薬指に誓おう

何故だ。何故私はこんな日にバスで30分電車で10分も掛けてこんな所に立っているんだ。
駅に着き流れる人の群れに身を任せとぼとぼ歩いているとあの日と同じように同じ場所でやつが立っていた。声を掛けようと近づいていた足がふいに止まる。
今日はあの日とは違い奴の隣には女の人がいたからだ。仲睦まじく話す二人の姿は容姿のせいもあってか周りの視線を独り占めだ。
どうやらダブルブッキングというやつらしい。くそ、あんな男の言うことをまともに聞いて馬鹿をみた。
煌めくイルミネーションの中、楽しそうに話している二人は本当にお似合いで私の入る隙なんか全くと言っていいほど皆無だ。
一呼吸置いて、クルリと踵を返す。気づかれぬうちに早々に退散しようと、止まっていた足を目的地とは別の方向へ動かした。こんな寒い日は熱燗におでんだ。花の蜜に誘われる蝶のように蜂蜜に群がる黄色いクマのようにふらふらと赤提灯の屋台へと惹き寄せられた。



*

彼女を待っていると声を掛けられた。凪だった。どうやらボンゴレの所の笹川京子と三浦ハルと待ち合わせをしているらしい。話しているとなまえがこちらへ歩いてくるのが見えた。丁度良い、凪にも紹介しておこうと思い手を挙げて呼び寄せようとしていた腕が中途半端に止まる。なまえは立ち止まったかと思いきや、くるりと踵を返してすたすたと歩き出したのだ。確かに僕に気づいていた筈なのに。何故。どうして。ぐるぐる頭の中が混乱している。不自然に固まった僕に隣にいた凪が不審に思ったのか「骸様?」と声を掛けてくる。その声に弾かれたように僕の足は動き出していた。



*


ふらふらと赤提灯を目指していた足が急に止まった。正確にいえば腕を引かれて止められたのだ。何事だと振り返るとひどく困惑した顔をしているやつがいた。ああ私の所になんか来ちゃダメだろうに。チラリと視線を動かすと遠くの方で取り残された彼女がぽかんとした顔で立っていた。早く戻らないと誤解されてしまうのに。のこのこ私の所になんか来て何を考えているんだ。

「どこに行こうとしているんですか」
『ごめん』
「いえ、それより……」
『彼女と一緒に居たのに、邪魔してごめん』
「は、」

驚きで見開かれていく色違いの目を見ながら、早く彼女の元に戻ってくれと祈る。

「僕の彼女は君でしょう?」

ぽつりと漏れた言葉に鈍い衝撃に襲われたような気がした。なにを言っているんだコイツは。今度は私が驚く番だった。



*

「僕の彼女は君でしょう?」
『……え、』

僕の言葉にゆっくり顔を上げる彼女の顔はひどく驚いていた。どうしてそんな顔をするのだ。

『かの、じょ…?』
「そうです。君です」
『えぇ…?えっ…と…』

忙しなく動かされる瞳に苛立つ。どうしてすぐに肯定しない。苦しそうに呻いた後、絞り出すように口を開いた。

『知ら、ない…』

知らない?だったら、だったらどうして今まで一度だって僕を拒まなかった。俯いていく彼女をこんなに憎らしいと思う日がくるなんて。

「じゃあ今言います。付き合いなさい」

苛立ちを抑えることも出来ずそう言うと『……考えさせて』と言い残しするりと僕の腕の中から抜け出した。考える、って何をですか。何も考える事なんてない筈だ。じゃあ、あの日駆けつけてくれた君はなんだったんですか。
君がすり抜けていった腕が信じられなくて追い掛ける事さえ忘れてじっと見下ろしていた。さっきまでこの腕の中に居た筈なのに。ああ、遠くで凪が呼んでいる。早く戻らなくては心配をかけてしまう。人混みに紛れ小さくなっていく彼女の後ろ姿を呆然と見つめ続けていた。



*




どうしようどうしようどうしよう。彼女、って。私が…?冗談でしょう?今までそういった行為こそはあったもののそんな事を言われた事は一切なかった。街で見かけた事が何度かあったがその時はいつだって綺麗な女の人と一緒に居たではないか。私もその中の一人だと思っていた。今日一緒に居た女性とも何度か居るのを見たことがある。だからてっきり本命なのだと思っていたのだが…。

『…なんで』

ごちゃごちゃしてきた頭を一旦リセットしようと目についた藍色の暖簾を潜る。『お湯割り』と言うと大将の「あいよ」という声と共に全てが忘れられる魔法の水が出された。じんわりと冷えた指先を暖めてくれるそれを口に運ぶ。忘れてしまおう、何もかも。今日あった出来事や、やつの事すら全て。そして、私は明日から何事もなかったように生きていくのだ。それでいい。喉元を下りていく熱をゆっくり呑み込んだ。



*

こんな筈じゃなかった。今日はイルミネーションを見て、予約しておいたレストランで食事をしてそれから朝まで一緒に…。一緒に過ごすつもりだった。今日も、これからもずっと。その為に指輪も購入した。今日渡そうと思っていたのにまだ僕のポケットの中でひっそり眠っている。どこで間違った。初めから僕の一方通行だったのだろうか。わからない。
気がつくと彼女のアパートの近くまで来ていた。あれから帰ってひとりで居るのだろうか。会いたい、会ってもう一度話がしたい。じっと見つめていると彼女の部屋のドアが開いた。僅かな期待を寄せて見つめていると中から男が出てきた。
気安げに彼女の頭に乗せられる手。
照れたように俯く彼女。
嘘だ嘘だ嘘だ。気が遠のきそうになりながら楽しげな二人の様子を僕はただ立ち尽くしていた。






*




なんて事はもちろんなく。頭に血の上った僕は二人を見るや否や駆け出していた。突然現れた僕に驚く男の顎に一発叩きつけて、呆然とその様子を見ていたなまえと目があう。慌てて閉められたドアを握りぐっと力を込める。

「開けなさい」
『やだ』
「開けなさい」
『むり』
「…開けろ」

隙間から覗くドアチェーンに手を掛けると怯えたように大きく肩を震わせた。ゆっくりチェーンを握り潰すと驚愕へと表情を変える。
そのまま部屋へ押し入ると何事か叫びながら僕を押し返そうとする彼女に苛立ち担ぎあげた。




「はっ…」

そして我に返った僕が目にしたものは、ベットの上で顔を覆いながら泣きじゃくっているなまえの姿だった。大きく広げられたシャツの間から露になっている胸や捲り上げられたスカートから覗く太ももが眩しくて、繋がったままだったそこは僕が幾度となく吐き出したものが動く度にこぽりと揺れている。
当の彼女はひどいとか弟がとか電球をとか塩辛がとかそんな事を言っていた。

『ちゃ…んと、』
「はい」
『か、考え…るって、言ったのに…』

掠れた声で尚も溢れる涙を擦りながら責めてくる。その手をやんわりとって真っ赤に腫らした目元にそっと口づける。すみません、と謝ると強張っていた身体から力が抜けていく。ちゅ、とおでこ、瞼、頬、そして手の甲に順に口づけていく。

「ねぇなまえ…早く僕を選んで。君が他の男と一緒に居たり笑いあっていたりしているかと思うだけでどうにかなりそうです、だから、お願いだから…」

情けない顔の僕がなまえの潤んだ瞳にぼやけて写される。

『…ここ、壁薄いのに』『いっぱい騒いで…あんな声もいっぱい出して…』『もう、ここに居れない…』

途切れ途切れに聞こえてくる言葉にいちいちすみません、と答えていく。彼女の言葉が完全に途切れたところで最後に「僕のところに来ますか?」と尋ねるとぼうっとした顔のなまえがこくりと小さく頷いた。

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