諦念の先に得るものは
-緑間side-
その後、部活で俺は、いつもの様にシュートを撃ったが、ギリギリ輪にかかってから入った。
……どうにも今日は調子が悪いのだよ。
運勢はさほど悪く無い。
蟹座のラッキーアイテムである投げ縄を抜かり無く用意してあるのに、これはどうした事だ…?
俺は、さっきの昼休みに体験した事が痼の様に意識にかかり、集中を妨げられていた。
ずっと探していた相手に偶然出会えたのは良いが、何故苗字は俺から逃げるのか…?
俺はショックを受けていた。
まさか……嫌われている、とまでは思ってなかったのだよ。
あの時から、ずっと気に入りのリボンを返してなかった事が、そんなにも腹立たしかったのだろうか?
無理も無いかもしれんが…何せ、あれから3年近く経つ。
苗字の親切を受けながら、ずっと放置していたのだから。
……あれから返そうにも、苗字はピアノ教室を止めていたし、それ以降のコンクールにも来なかったから、見付ける事が出来なかった。
今更返すと言っても…些か遅すぎたのかもしれん。
思索に沈んでいた俺の意識を、赤司の声が現実に引き戻した。
「青峰、その腕はどうしたんだ?」
「あ、赤司っ! どーもこーもねーよ。昼休みに緑間のヤツに縄で縛られたんだよっ! お陰で、ひでー痕が付いちまったぜ!」
その青峰の声はやたらと大きく響き、体育館中がしんと静まり返った。
「…なっ…縄っ!?? ……それは…どう言う事だい?」
赤司の声までらしくなく、微かに上擦っている。
俺は周り中から不可解な視線を浴びていた。
「何、ミドチンー、そんな趣味あったの〜??」
紫原の間延びした声で、俺は謂れの無い嫌疑をかけられている事に気が付いた。
「なっ!? ち、違うのだよっっ!!! 青峰、紛らわしい言い方は止めるのだよっっ!!!!」
「何が違げーんだよ? 図書室で女追っかけ回して、縄振り回してよ…」
「人聞きの悪い事を言うな、青峰っ!!!」
「うわミドチン、変態〜」
「紫原っっ!!!」
「緑間」
赤司が俺の肩を軽く叩いた。
「…後で詳しく聞かせて貰おうか?」
休憩時間になり、俺の所に赤司がやって来た。
青峰、紫原まで当たり前の様に加わっている。
先程の騒ぎで、他の連中の興味まで惹いてしまったのか、周り中が聞き耳を立てている様だ。
俺は、決まり悪さを誤魔化す為に咳払いをする。
赤司に無言で促され、俺は渋々口を開いた。
「昔、とある事でラッキーアイテムを借りた相手を見付けて、借りを返そうとしただけなのだよ」
「…借り、ってそう言う事か」
赤司は首肯した。
紫原は、お菓子の袋をバリバリと音を立てて開けていた。
休憩中にまで持って来るとは…全く呆れ果てたヤツなのだよ。
「でも、どーしたら借りを返す話が、峰ちんを縄で縛る話になっちゃうの〜?」
「誰が縛りたくて縛るかっ!!! 苗字が人の話も聞かずに、逃げるからいけないのだよっ!!」
「たく…っ、巻き込まれた俺の身にもなれってーの!」
「苗字名前…試験結果が緑間と同率二位の…彼女だね?」
赤司の言葉に俺は頷いた。
「ふーん…アイツ、二軍か三軍のマネだろ? あれで意外と頭良いのな」
「…三軍なのだよ。青峰、知ってるのか!?」
俺は驚いて問い質す。
「まーな…初日の振り分けテストん時、さつきが話しかけていた。
…大人しい面して、あんなハチャメチャなヤツだとはな。緑間振り回すなんて只者じゃねーわw」
赤司は俺に、気遣わし気な視線を向けた。
「…逃げられた原因に心当たりがあるのかい?」
「よく分からない、のだよ…思えば、最初のアレも逃げられたのかもしれんが…」
赤司がやや躊躇いながら口を開いた。
「……実は俺も、緑間の話を聞いてから彼女が気になってね。
三軍のコーチに頼んで、俺の所に来る用事を言いつけて貰ったんだが…結論から言うと、会う事が出来なかった」
「……それって、どう言う事なのだよ?」
「…桃井が代りに持って来た。苗字が練習の邪魔しちゃ悪いからと、入口まで来た時に桃井に託けたそうだ」
「それって…もう嫌われてるんじゃね?w」
青峰の不躾さに、赤司の米噛みに青筋がピシリと走る。
「……青峰。それは俺の事か?」
赤司の低くなった声に青峰は慌てる。
「いや、おめーの事じゃねーよ! ここには緑間がいるだろ!?」
青峰の保身の為の無遠慮な言葉は、俺の心を刺し貫いた。
……やっぱり他人から見てもそう思うのか。
借りを返せれば、とばかり思ってはいたが、相手が俺と会う事さえ厭うなら…諦めた方が良さそうだ。
俺は肩を落し、溜息を吐いた。
※※※
-名前side-
あれから数日経ったが、緑間君とはパタリとエンカウントする事が無くなっていた。
私はホッとすると同時に、何だか一抹の寂しさの様なものも感じている。
いやいや、それはきっと気の迷いだ!
私はブンブンと首を横に振った。
何も無いのが一番だ。
私は、これから大人しく三軍のマネを続けて、平和に好きな事やっていけば良いんだ。
私は、昼休みに図書室と音楽室には近付かない様にしていた。
それで必然的に消去法で考えた末、昼休みに読みかけの文庫本を持って屋上に行く事にした。
昼の屋上は良く晴れて、風が柔らかな涼風を運んでいた。
好都合な事に誰もいない。
私は屋上の片隅に座り込み、挟んだ栞を目印に文庫本を捲る。
…屋上も中々良いかも…?
私は、いつの間にか、読書に没頭していた。
「おい」
ふと気が付くと、私の周りに影が落ちていて、私の目の前には長い脚がそびえていた。
私は怖々と、その足の持ち主を見上げる。
『…あ』
私の前に立っていたのは青峰君だった。
青峰君はフェンスを背に座った私を挟み込む様に、前に立ち両手をフェンスに掛けた。
『な、何っ!?』
背が高く強面の彼がそれをやると、相当の威圧感がある。
私は思わず身を縮こまらせた。
「おめー…三軍の苗字、だろ?」
『…ええ、そうですけど』
その後の彼の言葉に、私はきょとんとした。
「おめー、緑間の事、嫌ってんの?」
『……は!?』
「緑間の事、嫌ぇなのかって聞いているんだよ!」
私は軽く首を傾げた。
『…別に嫌いじゃ…ありませんけど』
「じゃあ、何で逃げてるんだよ?」
『……』
会いたくないから、とは言えずに私は黙る。
その理由を聞かれるに決まっているから。
大して親しくも無い青峰君に分かって貰えるとは思えない。
私の沈黙を余所に、青峰君は続ける。
「…緑間のヤツ、おめーに嫌われてるって、すげー落ち込んでたぞ」
『……そんな筈は』
「いーや、アイツ、最近シュートの精度が微妙に悪ぃんだよ。口には出さねーけどな。
んで、機嫌も悪りーしよ。こっちも迷惑してるんで、嫌ってないならヤツにそう言ってやってくれよ」
黙って返事をしない私に、焦れた青峰君は顔を顰めた。
「…でねーと、問答無用で今からおめーを緑間の所に引っ立てるぞ!?」
『…げっ!?』
そのとんでもない脅し文句に、私は渋々頷いた。
『……分かった。近い内に…行く』
「頼んだぜ? 俺はもう、縛られるのは二度とゴメンだからな!」
青峰君は、私の頭を乱暴に撫でて髪をぐしゃぐしゃにする。
髪を直しながらの私の抗議に、彼は「縄の礼だ」と悪戯っぽく笑って去って行った。
※※※
……とは言うものの、未だ私は決心が付かないでいた。
自室のベッドの上で寝転がりながら、私は一連の出来事を思い返す。
会って…一体何を言えば良いの…? 今更…
『私は貴方を嫌ってないですから!』
とだけ言って済まされるとは、とても思えない。
「じゃあ何故逃げた?」
そう聞かれた時、どう答えれば良いのだろう?
答えられないのは、自身のちっぽけなプライドを守る為。それでしかない。
その為に彼を傷つけている私。
ずるい大人って…こんな情けないものだっけ?
子供を傷つけても自分のプライドを保ちたいなんて。
人間が多少成長しても、大人の身体を纏っても、本質なんてきっと変わらない。
大人は経験を重ねた分、誤魔化して取り繕うのが上手くなるだけで。
このまま行ったら…私は自分が嫌いになるかもしれない。
私は床に就いても、中々眠る事が出来なかった。
目を瞑ると、例のピアノコンクールでの出来事が、まざまざと瞼の裏で再現された。
夢の中で、自分が逃げようとしたら「どこに行くのですか?」と黒子君に捕まった。
彼を振り切って逃げようとしたら、青峰君が現れて通せんぼされた。
更に緑間君が現れる。彼は冷たい瞳で私を睨め付けた。
「人事を尽くさないから、そんな事になるのだよ」
その彼は、当時の小さなショタバージョンではなく、今の彼だった。
私は飛び起きた。
※※※
「どーしたんスか? 顔色悪いっスね」
隣の黄瀬君が横目で私を見る。
『……寝不足』
「寝不足はお肌の大敵っスよ」
男子中学生の彼の方が、私よりも女子力高いとかどうなのよ。
くそぅ、そのピチピチ肌交換しやがれ。
私は悪い事ばかりを考えてしまい、うつらうつらと眠っても見るのは悪夢だけ。
睡眠不足で頭がグラグラしていた。
そのまま気を抜いたら、授業中でも寝てしまいそうだ。
…気のせいか、微妙に寒気までする。体温調節まで狂ってきたみたいだ。
「…保健室で寝てきたらどうっスか?」
『いや…そこまでじゃないから』
「真面目なんスねー。やっぱり優等生は違うっス」
『……優等生…なんかじゃ…ない、よ…』
私は自嘲の笑みを浮かべた。
昼休み、私は一年の各教室を、うろつき回りながら途方に暮れていた。
あんな悪夢を見続ける位なら、もうどんなに蔑まれても良いから彼に会うべきだと思った。
話す事なんて勿論考えてない。
出たとこ勝負でいいや、等と半ば自棄になっていた。
しかし…緑間君の教室に行くにも、肝心のクラスが分からない。
黒子君……はダメだ。第一まだ出会ってもいない…筈。
なら、黄瀬君…もダメ。彼も二年から加わるまで知らないだろう。
成績表が貼り出された時に書いてあった筈だが、それ以外の衝撃で、書かれたクラスとかは綺麗に記憶から吹き飛んでいた。
いや、元々目に入って無かったのかもしれない。
かと言って青峰君に連行されるにしても、彼のクラスも知らないし。
もうこれは、以前の再現を期待するしかないかな。
私は先ず食堂と図書室に行った。
一通り周ったが、緑間君は居なかった。
なら、後エンカウントしそうなのは音楽室か。
確実なのは放課後の第一体育館か一軍の部室だが、事が事だけに、二人きりで会った方が良いと思った。
私は職員室に行ったが、音楽室の鍵は貸し出されていた。
担当教員を掴まえて聞けば、鍵は緑間君が借りたとの返事が来た。
私は、ぼうっとした頭を抱えながら、何も考えずに音楽室に向かう。
音楽室に近付くにつれ、ピアノの音が聞こえて来た。
……これは…以前聞いたのと同じ曲だ。
では、中で弾いているのは、やはり緑間君か。
私はドアを開ける勇気が持てず、取っ手にかけた手を引っ込めた。
そのままズルズルと、扉の前に座り込む。
私のぼんやりした頭の中に、すんなりとピアノの澄んだ音色が入り込む。
その旋律は、私を責める事も突き放す事も無く、優しく私を包み込んだ。
……気持ち良い…
私は聴いている内に、うつらうつらと舟を漕ぎ、何時しか扉に背中を預けて意識を手放していた。