20130214
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ゆっくりと上昇した後、開かれたエレベーターの先にはちらほらと日本の方ではない人達が行き交っていて国際色豊かだ。
ここのフロアの人達はいわゆる海外遠征組というやつで世界中を飛び回っているらしい。
だからうちの会社って何の企業だっての。
この間なんか物凄い量のイタリア産トマトの発注があったりしてあの時はさすがに目を疑ったわ。
とにかくそんな我が社の選りすぐりのエリートが集まるフロアに来ているというのに生憎じっくり周りを確認する余裕もない。
すごく残念だがこっちだってそれどころじゃないのだ。
また今日も午前様コースになるのかとため息をついて歩きながら手にしていた書類に目を通す。
一応チェックはしたつもりだが誤字脱字がないか最終確認だ。
昨日フラフラの頭で仕上げた書類だったからかなり怪しい。
外部へと流す文書だから気をつけないといけないのよねぇ。
文字の羅列を目で追いながら、そういえば、とふと頭に過ぎる。
最近彼に会ってないなぁ…なんて。
今までそうあまり高くない確率で現在住んでいるマンションで偶然会ってその流れでなし崩し的に主に私の部屋で逢瀬…っていうのは少し恥ずかしいんだけど、とにかく一緒に眠る時間が非常に心地良い相手のことを思い出した。
まあ彼も忙しいみたいだし、私もそんな彼に負けず劣らずの不規則な生活を送っているわけでなかなか会えないんだけど。
でも家に帰る事が出来た時は会えるかなあなんて淡い期待を毎回抱いてしまうくらいには好意を寄せているのは事実。
もちろんそんなことはお互い口に出したりはしたことがない。
まあそんな暇があるなら睡眠を優先してしまう辺り二人ともまだまだそんな心の余裕がないだけなのかもしれない。
だって彼は睡眠をとりに来ているんだから。ただ寝る前にお風呂に入ったり歯磨きをしたりするのと同意義でちょっと大人な欲求を発散しているだけで…。
うわぁ。ちょっとヤバいかも。なんか思い出したら急に会いたくなってきた。
さっきは午前様コースとか強がったけど実は帰れる気が全くしない。
こんな日くらい早く仕事を済ませて家に帰りたいと思って頑張ってたんだけど、何故か今日に限って片付けていく端から同じ速度で同量の仕事が回ってきてるんだからもう笑うしかない。
ちくしょう、誰だよ私に仕事回してきてんのは!!
いい加減にしないとそろそろ暴れんぞコンニャロウ!!!…腹の中でだけ息巻いて再び書類に集中する。まあ暴れた所で仕事が減るわけじゃないしね。
もしかしたら、と思って用意していたチョコレートはどうやら不要になりそうだ。
*
諦めはついたはずなのに気持ちの方は全然諦めきれずにいる。
目の前の書類に書かれた文字は上滑りするばかりで一向に集中出来ていない。
どうしてくれんのよもう。あんたのこと思い出しちゃったから仕事になんないじゃないの。
この場にいない彼に半ば八つ当たり気味に心の中で悪態をついて意識を無理矢理書類に集中させると思いは通じたのか今度は書類の方から私に近づいてきた。
なによ両思いってやつ?
心配しなくてもあんたのことなんて一昨日からずっと、そりゃもう目が乾燥するくらいモニターの前でみつめてきたんだから、だからちょっとくらい他の男に現をぬかすくらい大目にみてよね!
なんてもちろんそんなことはなくて、前方不注意で誰かにぶつかった。
『ごめんなさい』
「いえ、」
うう、恥ずかしい。
書類に顔を埋めてる変な奴だって絶対思われた。
誤魔化すように相手の顔も碌に見ないまま足早に通り過ぎているとある違和感に襲われて胸がざわめく。
え?ちょっと待って…
慌てて振り返ってぶつかった相手を見ると、どうやら相手も同じだったらしくタイミング良くばちっと目が合ってしまった。
『なんで、』
「どうして君がこんなところにいるんですか?!」
私の疑問は彼の口によって先に放たれた。
先程まで頭の中を占領していた彼は珍しく戸惑いを隠せない表情をしていた。
『それはこっちのセリフだって!』
「まさかとは思いますが職場を間違えたなんてことは…」
『失敬な!いくらなんでもそこまでおっちょこちょいじゃないわ!!』
思いっきり反論すると「ですよね」と肩をおとした。
というより何でそんな顔をされなきゃなんないの。私がここで働いていたらマズい事でもあるの?こっちは驚いたけど嬉しかったのに。
疑惑を膨らませていると表情に出ていたのか慌てて「違いますよ」と付け足された。
「今、変なこと考えてたでしょう」
『べっつにぃ?私と一緒にいるのを誰かに見られたら不都合なの事が起こるのかなあって思っただけですぅー』
「そんな訳ないでしょう。というよりその話し方を今すぐやめなさい。どこぞのガキを思い出すので」
『ふぅん』
「何ですか、その目」
『その年下のかわいこちゃんに見られたらマズいんだ』
「はぁ?」
目を見開いて、それからじっと見つめられた。
怒ったかな?でも私だってそんな扱いされたんじゃ黙ってなんていられないんだから。ずっと会いたかったのも、こうして会えて嬉しかったのも私だけだったなんて悲しいじゃない。
「ここで話していても埒があかないみたいですね」
『隠すんだ!そのかわいこちゃんから私を隠すんだ!!』
喚く私を煩わしそうに見下ろしてため息をひとつ。それから強く腕を掴まれた。
呆れられたかも。じわりと目頭が熱くなってきたから慌てて数回瞬きをして零れそうになった水分を飛ばす。掴まれた腕が痛い。廊下を歩いていても会話はないままで息苦しさを感じる。
しばらく黙って着いて行っていると目的地に着いたのかどこかの部屋の前で歩みを止めた。
ドアを開くと軽く背中を押され室内へ促される。暗い部屋へ足を踏み入れるとふわりとした柔らかい感触に驚いて思わず一歩後退る。腕を離され戸惑っていると背後からかちりと音がして室内が明るく照らされた。
そこで柔らかなものの正体がわかった。床には絨毯が敷かれていたのだ。
室内を見回すと応接用のソファとテーブルが一組と観葉植物がある。
目映さに目を瞬かせて室内の様子を眺めていると背後から包み込むように覆われた。
いつもだったら振り返って彼に応えていた。でも今日はそれがまるで腫れ物にでも触れるように恐々と触られられているみたいで余計に腹がたつ。
「今日、会いに行こうと思ってたんです…ってどうして泣いてるんですか?!」
咄嗟に彼の視線から逃れるように俯いた。泣いていたつもりなんてなかった。
でも指摘されたことで涙腺が緩んだ。
私の機嫌を窺うようにそっと顔を覗き込んできて反射的に手を振り払う。
『泣いてない!それに今更そんな言い訳なんか聞かされても信じるわけないでしょ!』
「目も鼻も赤くして何言ってるんですか」
気まずさから目を反らす。
ぺたりと頬を撫でてゆっくりと目元を指の腹で優しく拭われても到底私の機嫌はなおったりしない。そんなに単純なんかじゃないんだから。
「今日会えなくても君が戻るまで待つつもりでした」
『………』
嘘だって思った。けどそれよりも嬉しさの方が上回っちゃいそうだから困る。そわそわと落ち着かなくなってきて必死に絨毯を見つめた。
「だからこうして仕事も早く切り上げて、今から帰るつもりでした」
本当かな。やっぱり嘘でも嬉しい。
ちらりと顔をあげると今まで見たことがないくらい真剣な顔で見つめられて心臓がきゅんと甘く疼いた。
ばか。こんな時に見惚れてどうする。
悟られないようこの場をやり過ごそうと言葉を探す。
『お仕事、終わったの?』
よりによって仕事の話かよ!
不思議そうに首を傾げながらも律儀に答えてくれるのがなんともいえない。
「はい。僕でなくても構わないものは部下に回したので今日はあがりです」
部下に…。
あれ?何だろう。なんか引っかかる。
手に持っていた書類に視線を落とすとつられたのか一緒に覗きこんできた。
「ああ、それです。さすが仕事が早いですね」
『わぁい。褒められちゃった。やったぁ…!…ってお前か!!やたらと期限ギリギリで仕事を回してくる迷惑な奴ってのはお前だったのか!!』
睨みつけるとにっこりと「非常に優秀な新人が入ったと聞いていたもので」と悪びれることもなく笑う。
「やっとこっちを向いてくれましたね」
にこにこと嬉しそうに話す彼を見ていると全て許してしまいそうになる。
でも…。
『かわいこちゃんと会うんでしょう。早く帰れば』
「おや、妬いてるんですか」
『ばっかじゃない』
妬かない訳ないじゃない!
思わず声に出しそうになって喉の奥に引っ込めた。
今まで考えたことなかったと言えば嘘になる。彼が他の女と…なんて想像したらどうにかなりそうだった。だから今まで考えないように必死に誤魔化してきたのに。
黙り込んだ私に喉を小さく震わせて楽しそうに口を開いた。
「僕が他の人と会うのが泣くほど嫌だったんでしょう」
『別に、』
「でも君の期待に沿えなくて申し訳ないんですが、君のいうかわいこちゃんとやらは男なんです」
『だから聞いてないって…って、え?』
ポカンと見上げると今度は声をあげて笑う。
「嬉しいですねえ、そこまで君に想われていたなんて」
『は?だって年下のかわいこちゃんは?』
「それは君の勘違いでしょう。僕は一言も女性だとは言っていませんよ」
『うそ…』
「嘘じゃありません」
力が抜けてその場にへたり込みそうになった。
腰を支えられたから床に座ることにはならなかったけど。
自然と近づいた距離に、彼の香りに、どきりとする。そっと彼の首に腕を回すとちゅ、と軽く唇に触れた。
「一緒に帰りませんか?」
彼からのお誘いに頷きそうになって、はっと我に返る。
『…帰れない』
「…まだ拗ねてるんですか」
呆れたように眉をしかめた。いやいやそんな顔されたってこっちにはちゃんとした理由があるんだから。
『違う。回ってきた仕事がまだ残ってるから帰れない』
「そんなの明日でもいいじゃないですか」
『よくない。全然よくないよ、今日が期日のやつが後どれだけあると思ってんの!!』
「気にしなくても大丈夫です」
『おもいっきり気にするっつーの』
「そんな、まさかここまできてお預けですか」
情けなく眉を下げていたが気を取り直すように肩で息をして悪戯っぽく目が光を宿す。
「仕方ありませんね。では手早く済ませるとしましょうか」
お?もしかして手伝ってくれるとか?
大体彼の仕事のものもあるんだからちょっとくらいは手伝ってもらってもバチは当たんないと思うんだよね。
『…って、あれ?』
頭の中で急ぎの物を優先的に仕事の内容を組み立てていると気づけばソファに組み敷かれていた。
「どうかしましたか?」
『早く済ませるんじゃなかったの?』
一瞬キョトンと目を丸くさせたがすぐに先ほどの何ともいえない甘ったるい顔をして妖しく笑う。
「ええ、だからこうしてここで早く済ませようと」
『え?仕事は?手伝ってくれるんじゃないの?』
「まさか」
それは何のまさかなの。
ひくりと口の端がひきつる。
「早く帰って来てくださいね。君が戻るまでずっと待ってますから」
なんか今まで思ってた感じと全然違う。優しくない。優しいどころか自己中とかいうやつじゃないのこの人。
すごい詐欺にあったような気がしつつもこれから全力で仕事を頑張っちゃいそうな自分にそっとため息をついた。
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