『あーっ!骸じゃん!!ひっさしぶりぃーーーー!』
授業が終わり帰り支度をして帰宅する者、部活動へ勤しむべく慌ただしく通路を駆ける者、暇を持て余したむろする者がごっちゃとなり渾然とした放課後の廊下で名を呼ばれ振り返ると不吉にもにっこりと笑うなまえが教室の窓から身を乗り出して手招きしていた。
久々に登校した学校での久々の日常。ぞくりと背筋を駆け巡った悪寒。うん。この感覚も久しぶりだ。僕は己の本能に従ってそれを見なかったことにして踵を返した。
するとどうしたことか。地の底から轟いているかのような地響きの後、背後からどすっと鈍い音と痛みが僕を襲う。あまりにも無防備だった僕はそれになす術もなく勢いのまま床に膝をついて崩れ落ちた。
『あれー?おっかしいなあ。聞こえなかったかなー?』
ゴリゴリと負傷した部分を的確に抉ってくるなまえの膝。痛い。痛いがそれ以上になまえの膝小僧が当たっている部分がなんというか…。どうせなら前からお願いします……って違う!前からってそんな。
意識が不味い方向へ集中してしまいそうになったところではっと我に返る。駄目だ。いくら柔らかな膝小僧でも持ち主がなまえなのだ。惑わされてはいけない。絶対何か良からぬことを企んでいるに違いない。
色々勘づかれないように立ち上がろうとしたがなまえの膝はまだ僕の患部を捉えていた。
「何ですか!お金ならありませんよ!!」
『もうやだ骸ってば、いつも私がカツアゲしてるみたいじゃない』
「………」
いつもカツアゲに類した行動をしている自覚がなかったのか。
遺憾な事実に打ちひしがれている僕のことなど気にした風もなく、ねぇ、と気安げに話し掛けてくる。
『骸、今日暇だよね?』
「いえ、残念ながらこれから用事が…」
『暇だよね?』
「………はい、暇です」
背後から聞こえてきたワントーン低くなったなまえの声色に従わないなんてことが出来る筈もなく這いつくばったまま僕は頷いた。
*
『で、今まで何してたの?』
街へと強制連行された僕は前を歩くなまえの後ろをまるでおとぎ話にでも出てくるような従者のごとく恭しく付き従っていた。
『突然学校に来なくなっちゃって皆心配してたんだよ?』
「まあ、少しごたついていまして…。それも一段落ついたので戻ってきました」
そっか、と聞いてきた割にはどうでもよさげな反応しか返ってこない。
プラスチックのカップにささったストローに口をつけてごくごくと美味しそうに飲んでいる。もちろんこれは先ほど僕が買いに行かされた一品でシャバに出てからの記念すべきおつかい第一号だ、畜生!
『私も心配してたんだよ。ううん、寂しかったって言った方が正しいかな?』
「……え?」
意外な返答に戸惑っているとくるりと振り返り普段からは想像もつかない真剣な表情をしていた。
『居なくなって初めて骸の大切さに気づいたの』
手にしていた鞄が地面へと滑り落ちる。ちょっ、何ですかこのフラグ。え?まさか、どっきり…?
慌てて周囲を見渡したがそれらしい集団は見当たらない。まじですか。
「それって、どういう…?」
慎重に、でも少しばかり早くなった鼓動を感じながら聞き返すと物憂げに微笑んだ。
『骸が学校に来なくなってから一人でいつもみたいにぶらぶらしてたんだけど二人で来てた時とは全然違うってことに気づいたの』
「あ、の…」
『こうしてジュースを飲んでも、お店に入って美味しいものを食べてもちっともしっくりこないの』
どうしてだと思う?だなんて聞かれたがそんなの僕が知る筈もない。でも万が一、いや億が一にもその可能性があるのなら…
「それは僕が居ないからですか?」
『うん。骸が居ないから』
素直に頷くなまえを不覚にも可愛いと思ってしまった。
これって完全に告白とかそういう流れになるんじゃないですか。そうですか、そうですか。まさかなまえがねえ。
なまえなんて全然タイプじゃないし、わがままだし、あんなに人のことをこき使っといて手すら握らせて貰えないし、いや一度少しばかり触ったことはあるが…。とにかく良いところなんて聞かれてもすぐに思い浮かばない。
でもこんな素直ななまえなら付き合ってあげてもいいかと思った。
人間なんだから誰にだって短所はある。ただなまえの場合、人より多いだけで。でもそれはこれから付き合っていく上で僕が注意していけばいい。なまえを躾るなんてなかなか骨が折れそうだが今までどんな無理難題を押しつけられても堪えてきた僕の忍耐力を甘くみてもらっては困る。覚悟が決まれば不思議なもので横暴極まりなかったなまえが、か弱い一人の女性に見えてくる。外見では平静を装っているがきっと今も僕の返事を内心震えながら待っているに違いない。
早く自分も同じ気持ちだと伝えよう。伝えて安心させることが今の僕の使命だとすら思う。
「なまえ、」
意識して呼ぶとただの固有名詞だったものが、とても特別なもののように感じる。優しい響きがすっと僕の中に入って柔らかく融けていく。
なまえも普段と違うものを感じとったのか僕のセリフを遮るように口を開いた。
『もう骸が居ないからどんどん財布の中身も寂しくなっちゃうし』
「え?」
『やっぱ骸に奢ってもらうのが一番美味しく食べれるワケよ!この数ヶ月どんなに侘しい放課後ライフを送ってきたと思う?骸には全然想像もつかないでしょう。大丈夫、怒ってる訳じゃないの。ちゃんと目ぼしい店はリストにしといてあげたから、さあ行ってきて!』
制服のポケットから取り出された一枚のルーズリーフにはぎっしりと店名と商品とおぼしき名前が書かれていた。
そうだ、これがなまえだ。紛れもなく僕の知っているなまえだ。前言撤回。可愛いだなんて思ったのは一時の気の迷いだった。『早く行きなさいよ』と追いたてるように急かすなまえにリストを握りしめある決意を胸に今日も僕は走り出す。
今後どんなに頼まれたって絶対付き合ってなんかやるもんですか。
晴天にも関わらずぼやけ始めた僕の視界の外で今日も世界は回っている。