If-帝光編(一年)


途切れた音


昼休み、私は早々に食事を切り上げ、音楽室に向かった。

音楽室に近付くと、ピアノの音色が聞こえて来た。
あの曲だ…!!

私は邪魔したくなくて、扉の前で佇んで耳を傾けていた。
曲が終わり、開けようと手を掛ける直前に、いきなり扉が開いた。

『うわっ!?』
「…っ!? 遅い!!」

吃驚したー…

緑間君が顔を顰めて立っていた。
私が入ると、彼は扉を閉め、小言を言い始めた。

「何をしていたのだよ!? 一曲弾き終わったぞ!?」

…来たければ来ればいい、と言っていたのは何だったのか…?

『…来てたけど…邪魔出来ないじゃない…』
私の小声の抗議に彼は振り向いた。
「……聴いていたのか。なら、順番が逆になってしまったが、お前の演奏も披露するのだよ」

彼の言葉に私は顔を曇らせる。
でも、今更弾けませんなんて言えない。

私は恐る恐るピアノの前の椅子に腰かけ、鍵盤の上に手を乗せた。


結局、どうしても弾く事が出来なかった。
指は完全に覚えている筈なのに、震えて固まったまま動かない。
緑間君は眉を跳ね上げた。

「…何故弾かんのだ?」
弾かないんじゃなくて、弾けない、と小声で告げると、彼は顔を顰めた。

ああ…とうとう私が恐れていた展開になってしまった。

「…俺には聴かせられん、と言う事か?」
『……っ、違う!!』
私は唇を痛い程に噛みしめる。

『聴かせられないんじゃない、弾けないの…! どうしても…!!』
「……どう言う事だ?」
『他人の前だと…指が動かない。…それだけだよ』
「いつからだ…?」
『…え?』
「…ここで…以前、お前が弾いている時に聴いた時は、問題なく弾けていたのだよ。今まで怠りなく練習は続けていたのだろう?なのに、今は…俺がいるから弾けないと…言うのか?」

いつから。
そんなの言える訳ないよ。
彼の追求に、私は沈黙するしかなかった。

そんな私の態度に彼は何か気付いたみたいで。

「……まさか…あの時以来か…?」

彼の言葉に私はびくりと肩を揺らす。
彼は深く溜息を吐いた。

「以前も言ったが、失敗などは誰にでもある事なのだよ。…お前はいつまで引き摺っているつもりだ?」
『……っ!!』

私は、もう一度弾こうと鍵盤に指を乗せる。
が、最初の一音を叩こうとすると、フラッシュバックの様に、あの時の事が頭に過る。
音が途切れたピアノ…会場の不審気な騒めき…焦れば焦る程に硬直していく指…
あんなに練習したのに、全然弾けなかった悔しさ…

私は顔を覆った。

『別に私だって、好きでこうなったんじゃないよ…!』
私が弱いのが悪いのは痛い程分かっている。…でも

『あの時に、完璧に演奏出来た緑間君には分からないよっ!!!』

ああ……やってしまった。これは完全に八つ当たりだ。
何で私は、まだ中学1年生の彼に八つ当たりしてるの。
こんな情けないのが自分だなんて…本気で自己嫌悪する。

『…っ、…ごめん。…緑間君は悪く無いのに…!』

私は立ち上がり、フラフラと入口に向かう。
その腕を彼は掴んだ。
「…まだ、お前の演奏は終わってはいないのだよ」
『だって…』
「良いから座るのだよ、苗字」

私が渋々そこいらの椅子に腰かけようとすると、彼は私をピアノの前まで引っ張って行った。

『…弾けないよ…』
小さな声で呟いた私を、彼は眼鏡をかけ直しながらじっと見た。

「……なら、俺が弾く。お前はそこで見ていろ」
緑間君は、そのまま私の隣に座る。

緑間君の整った指が繊細に鍵盤を叩いた。
彼の弾いている曲は、確かに私のコンクールでの曲だった。

同じ曲なのに弾く人が違うと、まるで違う曲に聴こえる。
私は、彼の指の動きの美しさに見惚れた。

聴いていると、私の心の奥が疼き出す。
何時しか演奏に合わせて旋律を小さく口遊み、指を膝の上でピアノを弾く様に叩いていた。

曲が終わると私は夢中で拍手していた。
彼はそんな私を意味あり気に見やる。

「……聴いていてどうだった?」
『私が弾くのとは全然違う…凄く綺麗。でも、聴いていると弾きたくてうずうずしちゃうね!』

そこまでで、昼休みの終わりのチャイムが鳴り響いた。

「苗字、明日…は委員会があるから無理だが、明後日にまた音楽室に来るのだよ」
『…また!? って…私、弾けないのに?』
「……でも、お前は弾きたいのだろう? 俺と一緒に指を動かしているのが見えたのだよ」
『…緑間君……』

彼は戸締りをしながら私に訊く。
「ところで…お前の星座は何だ?」
星座……って。

『かn……』と答えかけて、その意味に気付く。
私がこのまま答えたら…彼は変な方向に考えて傷付いてしまうかもしれない。

『知らない』
「は…!?」
『私…星座には興味無いし? 占いなんて信じない!』
「…っ、なら、誕生日は!?」
『あ、ホラ、授業が始まっちゃうよ? 私、これから移動教室だし、急がなきゃ』

誤魔化す為に彼を急き立てて、私は『じゃーね!』と逃げる様に教室に戻った。

※※※

部活が終わった帰り、お腹が空いたので学校近くのコンビニに寄った。
パンを手に取り、ふらりと店内を一回り歩く。
ふと雑誌コーナーの前で足が止まった。

私の目を引いたのは、女の子向けのファッション雑誌。
表紙にはでかでかと「特集!星座占い&おすすめ☆ラッキーコーデ」の文字が躍っている。

これ…おは朝が監修している占いだ…

巷では恐ろしい程に当たると言われている「おは朝」
私は手に取って、パラパラとページを捲った。

星座は男女で其々別ページになっていて、性格、傾向、相性、ラッキーアイテムとラッキーカラーと運の良い日と悪い日が詳しく載っていた。
私は自分の蟹座のページを読み始めた。

私は、文字を追うのに集中すると、周りの事が全く気にならなくなってしまう。
この時も、近くに誰かが来ていたとかは全然気にしていなかった。

蟹座女子…これから過去を克服する試練に晒される…恋愛運は強いが波乱含み…?
これは…当たっているのだろうか…?


「占いなんて、信じないのではなかったのか?」

不意に、声が後ろから聞こえた。私は驚いて振り返る。
『緑間君…!?』

緑間君は、私の開いていたページを後ろから凝視していた。
私は慌てて誤魔化そうとした。

『これは…っ、その…緑間君が蟹座だって言うから、どんなものだろう?って…』
「……俺の…だと?」
『コンクールの時にそう言っていたじゃん!』
「……そのページは女性用だ。はっきり色分けまでされているのだよ」

ど…どうしよう……?
私は視線を泳がせた。
兎に角、ここは何とか誤魔化して…

『そ、そうだったの? 間違えちゃった!』
私は男性用のページを開こうとしたが、緑間君はそのページを押さえた。

「苗字は…蟹座、だったのだな…?」
『…………っ!』
「…コンクールの時、蟹座の運気は最悪だった。……俺は…お前からラッキーアイテムを奪った、のだな…?」

やっぱりバレてる…? 私は喉をコクリと鳴らした。

『私が自分から貸したんだから、関係無いよ、そんなの!』
「そうは言えまい。…結果、俺はコンクールで優勝し、お前は失敗したのだから。
…もし、お前がまともに弾けていたら、お前が人前で弾けない、なんて事にはなっていなかったのだよ」

『…緑間君。今更たらればを言っても意味無いよ。結果に負けて弾けないのは自分の弱さが招いた事だよ。
それを言うなら、私が別の時に大失敗したら、やっぱり今みたいになっていたかもしれない。
もし私がリボンを貸さなくて緑間君が失敗したとしても、緑間君が今弾けないなんて事にはならないと思う』

そう。例え緑間君が失敗したとしても、彼は自力で克服するだろうから。
その時の結果が同じだとしても、人が違えば未来が同じとは限らない。

『だから、緑間君には責任は無いよ』
「……そうは行かないのだよ! 俺は」

緑間君は私を鋭く見据え、カチャリと眼鏡に手を掛けた。

「苗字。俺はお前が以前の様に、人前で弾ける様になるまで協力してやるのだよ。落とし前だけは付けねばならん」
『げっ!??』
「人事を尽くすぞ。借りは思ったよりも多大な様だからな」
『い、要らないよ!!』
「要らない、とは何だ! このままでは、俺の気持ちが治まらんのだよ…!!」
『別にプロになりたい訳じゃないし! 人前で弾けなくても問題はないから!!』
「俺のコンクールの優勝が、苗字の運と可能性の引き換えになるなど、赦せないのだよ!
今まではすまなかったが、それを知った以上看過は出来ん。お前の可能性を取り戻すぞ…!!」

そのまま私は強引に緑間君に腕を掴まれて引き摺られ、店から出されそうになった。
『ちょっと待って…!!』

それを店員が慌てて止めに入った。
「お客様…!!」
「何なのだよ?」

緑間君はぎろりと店員を睨む。店員は彼の迫力に気圧された。

「…す、すみません。出るなら、その…方の…お会計を済ませてからにしていただけませんか?」
「……む?」

店員が指したのは、私の抱えていたパンだった。

※※※

コンビニを出て、私は途中まで緑間君に送られながら、一緒に歩いていた。

『…気持ちは有難いけど…人前で弾ける様にって? どうやって…?』
「フム…それなのだが、苗字は家では練習しているのだろう?」
『うん。…最近は部活で弾ける時間が限られているけどね』
「その時、苗字の家族は家にいるのか?」
『いる時もあるし、いない時もある』
「ピアノ部屋はどこにある?」
『…リビングに…一応、防音工事がしてあるし』

何でそんな事を聞くのかな?

緑間君は足を止めた。私も一緒に足を止める。

「……家族には聴かれても大丈夫なのか?」
私は曖昧に頷いた。
『…まぁ、家族だし』
「ピアノ教室には行っているか? 教室の生徒や先生は?」
『個別の時間制だから、あまり他の生徒とは顔を合わせる事は無いけど…たまに前後がかち合うかな。発表会は出ない事にしてるし』

「お前は…観客でなければ大丈夫なのだな」
『そう…ね。そう言う他人なら、一々聴かれているとは思わないから意識はしていない』

彼は眼鏡のブリッジを上げた。
「なら、俺と連弾するのだよ」
『連弾っ!?』
「連弾なら、俺も同じ演奏者だ。苗字が俺に"聴かれている"と意識する必要はあるまい」
『えー…まぁ、そう言う事にはなる…のかな?』
「明後日の昼休み、音楽室で待っているのだよ」

連弾…あのリボンの貸し借りから、まさかこんな事になるなんて。
彼が、ここまで付き合いの良い人だとは思わなかった。

そして結局、私は家まで送られてしまった。
途中から方向が違うのに、申し訳ない。
礼を言って門の中に入る私に、彼は念を押した。

「今度は遅刻するな」
私は首を傾げて彼を見上げる。
『緑間君の演奏…切れるのが惜しくて、つい。ずっと聴いていたくなっちゃうから』

彼はふいと顔を背けた。耳が少し赤くなっている。

「…すぐに入って来て構わん。これから…幾らでも聴かせてやるのだよ」
『私が弾いたら、じゃないの?』

彼は私に視線を戻した。その顔は軽く顰められている。
「条件は緩和するしかあるまい。でも、その代わりにこれから沢山弾いて貰う。覚悟するのだな」


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