流されなかった骸

こぽ、こぽこぽこぽ…。

僕と外の世界を唯一繋ぐこの長い長いチューブの先には何があるのだろう。毎日毎日なんの刺激もない退屈な日々。


そんなある日、僅かな変化が起こった。

ぽちゃん、と小さな音を立てて何かが入ってきたのだ。
水の流れを無視してゆっくりと下降してくるそれ。じっと息を殺して気配を探ってみる。まさか新薬か。そう遠くない昔に我が身に振りかかった出来事が脳裏をよぎり自然と眉間にシワが寄る。
近くまで降りてきたそれに手を伸ばすと、ふわりと手の平に収まった。掴んでみるとチクリとした刺激が走る。その痛みに驚いて手から滑り落ちそうになったが寸での所で免れた。
暫く手の平の上で転がしてみたら、どうやら小さな石のようだ。


それから毎年この日になるとひとつずつ入れられるこの石。何の変化もない日々に訪れる僅かな変化。

いつからかこの日が楽しみになっていた。



水牢から出された日に握りしめていたその石を見てみると小さなダイヤモンドだった。全部で九つ。

一体誰が何の為に。

監守に尋ねてみたが返事は返って来なかった。捨て置くのも躊躇われてひっそりとポケットに忍ばせた。



白欄との戦いも終わり退屈な日々が続く毎日。何気なくポケットの中に入れた手にチクリとした刺激。なんだろう、と思って取り出してみるとあの小さな石だった。

長かったあの水牢生活で唯一の不思議な出来事。出来ることなら会って聞いてみたい。何故こんな事をしたのか、どういう意味があるのか、と。


僕は「こんな事」をした人物に興味が沸いた。







「随分珍しいですね、君がこんな所へ来るなんて。何の用です?」

ボンゴレのボスとなった沢田綱吉が珍しく僕を訪ねてきたのだ。

「お前に会わせたい人がいる」

ボンゴレの影に隠れていた人物がひょこっと顔を出した。

『やっと会えた』

はにかむように微笑む女性。しかし全く心当たりがない。はて、どこかで会ったのかと内心首を捻っていると彼女はポケットから大事そうに何かを取り出している。

『はい、これで全部』

そう言って差し出されたのは、あの小さなダイヤモンドだった。何故これを持っている?まさかと思いながらその女性を見つめる。

「貴女、だったんですか…」
『はい。これで10個揃ったでしょう?』
「ええ、そうですね。何故こんな事を?」

思えば、この質問が僕の命運を分けたのかもしれない。

『スウィート・テン・ダイヤモンドですよ!』
「はぁ…」

僕の手をとり意気揚々と語り出す彼女にあっけにとられていたが、次の言葉でどん底まで叩き落とされた。

『だから貴方をお婿に貰いにきました』
「………………は?」

ちょっと待て、この女は何を言っている?上手く状況が飲み込めない。しかし確実に良くない方向へ動き始めた気がする。
汗ばんだ手でぎゅうぎゅう握りしめられていた指先が変色していく。

『お婿さんになってください』
「いやいや、意味が分かりません」
『だって好意を寄せている相手にダイヤモンドを10個贈ると結婚出来るっていう呪いが』
「呪い?……ちょっ、ボンゴレ!笑ってないで説明しなさい!」

肩を震わせていたボンゴレは目尻に涙をため可笑しそうに笑っていた。

「一目惚れだってさ」
「説明になっていない!…だいたいこれレプリカですよ。呪いもクソもあるかっ!」
『…え、』

そう叫ぶと、拘束されていた手が彼女の手からスルリと抜け出した。赤黒く染まった指をそっと握りしめる。

『嘘…』
「残念でしたね」

呆然としている彼女に吐き捨てて、ボンゴレに連れ帰るよう伝える。力なく引きずられていく彼女の姿を窓から眺めていた。

全くとんだ茶番だ。どんな大層な理由があるかと思えば……くだらない。こんな物を10年もとっておいた自分に呆れる。
手の平にある小さな石をポケットの中にあったものと一緒にゴミ箱へ投げ捨てた。







あれきり彼女を見かけなくなった。やはりその程度の気持ちだったのか。自分の預かり知らぬところで子どもの恋愛のおままごとに付き合わされていたのかと思うと心底嫌気がする。しかもそれを楽しみにしていた自分にも。
もうこれで会う事もないかと思えば、幾分か気持ちが落ち着いた。




しかし3ヶ月を過ぎた頃からだろうか。予想に反し再び僕の前に現れたのだ、小さな箱と共に。

『きっちり給料の3ヶ月分ですよ!さぁこの指輪を嵌めてください、幸せにしてあげますから』

嫌がる僕の左手を素早く拐い無理矢理薬指に捻り込もうとする。

「ちょっ、近っ……鼻息がかかる…離れろ!」
『やばい、良い匂いがする…』


鼻息荒く詰め寄る彼女に身の危険を感じ突き飛ばすと、あっけなく床に尻餅をついて倒れる。
少しやり過ぎたかと思い手を差し出そうとした時だった。俯いた彼女がポツリと呟いた。

『…お願いがあります』
「なんで僕が君の言う事を聞かないといけないんです?」
『お願いします。これで本当に諦めますから』

辛そうに語る彼女の条件に耳を傾ける。
悪くない、と思った。





約束の時間まで残り僅か。勝利を確信してゆるゆるあがる口角。

『ろ、くどう、さんっ!』

騒がしく開かれたドアには彼女の姿があった。息を切らせ苦しそうだ。大方走り回って探していたのだろう、なんて滑稽な。

「残念でしたね、ゲームオーバーですよ」
『…はい』

彼女が入ってきたと同時にカチリと音を立てて時計の長針と短針が12を指した。








「約束通り僕の願いを聞いてもらいます」
『………』

悔しそうに項垂れる彼女の手には指輪が握りしめられていた。

彼女が出した条件は、指定した期日までにこの指輪を僕の左薬指に嵌める事が出来れば彼女の勝ち。出来なければ僕の勝ち、といった至ってシンプルなものだった。敗者が勝者の願いを何でも一つだけ叶えなければいけないというおまけ付き。


未だ俯いたままの彼女の手から指輪を抜き取る。

「今度は本物みたいですね」
『………』

何となくその指輪を嵌めてみた。嫌になるくらいピタリと僕の指に嵌まる。
こんな小さなもの一つだけで何を縛り付けることが出来るというのだ。

『…嵌めましたね』

大人しかった彼女が口を開いたかと思えば、この場にそぐわぬ笑みを浮かべている。

「もう時間は過ぎたので無効ですよ」
『いいえ、私の勝ちです』

自信満々に言う彼女に時計を示す。12時を5分程過ぎている。

「決まりの12時はとっくに過ぎています」
『ふふふ、甘い!甘いですよ六道さん!いえ、今日からは骸さんと呼ばせてもらいます!』

高らかにそう叫ぶ彼女。遂に気でもふれてしまったのか。

「いい加減に…」
『協力してもらったんですよ、ツナさんに』
「何を、ですか」

ゴクリと唾液を飲み込む。すごく嫌な予感がする。

『世界中の時計を15分遅らせてくれってね』
「っは…そんなの出来るわけないでしょう」
『最初は渋っていたけどちゃんと誠意を持って話したら分かってくれました。さすが持つべきものは友達ですよね』

にたりと笑いながらゆっくり近づいてきた。








『約束、守ってください』
「嫌です」
『でも好きなんです、骸さんのこと』
「嫌です」
『…じゃあどうして今までこの石を持っていてくれたんですか?』

そう言って取り出したのは捨てた筈のあの小さな石。

「それは…」
『ねぇ、骸さん。本当に嫌ならもう貴方の前から消えます。でも、ほんの少しでも私の事が嫌いじゃないなら、まだ可能性があるなら私の事をちゃんと知って欲しいです』
「…嫌いになるわけ、ないです」
『え…』

大きく見開かれた彼女の瞳。

「嫌いになれるわけないです。だって10年も君の事ばかり、それはもう毎日毎日気の遠くなるほど長い間考えていたんですよ。なのに君は突然僕の前に現れて言いたいだけ言って、僕の言おうとしている事なんか聞こうとしないで好き勝手掻き乱して、かと思えばまた姿を見せなくなるし」

そこで言葉を切って彼女を見ると不思議そうな顔をしていた。そんな彼女に苦笑してみせる。

「その上、告白までされたら男として情けないです」
『骸さん…』

じわりと目に涙を浮かべている。彼女の柔らかい頬を撫でるとぴくっと反応する。それにくすりと笑いながら口を開く。

「なーんて言うと思いましたか」
『………へ?』

むにっとほっぺを引っ張るとポカンと間の抜けた顔をして固まっている。

『だっ、騙しましたね!』
「騙してなんかいません。ただの冗談です」
『悪質ですよ!』
「何とでも。…これはお返しします」

指輪を抜き取り彼女の左手に嵌める。案の定、彼女の指にはブカブカで今にも落ちてしまいそうだ。
酷い!と喚きたてる煩い彼女の後頭部に手を回し引き寄せる。そのまま口を塞ぐと顔を真っ赤にして苦しそうにしている。




だって10年も振り回されたんですからこれくらいの意地悪は許されるでしょう?
今度はちゃんと君にぴったりのものを贈りますから今は大人しくしていなさい。


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