ろくでなしのラブロック2

かぽーんと長閑な音が響く。人もまばらになりそろそろ閉店作業にうつらなくてはならない。番台から立ち上がり女湯の掃除を始めようとしたところでレジ横に置いていた蛍光灯の光を反射してきらりと光る髪飾りを見て小さくため息を吐く。
最近はいつもこの時間になるとそわそわしてしまう。あれからあのお客さんは来ていない。
あの日、握りしめていた髪留めを見つけたときは驚いたけどまた会えるかもしれないなんて淡い期待を抱いてしまった。
しかし掃除を終え戸締まりも終えたところで今日も来なかったと落胆する日が続いているのだ。全戦全敗。預かったままの髪留めは持ち主が現れないせいでずっと私の元に留まったまま。このまま来ないのだろうか。昔、この辺に住んでいたと言っていたのだから今はもうここには住んでいないのかもしれない。
おばあちゃんにそれとなく聞いてみたけどさっぱり覚えていないみたいだった。でも昔来てくれていた人がうちの銭湯に立ち寄ってくれたという話に嬉しそうにしていた。
名前も聞いていなかったので結局手掛かりはこの髪留めだけになり振り出しへ戻ってしまった。

*

今日も僅かな期待をしつつ掃除をしていると閉店間際にガラリと大きな音を立ててドアが開いた。
もしかしたらと急いで番台に戻ると髪の長い外国の男の人がのっそりと立っていた。しかし私の期待していた人とは違う。落胆しそうになって慌てて首をふる。お客さんなんだからちゃんとしないと。

「まだやっているかぁ?」

大きな声で言われたためびくりと肩が震えた。
ぎらりと睨まれひくりと喉がひきつる。

「聞こえなかったか?」

今日は雨なんて降ってなかった。けれどお風呂にはいる前なのになんで既にずぶ濡れなのかとかきっと気にしてはいけないんだ。口の端を持ち上げて笑顔を作ってはみたが上手に出来ているだろうか。

『い、いえ。大丈夫です』

番台に上りお釣とタオルを手渡すとシルバーの長い髪を揺らしながら脱衣場へあがり不機嫌そうにじっとりと水分を含んだ服を脱ぎ捨てた。

*

すごい。その一言に尽きる。あの長い髪を一瞬の間に乾かした。目にも止まらぬ早さについつい見とれていると私の視線に気づいたのか「なんだぁ?」と裸足でぺたりぺたりとこちらへ近付いてくる。下着を着けてくれたのはありがたいが出来れば衣服も着て欲しい。あ、そういえば濡れていたっけ。

『あ、の、髪の毛乾かすの上手いんですね』

そう言うとどこか嬉しそうににいっと口の端を歪ませた。うん、その笑顔が怖い。

「ヴァリアークオリティだからな!」
『ば、ばり…?』

日本語が堪能だったから突然の流暢な異国の単語に耳がついていけなかった。なんと言ったんだろう。 じっと男の人を見上げるとハッとしたように「なんでもねぇ」と呟いた。なんだ普通の声も出せるんじゃないの。初めからそのトーンで話して欲しかった。
さらさらと肌に滑り落ちる髪を眺めていて気づいた。ああしまった。じろじろ見すぎたかもしれない。着痩せするタイプなのかガッシリと筋肉質な男の人の身体の先にあるものからそっと目をそらす。

「どうした?」
『腕。義手なんですね』
「…昔、事故でな」

あまり詳しくは話したくないようでそれっきり会話は途切れてしまった。うう、気まずい。

『服、乾かしましょうか?と言っても扇風機の前で干すだけですけど』
「…いいのか?」
『はい、ハンガー取ってきます。良かったらこれどうぞ。私は掃除に戻りますんで適当に寛いでてください』

コーヒー牛乳の蓋を外して渡すときょとんと目を丸くしていたが「すまねぇな」と笑った顔に今度はこちらが目を丸くする。そんな顔もできるなら初めからその顔で笑って欲しかった。

*


がぶりと大きな口に首筋を噛まれる。先程から執拗に繰り返されるそれに視界がぼやけっぱなしだ。

『っ、いっ…!』

痛い。本気で痛い。どうしよう。一瞬でもいい人なのかもしれないと思って油断したのが間違いだった。掃除を手伝ってもらったくらいで簡単に気を許したりなんかして本当にバカだ。

初めは一人で作業していた。
男の人も大人しく脱衣場の古ぼけた椅子に座って渡したコーヒー牛乳を飲んでいた。しかし寛ぐといってもここは銭湯。その内うろうろして壁に貼ってあるポスターなんかを眺めて時間を潰していたようだが、ついにそれも飽きたのか手伝うと言い出した。

『いえ、お客さんにそんなことをさせるわけには…』
「気にすんなぁ。丁度もて余していたところだ」
『でも…』

そんな問答を数度繰り返していたが痺れを切らせたのか手にしていたデッキブラシを奪われた。
しかしそこからが凄まじかった。髪を乾かすときと同様物凄いスピードであっという間に終わらせてしまったのだ。なにこの人。清掃業者とかそんな感じ?何とかクオリティとか言っていたし。

『凄いですね』
「二人でやったからな」

いや絶対そんなレベルの話じゃない。
まあそんなこんなで予定よりずいぶん早く終わってしまった掃除に今度は乾かしていた服の方が追いつかなかったみたいで、触れると未だに水分を含ませたまま扇風機の風に揺られていた。

『まだかかりそうですね』
「そうだな」

それから乾くまでの間少し雑談をした。
お客さんの名前はスクアーロさんというらしい。話してみると意外と親しみやすい人なんだと思った。声が大きいし言葉遣いもぶっきらぼうで怖く思えるが、それは職場が血気盛んな男所帯でそのチームを取り纏める役を担っているからつい普段でも声を荒げてしまうと言っていた。
そして今回はその仕事の出張で日本にやって来たそうだ。来たときにずぶ濡れだったのは理不尽な上司のヒステリーが炸裂した為だという。でもそんな上司に忠誠を誓っていること、生意気で可愛いげのない同僚や部下達との話を聞いていたら随分時間が経っていたらしくスクアーロさんの大きなくしゃみで気づいた。

『服、もう大丈夫みたいですね』
「あ、ああ」

椅子から立ち上がり干していた服に触って確かめているとふと手元が翳った。ああ、スクアーロさんも確かめようとしているんだろうと場所をずらそうとしたらがしりと両肩を掴まれた。何だろう。そのまま動かなくてもいいってことか?

『あの、』

どうしたんですか、と疑問を口にする前に私の口は悲鳴をあげていた。
そう。がぶりと首筋を噛まれたのだ。

『ちょっと、何する…んっ…!』

今度は口を吸われた。え、なにこの人。
がしゃんとハンガーから滑り落ちた洋服は床の上に散乱する。でもそんなのに構ってる場合じゃない。慌ててスクアーロさんの胸元を押しのけて離れようとしたががっちり押さえつけられてびくともしない。

「どうしたぁ?」

覗き込んでくる目に睨み返したが上手くはいかなかったみたいでスクアーロさんの瞳には情けない顔をして身体を縮みこませた私が映っていた。

『や、めて…痛いの、やだ…』

ごくりとスクアーロさんの喉仏が動いた。ふざけるな。ここは興奮するところじゃない。今すぐ離れて謝るところだろうが。にたりとそれはもう先程とは比べ物にならないくらい凶悪な顔をして笑う。

「初めてだったのかぁ。そいつはすまねぇことをしたなぁ」

検討違いも甚だしい謝罪を受けて絶望した。

「代わりにたっぷり可愛がってやるからなぁ!」

続けられた言葉にはやっぱり絶望しかなかった。



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