伏せられた影を落とす長いまつげについつい見とれてしまいそうになって慌てて視線を反らす。いけない。いつもよりほんの少し緊張した感じの骸さんがじっと私の返答を待っている。
『いいですよ、私で良かったら。そのくらいお安いご用です』
「本当ですか?ありがとうございます」
強張らせていた表情をくずして安心したようにほっと息をついているのを見てつられて私も頬が緩む。
最近わりと頻繁にお邪魔している骸さんのお家で手料理を振る舞われ、お腹を満たされたところで食後のコーヒーと共に恭しく切り出された「お願いがあるんです」の言葉に首を捻っていると言い出しにくそうに口を開いた。
「この時期に男がひとりであのフロアに入って行くのは少し勇気がいりまして…普段だったらそんなことはないんですけど」
そう言って苦笑混じりに眉を下げている骸さんが妙に可愛らしく思えてしまう。
『甘いものお好きなんですね』
「ええ。その中でもチョコレートが一番好きなんですけど毎年行事に合わせて新作が出るんですがどうしても周りの視線が…」
確かに。バレンタイン前のこの時期に男の人があの異様な雰囲気を放つ一角に足を踏み入れるのは気が引けるだろう。
数年前には逆チョコというものも流行ったがいまいち浸透しきれていなかったのか今年はさっぱり噂を聞かない。
最近は男の人も甘いものが好きな人が多く自分で買い求める場合もあると聞くがそれでもこの時期は遠慮したいだろう。何せ世の女の執念染みた様々な想いが渦巻いているのだ。躊躇わない訳がない。こくりとカップに口づけてゆっくり飲み下す。そしてこちらを窺うような素振りの骸さんに安心させるようににっこりと笑ってみせた。
『任せてください!』
いつもお世話になっているせめてものご恩返しにと私は力強く頷いた。
*
やっぱりというべきかバレンタイン目前の休日のデパートというのは人が多い。もこもことした人の流れに巻き込まれてしまわないように壁際に寄って骸さんを待っているとひょっこりと人垣から頭ひとつ分覗く見慣れた姿がこちらへ近づいてくる。
手を振り居場所を知らせると例の蕩ける笑みを浮かべてごった返す人混みの中を器用にスイスイと歩いてくる。
「すみません、遅れてしまったみたいで」
『いえ、私が早く来すぎただけです』
実はこうして外で待ち合わせるのは初めてだったりする。ちらりと目の端で時計を確認するとまだ約束した時間には5分ほど余裕がある。彼の部屋を見ても分かるが改めてこの人の几帳面さが感じられて好ましく思ってしまう。それにしても、
『やっぱり骸さんってかっこいいんですね』
長身の骸さんを見上げながらそう言うとキョトンとして考える素振りをしたがすぐに首を横に振り、いいえ、と短く否定した。
「そんなことはありませんよ。初めて言われました」
それでも「ありがとうございます」と付け足された控えめな返事にやはり慣れたやり取りなのかもと疑ってしまう。
それはさておき、今日は彼のお目当ての物を購入しないといけないのだ。
気合いを入れて群れを成す一角を睨んだ。
*
てっきりリストを渡されて私が買いに走るのかと思っていたが「隣に居てくださるだけでいいんです」という申し出に肩透かしをくらった気分だった。
連れられて入った店には仰々しい箱に一粒ずつ丁寧に納められた艶を放つ宝石みたいな塊にほうっと見とれてしまう。私も買ってみようかと値段を見たらまた違う意味でため息が出た。
それでも諦めきれなくて一粒くらいなら、とガラスケースに畏まっているチョコレートをひとつずつ吟味しているとトントンと軽く肩を叩かれた。
「口、開けてください」
『え?』
発した言葉の形のまま開いた口の中へ冷えた塊が入ってきた。すぐに口の中で甘く溶けていく。
「美味しいですか?苺を使った新作みたいなんです」
もぐもぐと咀嚼をしていると苺の甘酸っぱい風味が口の中へ広がる。
なんだか飲み込むのがもったいない気がするのは、私が日本人だからだろうか。名残惜しいけどいつかは別れがくるのだ。口の中で消えていく苺とチョコレートの風味に泣く泣く別れを告げて骸さんに頷いた。
『すごく美味しいです』
私の返事に良かったです、と笑って「これもお願いします」とすかさず店員さんに告げる骸さんに思わず羨望の眼差しを向けてしまう。
一粒買うのだって躊躇ってしまうのに骸さんといったら先ほどからこれをいくつも繰り返しているのだ。
『ブルジョワですね』
「そんなことありませんよ。好きなものにはつい財布のひもが緩んじゃうんです」
くすりと可笑しそうに笑う骸さんにやっぱりブルジョワだと思ってしまうのは仕方がない。と思いたい。
*
『あっ。すみません、ちょっといいですか?』
骸さんの買い物を終えてデパートを後にしようと歩いている時だった。
途中で手作りのキッドが置かれているブースが目について指差すと頷いて後をついてくる。
骸さんの贔屓にしている店とは違いリーズナブルな金額に安心する。やっぱり私はこっち側の人間なんだ。ひとつずつ手にとって選んでいると横から声をかけられた。
「誰かへ贈るんですか?」
『まあ、そんなところです』
「羨ましいですね」
『またまた、骸さんってたくさん貰ってそうですよ』
そう言うと少し無言になって、それからポツリと呟いた。
「僕、チョコレートが好きなんです」
『知ってますよ?』
やっぱり無言になった骸さんが気になってパッケージから目をはなすと難しい顔をして私の方をじっと見ていた。それに少し落ち着かない気分になりながら、どうしました、と声をかけたがなかなか口を開こうとしない。
もう一度訊ねると重々しくそしてどこか拗ねたように口を開いた。
「…僕も欲しいです」
『え、っと…骸さんの普段食べているのに比べたら安物ですよ?』
「欲しいです」
珍しく食い下がる骸さんの気迫に圧倒されて『実は、』とあまり言いたくなかった種明かしをするはめになった。
*
「お友達に?」
『はい』
デパートからホテルのラウンジ内にあるカフェへと場所を変えて団欒ならぬ尋問を受けて、私は全てを白状した。だってこんなかっこいい人に真剣な顔でじっと見つめられたらもう私は抗う術なんてない。逆立ちしたって出てこないのだ。
「そうですか、お友達に…」
『何度も言わないでください』
「いえ、良かったなあと…」
『え?』
よく聞き取れなくて聞き返したら、はっとして咳払いをひとつしたあと「何でもありません」と言って誤魔化すようにコーヒーに口をつけた。
もう、恥ずかしいから絶対黙ってようと思ってたのに。
料理が苦手な私は毎年友達のお世話になっていた。最初はおこぼれのチョコレートを貰う程度だったが、ここ最近の美味しそうな手作りキッドを前につい手が伸びてしまいどうすることも出来ずに泣きついたのが始まりだった。それからは毎年彼氏に贈る用のついでに私の分もお願いしていたのだ。
「その役目、僕が立候補してもいいですか?」
『はい?』
買ったパッケージの裏側をしげしげと眺めていた視線を外して「お菓子を作る役です」と笑う骸さんに何と言っていいのか返事に窮してしまう。
「菓子の類いを作ったことはありませんが、これなら出来そうですし」
『それは、有難いですけど…』
骸さんと手作りキッドを交互に見ながら複雑な想いに駆られる。ダメですか?と首を傾げる仕草に頷いてしまうのはもはや時間の問題だ。