音楽室の幽霊
お昼休み、私は新しく作った女友達数人と教室の片隅でお弁当を食べていた。
「良いなー名前ちゃん、黄瀬君の隣の席でさー…」
彼女は、女子達に囲まれて昼食を摂ってる黄瀬君を眺めやり、呟いた。
「私なんか話しかけられないよぉ」
「本当に格好良いよね…! アレ見ちゃうと他の男子に目が行かなくなるから困る…」
「苗字さん、時々話しているよね」
『そりゃー、隣だから何かとね…黄瀬君気さくだし、女慣れしてるし?
でも大した事話してないよ?』
「それでも羨ましいよ。隣に目の保養に出来る男子がいるんだからさ」
「私がそこに座ったら、ずっと黄瀬君見ちゃって勉強にならないよー」
「違いないw」
「教師の禿げ頭なんて見てらんないし」
「禿げ頭じゃなくて、黒板見なきゃ…」
「黄瀬君が先生やってくれるなら、絶対黄瀬君見ちゃう!」
「それって、やっぱり授業にならないじゃないw」
彼女等は軽く笑い声を立てた。
このメンバーは、割とおっとりしたマイペース系が揃っているので、私としても居心地が良い。
『でも良い事ばかりじゃないよ? 今みたいに休み時間になる度、他のクラスからも女子達が来て席取られちゃうんだからさ。
落ち着いて本も読めやしない』
私の愚痴に、他の子達は頷いた。
「あー…それは…ねぇ?」
『以前、席どかなかった時は睨まれただけじゃなくて、机蹴飛ばされた。机に座られた事もある』
「何それ、酷い!」
『それされなくても女子達に私まで囲まれてしまうし、煩いから結局逃げるしかなくて。
昼休みなんて特に時間が長いから、食事終わると居場所が無くて辛いよ』
「じゃ、どこで時間潰しているの?」
『……図書室か、偶に中庭のベンチ…かな?』
「隣は隣で苦労があるんだねー」
食後、一しきり雑談に花を咲かせ、委員会だったり購買だったり他の子と会う用事諸々で私達は解散した。
そう、この後の時間が酷く困る。
私は自分の席を見やった。
先程彼女等と話した通り、私の席は黄瀬君の取り巻き達に占領されていた。
この様子では、またギリギリまで居座られる事必至だった。
私は溜息を吐き、ロッカーから楽譜を取り出すと職員室に向かった。
職員室で音楽室の担当教員から、許可を受け鍵を受け取り、私は音楽室に行く。
先程話題にした時間潰しの場所の内、私は意図的に音楽室は入れなかった。
あの件以来、私は人前でピアノが弾けないからだ。
好奇心で聴かせて、と言われても絶対無理。
私は図書室で本を読むか落描きするか、音楽室でピアノを一人で弾く事が最近の秘かな楽しみとなっていた。
バスケ部のマネージャーは三軍と言えど厳しいもので、体調不良か余程の事がなければ休む事は許されず、無断で休む事は即退部に繋がる。
部活を終えて帰って、宿題と予習復習するだけで毎日が手一杯だった。
休みの日は、相田ジムでコーチ又は
…何だか気が付いたら、私の日々はバスケ漬けになってるな…
母は私が三軍になったのが気に入らないらしい。
一軍のマネになるまで、休みの日は相田ジムに通うよう厳命されていた。
落ち着いて絵を書いたりピアノを弾きたい。…一軍になれば、休日を丸々使えるけど…
赤司君はまだしも、緑間君がいる事を考えると、三軍にいる以外の選択肢はなかった。
マネは選手とは違い、昇級試験は無い。
だが、学年が上がる毎に自動昇級するか、偶に引き抜かれて上がる事はある。
……それで言うと、私は三年時には自動的に一軍になる可能性が高いのだけど。
その時はその時で、二軍に留まる意思を告げてみるつもりだ。例外も決して無い訳ではない。
私は少しでも、ピアノの練習は続けていた。
幸いにも自宅のピアノ室は防音工事を施してあるので、少々遅い時間でも近所迷惑にならないのは有難い。
※※※
音楽室で、私はピアノの蓋を開け椅子に腰かけた。
鍵盤に指を落すと、澄んだ音が響く。
私はこの瞬間がとても好きだ。
私はゆっくりと、先ずは指慣らしの為に軽い練習曲から弾き始めた。
私は、この一連の指慣らしの〆に、以前コンクールで失敗した曲を組み込んでいた。
あの時も暗譜するまで覚えたから、ずっと弾き続けた今では、何も考えなくても指が滑り出す。
楽しい。
蟹座の最悪日でも、ラッキーアイテムが無くても、今の様に弾けたなら。
あのコンクールの後、正直この曲は聞くだけでも辛かった。思い出したくもなかった。
……あのリボン、緑間君はどうしたのだろう?
あれから三年近く経つから、もう無くしてしまったろうか?
…あの律儀な彼の事だ。もしかしたら、ラッキーアイテムとして保管しているかもしれない。
でも、もう私には関係無い。
コンクールで失敗した後、私は意地になってその曲の練習をした。
弾けないままで立ち止まっているのはイヤだった。
もう、間違える…事はない。…でも、自分以外に聴かせられる人はいないけれど。
※※※
-緑間side-
バスケ部の振り分けテストの時、マネージャーの発表で聞き覚えがある名前が聞こえた。
あれは……あのコンクールの時、曲名と共に読み上げられた…苗字名前。
それと思しき女子の後ろ姿は見た。
俺は手続きを終えてから彼女を捜したが、もうその時には彼女の姿は無かった。
……もしかしたら、帝光の…バスケ部に在籍しているのか。…確か三軍、だったな。
今は練習がハードで、途中で抜けるとかはとても無理だ。
でも、もしそれがその時の彼女なら……きっと見付けられる。
今でもあの時の事は鮮明に覚えている。
(……使って。お気に入りを貸すんだから下手な演奏したら、ただじゃ措かないわよ?)
凛としたあの声が蘇る。
彼女の"お気に入り"を長らく借りたままだった。
あの曲…途中までの滑り出しは悪くはなかった。
だが、あれからどういう訳か、彼女は弾けなくなってしまい、突然いなくなってしまった。
あれには何か事情があるのだろうか?
俺は、あの時のラッキーアイテムの借りがある。
俺に出来る事なら、力になってやりたいが……
「ふっ、まるで蜃気楼の様だな…」
俺は独り言ちた。
今朝のおは朝でのお告げは「ラッキープレイスは音楽室」と「過去の恩人と再会する」だった。
今日の音楽の授業は無いので、唯一動ける昼休みに立ち寄る事にしたのだが…
職員室では担当教師が席を外し、音楽室の鍵は所定の場所には無かった。
…恐らく誰かが先を越したのだろう。
とにかく、俺は行くだけは行ってみる事にした。
音楽室の近くに差し掛かった。
その時に微かに聞こえて来たピアノの音に、俺は思わず足を止める。
「……この曲は」
間違いない。
あの時に彼女が弾こうとした曲だった。
いや、だから何だと言うのだ?
この曲だからって、他の者が弾いているかもしれないものを。
俺は一歩進む毎に、時間があの時に巻き戻って行くかの様な、眩暈に似た錯覚を覚えた。
思わず目を閉じ眉間に指を押し当てる。
…意識が…惹き込まれていく…
誰が弾いている……?
俺は好奇心が抑えられなくなり、音楽室に歩みを進める。
扉に手を掛けた。
ガタッ!
……閉っている…?
俺が戸に手を掛けたのと同時に、パタリとピアノの音が止んだ。
※※※
-名前side-
ガタッ!
不意に聞こえた音に、集中していた私の意識は突如破られた。
驚きの余り、一瞬飛び上がってしまった。
……誰かがいる。この音楽室の前に。
鍵を閉めておいて良かった…
私は慌ててピアノを閉め、音を立てない様に移動する。
二、三度ガタガタとドアが揺れ、軽く扉を叩く音がする。
「誰かいるのだろう? 開けるのだよ!」
その声を聞き、私は再度心臓が跳ねた。
あの声って……緑間君?
音楽室の扉には、一部すりガラスが嵌め込まれているので、中を覗いても見えない筈。
廊下側の壁は窓がなく防音になっている。扉は前後二つあるけど、私は抜かり無く両方とも閉めていた。
反対方向の扉もガタガタ言ってる…
私はカモフラージュに窓を一つ開けてから、そうっと最初に叩かれた扉に近付く。
音を立てない様に鍵を開け、ダッシュで掃除用具入れのロッカーに隠れた。
暫し静寂の後、ガラッと音がした。
鍵を開けた方の扉が開いた様だ。
ゆっくりと歩いて来る足音が聞こえる。
心臓がドキドキと激しく脈打っていた。
彼の足音は時々止み、また歩くを繰り返している。
中にいる誰かを探しているのだろうか。
私はロッカーの空気孔から外を窺い見た。
やっぱり緑間君だった。
彼は、ピアノの前で足を止めた。ピアノ椅子に腰かけ、蓋を開ける。
彼が弾き出した曲を聞いた私は、また心臓が止まりそうになった。
あのコンクールの時の曲だ…!!
彼が弾く音を聴いていると、時間が引き戻される。
まるであの時の再現の様だった。
しかし、あの時より熟達した曲は、あの時よりも柔らかく、美しく冴えていた。
何時しか惹き込まれ、聴き入っていた私の目からは涙が溢れていた。
怖いと思っていた。
でも、その音色は優しく私を包み込む。
まるで私を癒してくれるかの様に。
あの時から立ち止まってしまった私の心を、ゆっくりと未来に誘ってくれるかの様に。
(緑間君……っ!)
不意に音が途絶えた。
「お前…っ!!? 何でこんな所にいるのだよっ!?」
彼の悲鳴じみた声が聞こえ、私はびくりと肩を揺らす。
……見付かった?
「ニャー…」
「窓か!? こ、こら! 寄るな!! しっ!! あっちに行くのだよ…っ!!!」
バタバタした足音と扉を荒々しく開け閉めする音がした後、音楽室は再び静寂を取り戻した。
『…………』
私は空気孔から外を窺い、無人なのを確認すると、音を立てない様にロッカーから出た。
『…助かったぁ…』そっと息を吐く。
「ニャー…」
か細い声が聞こえ、足元を見ると小さな猫がいた。
緑間君……もしかして、逃げる程の猫嫌いなのか…? こんなに可愛いのに。
あの彼が、と一人でクスクス笑ってしまう。
「ありがとー、お陰で助かったわ」
私は猫に言い、全ての戸締りを済ませてから、猫を抱えて廊下に出た。