星すら羨む煌めき
1ヶ月ばかり出張で海外に行くという骸さんを見送りに行ったのは昨日のこと。
別れ際に正気かと疑いたくなるような台詞を恥ずかしげもなくつらつらと並べ名残惜しそうに頬へ触れてくる手にどこの恋愛映画だよと思わずにはいられなかった。
むず痒く感じながら彼の言葉にひとつひとつ相槌を打っていると、最後に口元を綻ばせて額に柔い感触を感じた。全く恥ずかしい人だ。
「いい子で待っていてくださいね」
ふわりと微笑んでゲートへと消えていく骸さんの後ろ姿を呆然と見ていた。
あーダメだ。この感じは。何度思い出しても慣れない。大体こんなのは自分の柄じゃない。
でも今日からしばらく一人で帰宅かと思いつつ下げられたカップを洗っているとちりんと小さく来客を告げるベルがなるのが聞こえた。
その音につられて反射的に時計へと目がいく。
閉店時間のきっかり30分前。
彼が来る筈なんてないのに。この時間になるとつい気にしてしまう癖にぎゅっと眉間に力をいれる。いけない。集中しないと。またみんなにからかわれる。
手についた泡を水で流してタオルで拭いつつカウンターへと近づいてくるお客さんに笑顔を向けようとしてぎくりと中途半端に顔が強ばった。
そう私の目の前に現れたのはいつか彼と一緒に来たあの女の人だった。
*
私のことなんて忘れてしまったのか、はたまた初めから気にもとめてないのか普通に注文を告げた彼女が真っ直ぐ向かったのは彼がいつも腰かけている窓際のあの席だった。
この時間のこの席は彼の特等席になりつつあったので、常連客達の間に暗黙のルールでも出来たのか座ろうとする人は居ない。
当然今日も空いていて、何も知らない彼女がその席へ座っても不思議ではない。
しかし店内はいつもと違う人物が座っていることに戸惑いを隠せないようでちらちらと彼女へ視線を送っている。
当の彼女といえばそんな視線に気づいた様子もなくちょこんと座り店内に置いている情報誌を持ってきてパラパラと眺めていた。
「うーわー。あの女の人、みんなの視線独り占めですね」
『…篠崎』
「アレって六道さんと前、うちの店に来た人ですよね?ほら、初めて六道さんが来た日に。もしかして泥沼っすか?キィー!私の彼をたぶらかせてふざけないでよ、この泥棒猫!!…的な?」
彼女の台詞と思われる部分を気持ち悪い甲高い裏声で身ぶり手振りを交えつつ情緒たっぷりに演じる三文芝居に呆れながらにやにやと面白そうに目を細める篠崎の足を思いっきり踏んづけてやるとぎゃあと大袈裟に踞り騒ぎ出す。
『違う』
「なーんだ。つまんないっすね」
『…と思う』
あ、しまった。自分で墓穴をほってどうする。
篠崎はというと聞くや否やばっと立ち上がり目を輝かせて準備の出来たばかりのカップに視線を向けた。
「それ、彼女の注文ですよね?俺、持っていきます!」
『あっ、ちょっと…!』
トレイを拐うように奪い彼女の元へ一直線に向かう篠崎の姿にため息をついた。
*
彼女の元へカップを運んで行ったのは良いがしばらく何やら話し込んでいた。
時折篠崎のオーバーリアクションが聞こえてくるくらいで話の内容までは聞こえてこない。
「いやぁ、美人に話しかけるって緊張しますねぇ!」
『嘘つけ』
一仕事終えたと云わんばかりの表情で戻ってきた篠崎についでに回収してきたトレイを手渡された。これで殴ってくれってことか?まかせろ。
「いや、それにしてもなまえさん、 愛されてますねえ」
『…にやにやして気持ち悪いんだけど』
「ひっでぇ、折角聞いてきたこと教えてあげようと思ったのに。どうしよっかなあ…」
ちらりと私の顔を見てまたにやけだした篠崎にトレイを大きく振り上げると寸でのところで受け止めた。ちっ。
「あっぶねっ!何するんですか?!」
『あら、殴って欲しくて渡したんでしょう?』
トレイをひらひらとさせているとすっと上から引き抜かれた。
「お前ら、客のいるところでじゃれつくんじゃねぇよ。デキてんのか?」
呆れたような声の主に向かって二人の声が重なる。
『セクハラで訴えますよ、店長』
「俺にだって選ぶ権利はありますよ、店長」
ぎっと篠原を睨むとはっと口を押さえて「スミマセン」と顔を青くする。
「もうすぐ営業終了だからな、閉店作業しろよ」
はーい、と返事をして一時休戦。
帰り支度を始めたお客さん達が各々のカップの乗ったトレイを持って返却口へと並び始める。
レジの締めは篠崎に任せて、私は運ばれてくる食器類を流しに運んでいく。
あの女の人も中身が半分残ったカップの乗ったトレイを持ってきたので会釈して受けとる。しかし立ち去る気配がしない。どうしたんだろう。
へらりと誤魔化すように愛想笑いを浮かべてはみたがじぃっと大きな目で見つめてくるばかりで困ってしまう。
どことなく骸さんと纏う雰囲気が似た人ではあるけど、でもやっぱり骸さんとは違うわけで。こういう時骸さんだったら、周りにきっちり話をつけて退路を絶ってから逃げられないようにじわじわ追い詰めてくるんだけど…ダメだ、全然参考にならない。
ここで見つめあっていても不毛な時間が過ぎていくだけだ。それに私達に気づき始めた他のお客さん達も何事かとこちらの様子を窺っている。
『あの、なにか…?』
「後で話があるの。外で待ってるから」
『え?』
思いもよらないお誘いに既に店を出ていこうとしている彼女にぽかんとしていたら、近づいてきた店長の「マジで泥沼じゃねぇか!」と面白がる素振りにそっと脛を蹴った。
*
『それでわざわざ今日はうちの店に来たんですか?』
こくりと頷く彼女、もといクロームさんの手元にはうちの社名ロゴの入った厚手の紙コップが握られている。
店長が気をきかせてテイクアウト用に作ってくれたのだ。後から話を聞かせろよ的な賄賂である。
そして店の前で待っていたクロームさんに今日うちの店に来た理由を聞くと驚きの回答が返ってきた。なんと骸さんから家まで送り届けるように言いつけられたらしい。
なに考えてんだ、骸さん。私なんかよりよっぽどこの人の方が襲われそうな容姿をしているというのに。
『あの、お気持ちはありがたいんですけど一人で帰れますから。それにクロームさんの方が帰るの遅くなって危ないですよ』
ふるふると小さく首を横に振って「大丈夫」と気弱そうな声のわりには断らせない雰囲気に思わず頷いてしまう。
「それで、話なんだけど…」
そこで言葉をきってじいっと見つめられる。なんだろう。話ってのは送り届けることじゃなかったのか。
「クリスマスの事なんだけど、」
ん?
「骸様が今年のクリスマスは貴女と過ごすって言っていたから」
ははは、全く聞いてませんでしたけどね。というよりそもそもその日は私、休みじゃないんですが。
去年までは全く私には関係のない日だった。彼氏彼女持ちの連中に甘えた声でシフトを代わってくれだの賄賂のお菓子や映画のチケットなんかをくれたりする子も中にはいる。
予定もないのに倍率の高い休みをもぎ取る労力を考えたら素直に出て、その前辺りにゆったり長めの休みを貰うほうが得策だろうと思ったし通例になっていた。
だから今年もそのつもりでいたし、店長や他のバイトの仲間もそう思っているだろう。
丁度その頃骸さんも帰ってくるというし、タイミングが合えばお出迎えくらいは行けるかもしれないと密かに考えていた。
曖昧に笑いながらクロームさんをみるとぽつりと話はじめた。
「毎年、クリスマスには皆で集まってパーティをしてるの。でも今年は骸様が帰国してからと思って皆と話しているんだけど」
『そうですか』
仲がよろしいことで。というより皆でパーティって…どんだけの規模なのかは想像できないがあの骸さんが参加するパーティーだ。盛大に催されそうな気配がする。
「それで貴女にも来てほしいの」
『え、私…ですか?』
「ダメ?」
ダメっていうより、いいのか私なんかが行っても。仲の良い人達が揃うのなら私がひょっこり現れでもしたら誰こいつ?的な視線を受けることになってしまうのは想像に難くない。そうでなくてももし畏まったパーティーならば気後れしてしまう。ここは遠慮した方がいいだろう。
『すみません。その日はシフトが入っているんで難しいと思います。』
「…そう」
伏せられた睫毛が影をつくりなんとも形容しがたい雰囲気が私達を包む。
『ま、皆さんで楽しんでください』
何か言いたそうに口を開きかけたクロームさんだったがそれも言葉にはならず、とぼとぼと星空が煌めく夜道をふたり並んで歩いた。