爆汗湯、爆ぜる

「いっ、嫌です。僕は絶対に認めません!」

まあまあとおざなりに繰り返しながらにやにやと小さな小袋のパッケージを眺めているなまえを前に視界がぼやける。別に泣きそうな訳ではない。いや、泣きたいくらいではあるが。立ち込める湯気にいっそこのまま彼女ごと消えてくれと願わずにいられない。

大体おかしいと思ったんです。彼女が珍しく家事を手伝うと言い出したことを。
でもまあ共同生活において少しは協力してくれる気になったのかと思っていた。お風呂の準備をしてくると言って湯を溜めに行ったのはいい。お湯が沸いたら沸いたで『骸、お先にどうぞ』ときたものだから若干の気味悪さを感じつつも言葉に甘えることにしてバスルームへと向かった。
日頃の疲れを癒すべく身体を洗った後、たっぷり湯の張った浴槽へ身を沈めると温かいお湯が全身を包む。その温かさに自然と口から吐息が漏れた。強張っていた身体が解れていく感覚に気持ちまで一緒に解されていくようでジンとした、それでいて決して不快ではない痺れが頭を襲う。
ゆったりと足をのばして束の間の安息に瞼を閉じたところで浴室のガラス戸が開かれひんやりとした空気と共に『背中を流してあげる』と言ってなまえがズカズカと入ってきたのだ。
当然慌てた僕は縁に置いていたタオルで前を隠してバスタブで隔たれたところに仁王立ちしているなまえを見上げた。
彼女の手には見慣れない赤い小袋が握られていた。僕の視線に気づいたのかにっこり笑って差し出してくる。

『入浴剤だよ。これすっごく身体が温まるんだって』
「へ、へぇ…」

ちらりと袋を見ると尋常ではない量の汗をかいたぬいぐるみのようなイラストにゲルマニウムだとか炭酸ガスといった謳い文句が派手に書かれていた。
更に袋の下部に視線を移したところで見過ごせない文字を発見してしまった。ヤツのエキスが配合されているではないか。


「お気持ちは大変嬉しいのですが、まさかそれを入れるつもりじゃあないですよね?」
『もちろん入れるに決まってるじゃない』
「やめてください!」

思わず叫んだため自分の声が狭い浴室内に大きく響いた。目を丸くして驚いているなまえにばつが悪くなり視線を反らす。

『なんで?』
「…辛いの苦手なんです」

今までそれとなく料理にも使わなかったのにこんなところでバレてしまうなんて。なまえに知れたら絶対よからぬことを企みそうで必死に隠してきたのに、まさか当のなまえの手によって持ちこまれるとはどんな運命の悪戯だ。

『別に食べるわけじゃないから大丈夫だよ』

軽い口調で言ってくれるがそんな問題じゃない。

「例え毛穴からでもヤツのエキスを体内に取り込むことが許せないんです!なので僕は断固反対します!!とにかく嫌だと言ったら嫌です」
『………へぇ?』

にたりと口をゆるませて瞳の奥に潜む僅かな光に引っかかりを感じた。

「あ、の、なまえ?」

その光がギラリと強い力を持ち目を反らせずにいると、ザッという音が耳をかすったかと思えば小袋の中身が浴槽に沈んでいた。

「なっ、何てことを!」
『あっは!』

ぐるぐるかき回しながら愉快そうに笑う。この顔にはすごく見覚えがある。いつだってこの笑顔に振り回されてきたのだから。

『うわぁ、すっごいやらしい色!骸にぴったり!!』
「どういう意味ですか?!」
『んー?思ったより匂いも気にならないねえ……それになんかぬるぬるしてる』

人の話を無視してピンク色に染まった液体を掬ってすんすん匂いを嗅いでいかと思えば、またにたりと笑って口を開いた。

『ローション風呂ってこんな感じかなぁ?』

そんなわけないだろう。そもそもそんなものに入ったことはないから聞かれても分からないが。いやいやローション風呂のことはどうでもいい。とにかくなまえにはここから出て行ってもらって、僕も一刻も早くこの液体から脱け出したい。どうやって退室願おうかと考えていると、ひたりと首に何かが張りついた。


「ちょ、な、にして…」
『んふ。身体を洗ってあげようかなーと思って』

そう言えば入ってきた時にそんな事を言っていたような気がしないでもない。
身体に触れた手がやけにゆっくり首筋から下へと動かされていく。その動きにタオル越しに少し反応してしまっている自分に情けなくなる。

「…いいです」
『なんで?』

身体を離そうとするとムッと不機嫌そうに眉を歪めて固くなった突起まで到達した指が乱暴に擦りあげた。

「…っ!もう、洗いましたから」
『自分じゃ手の届かないところもあるでしょ?』

そろりそろりと身体をなぞっていく手を払うことも出来ずにその動きをじっと目で追っていく。

『ここ、とか?』

するりとタオルの下へおりた手がきゅうっと僕を掴んできた。

「…そこも洗いました」
『どうかなー?』

ちゃぷちゃぷとなまえの動きにあわせて水面が揺れる。水の動きに僕の思考も一緒に融けてしまいそうだ。

「…もう、だめです」
『えー?』

はしゃぐなまえの腕を掴むと、一瞬身をすくませたがまたいつもの調子でへらりと笑う。

『もう、脅かさないでよ』
「本当に、もう…」
『、骸?』

浴槽から立ち上がり小さくなっていたなまえに覆い被さるように前のめりになる。ふわりと香るなまえの香りに目眩がした。僕の使っているものと同じなのに甘く感じるのはこの入浴剤のせいかはたまた彼女自身の香りのせいなのか。

『えっ、ちょっ、骸?』

身体を強ばらせているなまえへ近づくとその香りは一層強くなって肺や脳や僕の身体中に染み込んでいく。全身をなまえに支配されているような感覚に陥り、自分の身体の中でくすぶっていた熱が爆ぜた。

そしてなまえが立ち去るよりも僕の意識が途絶える方が先だった。






『熱いの苦手なら先に言ってよねー』

ぱたぱたとうちわで扇がれている僕は真横に座るなまえにくどくどと小言を言われ続けている。身体から熱が抜けていくと同時にまだぼんやりとした頭がキリキリと痛みだした。
どこか遠くで、運ぶのが大変だったとか、洋服がびちゃびちゃになったとか聞こえてくる声にそっと目を閉じた。

だから言ったじゃないですか。辛いのは苦手だって。



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