

「それじゃあ、降谷さんも、聞かせてくれる?」
「え?」
「諸伏さんと、あと、警察学校で出会った皆の話。
降谷さんからも、聞きたい」

皆からはそれぞれ年末の飲みや、ふとした時に聞く機会があるが、降谷さんからその話を聞けた試しはない。

「…分かった。
僕も話すよ」

そう言って頷いてくれた彼に、左手の小指を見せる。
私の動作の意図をすぐに分かってくれて降谷さんも小指をぴんと立てる。
そして、二人で空を握った。

「「指切りげんまん、嘘ついたら針千本飲ーます。
指切った」」

二人で声を揃えて、お決まりの歌を歌う。
小指にあった視線を降谷さんと合わせて、クスクスと笑った。

ひとしきり笑った後、唐突に思い出してあ!と私は声を張った。

「あのね、降谷さん」
「どうした?」

急に声を張り上げた私に、目を見張る。

「あのね、ギター、ありがとう。
降谷さんには、まだお礼言えてなかったから」

そう言うと、彼はあぁ、と呟いた後、少し視線を宙に彷徨わせる。

「どういたしまして…」

困ったような、少し珍しい顔で笑った彼の表情に、私は首を傾げた。
なにかおかしな事を言っただろうか。
なんでもない、と言った降谷さんはそうだ、と思い出した様に話をすり替えた。

「何時になるか分からないが、来客を予定してるんだ」
「分かった。
その時は、部屋戻ればいいかな?」
「いや、君も居ていいよ。
君も知ってる人だ」

ということは、コナン君か。
知らない体だから、首を傾げつつ、もう一度分かった、と頷く。

「君に、毎度のようにこうして不便を掛けてるからな…。
君がまだ学生だったらここまで迷惑掛けずに済んだんだが…」

ぽつりと呟いた後に、降谷さんはいや、と気まずそうに視線を漂わせてから、すまない、と謝る。

「こちらの勝手な都合で話した」
「ううん。
私も最近は似たようなこと考えてた」

今の仕事は、在宅勤務は出来ないわけではないが、総務と言う業務上ずっとという訳にはいかない。
社会人でなければもっと臨機応変に動けることもあっただろうに。
そんなことを取り留めなく呟くと、ガラスの向こうにいる降谷さんがむぅ、と顔を顰めている。

「降谷さん?」

どうしたのかと声をかけると、いや…、と呟いた後、小さく息を吐いてから言葉を紡いだ。

「君は、優しすぎる」
「え」

それは、私から一番遠い言葉だと思う。
このひとは何を言っているのだろう、と思っていると、降谷さんは私のことをスルーして続ける。

「僕が言えたセリフではないが…普通はそこで頷くんじゃなくて、巻き込まれてることを主張するタイミングだぞ」
「でも、」
「好きに生きて、普通に仕事して、自由に街を歩く権利を、君は、持っているのに。
奪っているのは僕たちの都合だ」

そんなこと言われましても。
彼らがどんな組織、そして人と相対しているのかを、私は知っている。
知っているからこそ、彼らを否定することは私にはできない。

もし、知らなかったら。
彼らを詰ったのだろうか。
そんな疑問が脳裏に浮かぶが、今ある知識をないものとして考えることは難しい。
どちらにしても私にはやっぱり、彼らの言葉に従うしか道はないように思う。

だが、私がただ頷くだけの人間だったら、私はここには居ない。
伊達さんの事故の時に私は怪我をしていない。
私は、私の意志で好きに生きているのだ。

「私は充分好きにさせてもらってるよ。
だって、こうして、貴方の傍に居させてもらってるでしょ」

そう言うと、彼は小さく目を見張ってから、困ったように表情をくしゃくしゃにしてから深く溜め息を吐いた。

「君は、全く、分かってない」

そう言われて、私はえー、と呟いた。