ぐつぐつと沸騰する鍋の中に塩をひとつまみ。更に揺れる湯の中にパスタを入れる。料理は嫌いじゃない。そういえば僕の作ったものを馬鹿みたいに旨そうに食べる奴がいたな、なんて思い出す。
料理も掃除もてんでダメで何にも出来ないような娘だったが、ダメな子ほど可愛いとは良くいったもので心底惚れていたし、それは彼女だって同じだと思っていた。
*
『やだ、やだやだ』
「ほんの半年じゃないですか…」
『やだ…私も着いていく!』
「我が儘言わないでください。仕事なんですから」
『じゃあご飯どうすればいいの?私のライフラインが途絶える!』
死んじゃう!と必死にしがみついて泣きそうになっているなまえの頭を撫でて宥めるとぐりぐり擦りよってくる。
「外で済ませれば良いでしょう?」
『骸のご飯じゃないと生きていけない!』
「そんな大袈裟な…なるべく早く帰りますから、ね?」
男の胃袋を掴むとその女の元へ帰ってくるとはよく聞くが、それは女の場合でも有効なようで僕はなまえの胃袋をガッチリ掴んでしまったらしい。
『骸は私と離れても平気なんだ…』
「僕だって寂しいですよ」
『毎晩泣きながら骸のベットに潜り込んで骸の匂いを嗅ぎながらオナニーして虚しく過ごす日々。そんなある日、顔馴染みになったピザ屋のイケメンバイトに言い寄られてダメよ、私には彼氏がいるの。げへへ、毎日ピザばっか食ってる女に男なんかいるかよ。俺が慰めてやんよ。あぁダメ、やめて!しかしそこは男と女。抵抗も虚しくなぶられるなまえはいつしか雄の匂いに、愛撫に身体が火照り、遂には自ら男を求めるように腰を激しく振るのだった……って私が浮気しちゃっても平気なんだ、信じらんない!』
「オナ…っ?!……それは是非今夜辺りにでも僕の前でやってもらうとして、浮気なんてしたら追い出しますよ」
『ダメ!追い出しちゃ、やだ!』
「やだやだばかり言ってないで少しは僕を待つ努力をしなさい。毎日連絡しますから」
『うぅ…っ』
ぐずるなまえに笑いかけると小さく『わかった』と頷く。出発の日までなんとか着いて来ようとするのは些か困ったが、それでも僕を想っているからこそだと思えば単純に嬉しかった。
*
毎日は流石に無理だったが、時間の有るときには必ずなまえに電話をした。近くには入れないがせめて声だけでも聞いていたかったからだ。
なまえも何とか一人でも頑張っているようで『ピザだとイケメンが来そうだから毎日うどんを食べてる』そうだ。
そんな他愛もない毎日が過ぎて4ヶ月目で漸く仕事の目処が着いた。なまえにもうすぐ帰れそうだと伝えると『早く会いたい』と電話口で泣かれた。愛しさが込み上げてくると同時にやはり随分寂しい思いをさせてしまっているのだと胸が痛んだ。
帰ったら何処にでも連れて行って、何でも好きなものを買うと約束して、明日は友人とご飯を食べるのだと嬉しそうに話すなまえの声を聞いて電話を切った。
それがなまえと交わした最後の会話になるだなんて思ってもいなかった。
帰国出来る日が決まり、なまえへ知らせようと電話を掛けるが繋がらない。初めはこんな事もあるだろうと、(現に今までだって何度かあった。その度にすぐなまえから友人と会っていて気づかなかったとか、充電したままコンビニに行っていたとか泣きそうな声で掛け直してきていた)気に留めていなかったがいくら掛けても繋がらない。なまえからも掛かってこない。だんだん暗い影が胸を襲う。帰国の日になっても連絡は取れずじまいで周りへの挨拶もそこそこにマンションへと足早に戻った。玄関を開けると微かな違和感を感じたが、気のせいだと振り払い何度も何度もなまえの名を呼びながら家中探した。早く抱きしめたくて、『おかえり』と笑うあの気の抜けた笑顔が見たくて寝室、キッチン、バスルームとぐるぐる探し回った。
家中探して、それでも見つけられなくてリビングのテーブルの上にごめんと書きなぐられていたメモと『一生外さない』と言っていた揃いのリングに気がついた。
「嘘でしょう?」
虚しく響く自分の声が信じられなかった。
*
なまえが好きだと言っていたパスタを皿へ移しキッチンのテーブルにつく。
あれからひとりで食べる食事がこんなにも味気ないものだったなんて気づかせられた。本当は浮気なんてなまえさえ居てくれればどうだって良かった。
出来ることならもう一度貴女と些細な事で笑いながら生きたかった。
お題:Aコース様