明日着る服は

「そろそろ日本国籍が欲しいと思っているんです」

そう切り出した六道さんの言葉を私は身を固くして聞いていた。
なぜここに六道さんがいるのか。なぜ私は六道さんの前に伏しているのか。そしてなぜ六道さんが日本国籍を欲しているのか…溢れんばかりの疑問が頭の中を駆け巡るのだが私の体は地に伏したまま。母なる大地を感じながら六道さんを見上げると長い足を組み替えてぎゅと頭に感じる重みにうう…と情けなく呻き声をあげる事しか出来ない。

「どうです、ここはひとつ取引しませんか?」

ひっそりと笑う気配に戦慄を覚えなくもないが、取引とは…?

「君もいい年齢でしょう?そろそろ身を固めろという周りの声を煩わしく思っている頃合いなのかと思いまして考えたんです」

確かにここ数年で親を筆頭に親戚やら職場の人達の恋人はいないのか、結婚はしないのか、いい見合いの話があるというコンボにフルボッコにされているのだが、なぜ六道さんが私の現状を把握しているのか。新たな疑問が浮かんできたが頭に置かれた足によって思考を妨げられてうまく考えがまとまらない。
そして頼んでもいない心配を親身になってしてくれている六道さんに違和感を感じる。

『六道さんお心遣い痛み入ります。しかし六道さんのお手を煩わせるほどのことではないので大丈夫です』
「いいえ、いいんですよ。僕と君の仲でしょう?」

どんな仲だ。学生時代六道さんの代わりに校舎の落書きを消したくらいの風が吹いたら飛ばされてしまいそうな裂いたティッシュペーパーよりも薄い間柄だ。正直卒業して数年経つが今日の今日まで忘れて………はいなかったんだけど、記憶の彼方まで追いやってそのまま忘れて去ってしまいたいくらいではあった。
頭を抑えていた足が退いていくのを感じてほっと息をつく。
そして靴の爪先が私の顎の下にひたりとくっついたかと思うと勢いよく上方向に向けられた。

『ぐっ…!』

涙目で見上げる六道さんは心底愉しそうな顔をしている。もちろん私は全然愉しくない。ぷらぷらと弄ぶように靴先を揺らしながらにこりとその態度に到底相応しくない爽やかな笑みを浮かべて口を開いた。

「そこで提案です。ちょうど僕も日本国籍を手に入れようと思っていましてね。色んなルートを想定してみましたが、日本で手っ取り早く手にいれるには婚姻を結ぶことだと気がつきまして」

いやいや婚姻だって充分面倒くさい。お互いの両親への挨拶とか親戚への挨拶とか周りへの報告とか。日本国籍を欲しているのならばその手続きも面倒だろう。

『いやぁ〜無理なんじゃないんですかね〜。うちの両親も保守的といいますか、いくら結婚しろと口酸っぱく言ってはいますがそれが外国の方との結婚には尻込みしちゃうというか反対されると思うんですよ〜。すみません六道さん今回はお役に立てなくて!』

だんだんと冷たいものへ変わっていった眼差しの六道さんにひきつった顔で笑い返すと、きっかり靴先を顎と鼻を掠めることを忘れずにガタリと音を立てて立ち上がった。見上げる角度も自然と更に上向きになって私の首は限界を迎えている。

「いいですか、これから君が目を覚ましたらまずこの間届いていたワンピースに着替えて身なりを整えなさい。準備を終えた頃に来客を知らせるインターフォンが鳴ります。その音を聞いたらすぐに玄関に出て君が応対しなさい。後は余計なことを言わず黙って笑っていれば済みますのでくれぐれも余計なことを言わないように」

念押しして余計なことを言うなという六道さんの顔がいつもに増して険しいのはどうしてだろう。
そしてそう告げた六道さんの姿がゆらりと陽炎のように揺らめいて周りの景色と同化し始めた。それに呼応するかのように私の身体も透け始めている。

そうこれはただの夢。しかし限りなく現実にリンクしている夢だということを私はこれまでの経験上理解している。
きっとこれからベッドから飛び起きた私は先月何の前触れもなく六道さんから届いていた、怖くてずっと開けれずにいたクローゼットの奥でひっそりと今も息を殺しているであろう包装の上から新聞紙とガムテープでぐるぐるに梱包していた荷物を血眼になって探すことになるだろう。
遠くに聞こえる鳥のさえずりがだんだんと明瞭なものになったと共にぼんやりと明るくなってきた。
瞼を開こうとしてセットしていた目覚ましのアラームより先に聞こえてきた家全体に響く無機質なインターフォンの音に私は脳が覚醒するよりも速く飛び起きて玄関へと駆け出していた。

来るのが早すぎです六道さん。


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