流される骸12

彼女に会う為に街を歩いていると運悪くガラのあまりよろしくない連中に絡まれた。
今こんなことに時間を割いている暇はないというのに。
行動を起こした途端この様だ。つくづくついていない。
早く蹴散らして彼女の元へ急ごうとしたとき背後にどすんと何かが追突してきた。
軽くよろめいたものの体勢を崩すには至らずこんな時に一体誰だ、と振り返ると険しい顔をした件のなまえがいた。

『あんた証拠にもなくこんなところまで来て、また正ちゃんを苛めにきたの?』

きつくつり上げられた瞳に睨まれはしたもののあまり効果はない。その様子に思わず頬を緩めるとバカにされたとでも思ったのかむっとふてくされた。

「違います…君に会いに来ました」

そう言うと、私?と不思議そうに首を傾げていたがハッとして警戒を強める。

『嘘つこうったってそうはいかないんだから!』
「そうではなくて…少し場所を変えましょうか。失礼しますね」
『へ?』

抱えると背後にいた連中に気づいたのか息をのむ気配がした。

『何、不良の集い?』

恐る恐るといった具合に口を開いたが、無意識なのかぎこちなく僕の肩に置かれた手に力が入っていく。そうか。この世界での彼女はまだこういった諍いに慣れていないのか。
自分と彼女の生きてきた世界の違いがなんだか途方もなくかけ離れたもののように感じて意味もなく戸惑う。そんなことは初めからわかっていたことなのに。
でも今までは、少なくとも未来の僕はそんなことで不安になることはなかった。
それは多分彼女が僕に気を遣わせぬよう合わせてくれていたんだろう。ずっと。

「少し静かにしていてくださいね」

安心させるように笑いかけると強ばったままの顔で小さく頷いた。




*


立ち塞がる連中を適当にやり過ごして、それでもしつこく食い下がってきた奴は少々痛めつけることになったがそれもねじ伏せて人通りの多い通りに出た。

「もう大丈夫ですよ」

ぎゅっと僕にしがみついていたなまえはそっと目を開いた。恐々と周りを見渡している。
奴らを蹴りあげるたびに身体を震わせて終始固く目を瞑っていたのだ。あまり見せたくない場面でもあったので僕としてはありがたかったが。
大人しくなってしまったなまえを地面へとおろすと少しふらついたがどこにも怪我をしていないようでほっと胸を撫で下ろした。

「髪が乱れてしまいましたね」

整えようと手を伸ばしたら弾かれたようにサッと身体を離された。

『…自分で出来る』

中途半端に伸ばしていた手が中に浮いたまま行方を見失っている。これは怖がらせてしまったのか。
無言で髪を鋤いているなまえを眺めながらどうしたものかと考えあぐねていると、着信を知らせる電子音が鳴り響いた。
どうやら彼女のものだったらしく慌てたように髪をなでつけていた手を止めて鞄の中から携帯を取り出し画面を確認すると嬉しそうに瞳が和らいだ。

『正ちゃん』

ぽつりと呟かれた言葉にそういえば、と思い至る。
なまえは入江正一と待ち合わせていたんだった。
心配した入江がなまえに連絡をよこしたのだろう。
ちらりと僕を見たあと少し離れて通話ボタンを押し耳にあてている。しばらくぼそぼそと話していた猫背ぎみのなまえの背中を見つめていたが、突如声のボリュームが大きくなった。

『えぇ?今日来れないの?!』

聞き耳を立てるつもりはなかったが、聞こえてくる話の内容から察するにどうやら入江が来れなくなったらしい。
元よりふたりの邪魔をするつもりだったのだから僕にとって好都合だ。
ひっそりと心の内でほくそ笑んでいると拗ねたように電話口でしばらくごねていたが途中、一転して甘えを含んだ声が聞こえてきた。

『ふふ、じゃあ正ちゃんがちゅーしてくれたら許してあげる!』

瞬間、僕はなまえの手を掴み携帯の電源を切った。
驚いたように固まっている彼女を覆うように唇をふさぐ。

『んぅ…っ…』

薄く開いた口から舌を無理矢理捩じこませ口内で暴れさせるとぎょっとしたように目を見開いていた。
柔らかい。そして温かい。懐かしく思える未だ知るはずのない感触を夢中で舌先でなぞった。
もっと柔らかな場所だって、なまえの悦ぶところだって僕はちゃんと知っている。なのに彼女ときたらそんなことは全部どこかへ置き去りにして自分の生活を満喫していた。
初めてそれを目の当たりにしたときは取り残されたような裏切られたような気がした。
ずっと僕を、僕だけを求めていたくせに。
唇を離すとしばらく呆然としていたが、きゅっと口元に力が入ったかと思うとすぐにまたふにゃりと崩れる。

『…ふぇ、』

弱々しく漏れた言葉を逃すまいと唇の動きを追っているとふるふると小さく痙攣した。かと思えば辺り一帯に響くように声を上げた。

『ふぇええええん!』

目にいっぱい涙を浮かべ顔を真っ赤にして泣き出したのだ。

「あの、」

そんなに僕とでは嫌だったのか。入江は良くて、僕とでは…。どす黒く渦巻く感情にそっと蓋をして、今は泣き出した彼女を宥めることが先決だと自分を抑えつけた。でないとこのまま拐って誰にも知られない場所に閉じこめてしまいたい衝動に駆られそうになる。
しゃくりあげて嗚咽まじりに吐き出す雑言を受け止めながら『正ちゃん、正ちゃん』とこんな時にですら他の男の名を繰り返すなまえを恨めしく思いながら小さな背中をポンポンと軽く叩いてあやした。

『しょ、正ちゃんにも口にちゅーされたことないのにぃいい』

合間に溢れた言葉に一瞬思考が停止した。


「…え?」
『結婚式まで大事にとってたのに、ばかぁ!ばかぁ!』

鼻をすすりながらぽこぽこと抵抗するなまえがどうしようもなく可愛らしくて愛しくて。なんだ。僕が初めてだったのか。
そう思うと先程まで渦巻いていた感情がすっと引いていき、代わりにこみ上げてきた愛しさにたまらず、ぐずついていたなまえを抱きよせると再び泣き声が強くなった。

耳をつく泣き声も、何事かと興味本位に向けらる周囲の視線ももう気にならない。なまえさえいれば僕は…。




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