If-帝光編(一年)


escaper


私は猫を校庭に放し、職員室に向かった。
そろそろお昼休みが終わる。鍵を返却しなければならない。

職員室が見える辺りまで来てから、私はぎょっとして足を止めた。

職員室の扉が開き、緑間君が出て来た。
そして彼はどこにも行かず、その入口に佇んだままだった。

私は反射的に近くの柱の陰に身を寄せた。

……どうしよう…何で…?

私は混乱した頭の中で、その状況を把握した。
彼は先回りしたのではないか?
なら、彼が待っているのは…もしかして…私…か?

……彼は、あの時の事を覚えているのだろうか?
彼が来るまで、私の弾いていた曲はコンクールの曲だった。

あの後、緑間君が弾いた曲も…彼のコンクールの曲。
あれは…偶々では無くて、私の曲に触発されたとか…?

まさか…彼は私の存在に気が付いている……?

実際は分からない。
が、彼があそこにいて、私が入るのを黙って見過ごしてくれる可能性は低い様に思えた。

でも、いつまでもここにいる訳にはいかない。
彼はそこから動く気配が無かった。
私は携帯を開き、時間を確認した。
『…予鈴まで…あと五分……』

彼はきっとギリギリまで、そこにいるつもりなんだろう。
私は困ってしまった。

音楽室の鍵を返さない訳にはいかない。次の時間に使うクラスがあるのだから。
私は頭を抱えた。

『…どーしよー…困った……っ!!』
「何がですか?」

私は突然かけられた声に、飛び上がってしまう。
『…うっ…わ!? 黒子…っっ!!??』
「……すみません、驚かして。…で、苗字さんはどうしたのですか?」
『いやあの』

職員室を陰から窺っているなんて、不審者以外の何者でもない。
こんな状況をどう説明すれば良いんだ?

そうだ…!!
『…あの、黒子君。頼みがあるのですけど!』
いきなり丁寧になった私の言葉に、彼は首を傾げた。
「はい、何でしょう?」

※※※

-緑間side-

音楽室に入った時、窓が一つ開け放たれていた。
……音楽室は三階にある。
窓から確認した所、外壁には取り付けられる凹凸があり、近くに大樹が枝を伸ばしていた。
……外への出入りは可能か。

それでも、俺は確信していた。
アイツはきっと、職員室に戻ると。

それで俺は急ぎ先回りして職員室に行き、担当の音楽教師を見付けて、誰に貸したか質してやるつもりだった。

その教師は留守だったが、「貸し出し記録帳」と表紙に記載されてるノートが机に置いてあるのに気がついた。
そのノートを捲り最新の箇所を見ると、そこには苗字名前の名があった。

そして鍵のある筈の場所には、まだ鍵が返却されてはいなかった。

俺は腕時計を見た。「……あと五分…そろそろか」

俺は逐次時計を確認しながらそこで待っていた。
が、いつまで待っても彼女は現れなかった。

俺は予鈴まで一分を切った時、痺れを切らして再び職員室に入り、鍵の場所を確認した。

「…何だと…!?」
俺は唖然と呟いた。まるで狐に抓まれた様なのだよ。

鍵は当たり前の様に、元の場所に掛けられていた。

これは一体、どう言う事だ?
職員室の人の出入りはあったが、彼女は通っていなかった。
見落とし、と言う事は有り得ない。

……では、その他の誰かが戻したのか…?
でも俺が見た所では、生徒は入って無かった…様だったが。

呆然と鍵の前で立ち尽くす俺の耳に、予鈴の音が鳴り響いた。

※※※

-名前side-

ホイッスルの音が鋭く鳴った。
「よし、10分の休憩を取る!」

コーチの指示に、三軍の部員達は息を切らしながらコートの周りに座り込んだ。

私は作っていたドリンクを選手達に配って回る。
……黒子はどこかな…?

彼はスタミナがなく、よく吐いたり倒れたりする。
しかも影が薄い特性のせいで、誰にも気付かれなかったりするので、私は特に意識して彼に注意を払っていた。

何と言っても主人公だもんね…って。

……あ、やっぱり倒れている。

『……大丈夫? 黒子』
私は彼をつんつんと突いた。

「…………」
『…返事は無い。ただの屍のようだ…』

踵を返した私の足首は、彼にはっしと掴まれる。

「……酷いです…苗字さん…このまま死んだら化けて出ますよ…?」
黒子が言うと、マジで洒落にならない。

『今でも幽霊みたi…っ!? 痛っ!! 足、ギリギリ絞めないでっ!!!』
「……何か言いましたか…?」
黒子、無表情に怒ってる!? 怖いよー!!

彼は私の足を放し、身体をゆっくりと起こした。

『冗談だって! はい、ドリンク』
「…ありがとうございます」

彼はドリンクを一飲みし、息を整えてから私に話しかけた。

「…さっき、職員室の前にいたのは…一軍の緑間君でしたね。
苗字さん、緑間君とは…どんな関係なんですか?」
『えー? 何でそんな事聞くの?』
「苗字さんが困っていたのは、あそこに緑間君がいたから、なのではないですか?」
『……あー、いや…まぁ…』

私は言葉を濁した。
何て説明すればいいのか…ってか、私の黒歴史まで説明しなきゃならなくなる。
でも成り行き上とは言え、彼を関わらせてしまったからには、全く説明しない訳にもいかない。
私は渋々口を開いた。

『関係…って言っても…特にある訳じゃないけど。
緑間君は昔の私の黒歴史に関わっているから、出来れば会いたくない、かな?
苦手…と言っても良いかも……』

彼は私の言葉をじっと聞いていたが、呟く様な声で言った。

「……緑間君は、君と話したいのではないのですか…? だから、あそこで貴女を待っていたのでは…?」

『別に私を待っていたとは限らないんじゃない? 偶々あそこにいただけかもしれない。
それに彼は、私を覚えていないんじゃないかな。…昔行き合っただけの薄ーい関係だし?』

「でも苗字さんは僕に鍵の返却を頼んだ。あの時、貴女は"困った"と言った。
…それはあなた自身、彼がいたのが偶々だと思ってないからでしょう?」
『あくまでも可能性の話だよ。確証は持てない』
「何にしても、逃げ回っているだけでは問題は解決しないと思います」

私は黙った。あまりにも正論過ぎて、ぐうの音も出ない。
黒子の言う事は老成していて、とても中一男子とは思えなかった。
彼はそのまま言葉を続けた。

「黒歴史…と言いましたね。
貴女にどんな過去があったのかは分かりませんが、それではいつまでもその過去に捉われたままです。
苗字さんは…いつまで逃げるつもりなのですか…?」

いつまで……?
別にずっと逃げてても良いじゃないか。
だって私は、ずっと三軍にいて…彼等とはあまり関わらないままに卒業して。
そして母が赤司君を諦めてくれさえすれば、私は思う存分に絵が描ける。

ピアノだって自己満足の域で弾いているだけで、別にプロになる才能も無ければ意思も無い。
だから人前で弾けなくっても特に問題はない。

『…別に問題は解決しなくてもいいんじゃないかな? 特に彼と何かがある関係じゃないし』
私の適当な答えに、彼は満足しなかった。
「…それって…何だか気持ち悪くないですか? ……まるで…ずるい大人みたいです」

だって私はずるい大人だから。
そう言いそうになり、既のところで私は言葉を飲み込んだ。

黒子の瞳は真直ぐに私を映している。
純粋で曇りない瞳…一見頼りなさそうに見えても、強い意思の輝きが宿っている。
私は見ていられなくなり、思わず彼から目を逸らす。と、同時に、休憩終了のホイッスルが鳴った。

※※※

私は相田スポーツジムでテーピングの講習を受けていた。
「おお、中々上手くなったな!」
景虎(トラ)さんは、にこにこと私に話しかけて来た後、表情を改めた。

「嬢ちゃんのお袋さんから苦情が来たよ」
『…えっ?』
「折角うちに入れたのに、三軍マネになったんだって?」

げっ!!?
トラさん達のせいじゃないのに、お母さんって…!!!
私は慌てて謝った。

『すっ、すみません!! それは私が至らないからで…決して相田さん達のせいじゃないです!!
私から母に言っておきます!!』

トラさんは困った顔して頭をかいた。

「うーん…苦情つってもな、相談みたいなもんで…嬢ちゃんが気にするこたぁねーよ。
それより純粋に疑問なんだが、嬢ちゃんは俺から見た所、かなり優秀だし意欲も悪くねぇ。
帝光のマネは、入部する時に経験の有無とペーパーテストで何軍行きかが決まるそうだな。
経験はともかく…短期間でもここで学んだ事を出せれば、まず一軍でも行けるんじゃねーかと思ったんだがな…」

『…別に私は一軍じゃなくても構わないです。母が一軍じゃないと、と言ってるだけなので!』

私の言葉を聞いたトラさんは、顎に手を当てて考え込んだ。
「うーむ…じゃあお前さんは、もしかして一軍には行きたくないのか? …その理由は…お袋さんと関係があるのかい?」

こ…これは言っても良いものなのか…?

苗字家の家庭事情とは言っても…軽蔑されたら嫌だなぁ。
私は暫し躊躇した後、徐に口を開く。
『…母には内緒にしていただけますか……?』

話を聞いたトラさんは唸った。
「……そう言う事かい。嬢ちゃんの家庭の事情なら俺達には関わりがねぇな」
『…ご迷惑をおかけして、申し訳ありません』
「嬢ちゃんは…バスケはイヤイヤやっているのかい?」
『イヤではないです。今ではバスケに興味がありますし、もっと色々と学びたいです』
「そうか」

トラさんは破顔すると、私の肩を軽く叩いた。

「俺はやる気の無いヤツにまで教えるつもりはねぇ。例え大金を積まれてもだ。
ここにいる事が、反ってお嬢ちゃんの足枷になるなら、辞めて貰おうかとも思ったんだがな…
でも嬢ちゃんが、やりたいっつーんなら、スポーツ医学の基礎までは叩き込んでやるぜ?
だが、これからはスパルタで行くから覚悟しろよ?」

と、片目を瞑ったトラさんに、私はよろしくお願いします、と深々と頭を下げたのだった。

そう。ピアノが人前で弾けないのなら、他に出来る事を増やそう。
帝光一軍にならなくても、三軍で役に立てるならいい。
マネージャーは選手と違って、上に行かなければならないものではないから。

私は秘かに心を決めた。


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