If-帝光編(一年)


ヴィーナスは微笑まない


「おはようございます、苗字さん」
登校途中で黒子君に会った。

『おはよう!』
黒子君は私を見て首を傾げた。
「…? 元気ですね? 何か良い事ありましたか?」
『良い事…とは違うかもだけど…ちょっと妙な事にはなっちゃったかも…?』

私は今まで緑間君との間にあった事を話した。
彼は大きく頷いた。

「それは良かったですね。苗字さんが元気になったのが何よりです。
苗字さんは元気だけが取り柄ですからね」
『…悪かったね』
「褒めているんですよ。…ところで、以前頼んだ新着図書のポスター、今日が〆切なんですけど」
『持って来たけど、仕上げがまだなんだよね。…気は進まないけど、昼休みにやるしかないかな』

私は深く溜息を吐いた。
『…ねえ黒子。昼休みの図書室で絵を描いても良いかな?』
「図書室でシャーペン、鉛筆、ボールペン等の筆記具以外…絵の具等の使用は禁止です」
本が汚れる可能性がありますので、と彼は軽く首を竦めた。

「美術室は借りられませんか?」
『私、美術部員じゃないし、今度の帝光祭の準備があるから駄目だって』

仕方ない。教室でやるしかないか…
私は暗澹たる気持ちで再び溜息を吐いた。

※※※

私は朝のSHRの直前に黄瀬君に声をかけた。

『黄瀬君、私、今日の昼休みは、どうしてもここの席使いたいんだ。だから悪いんだけど、今日は別の場所でお昼食べてくれない?』
「何するんスか?」
『頼まれたポスター仕上げなきゃならないの。
ここに黄瀬君のファンが来たら、とてもじゃないけど絵なんて描けない』
「……分かったっス。今日は食堂にでも行くっスよ」
『ありがとう。ゴメンね?』
「こっちこそ毎日迷惑かけてすいませんっス」

これで、今日は一安心。
今日は緑間君との約束も無いし、ポスターに専念しよう。

……で。

『何で黄瀬君がここにいるのよ…?』

確かに彼は、昼休みは食堂に行った様だったが、休み時間がまだ残っているのに教室に戻って来た。
不幸中の幸いだったのは、煩い取り巻き達がいない事だ。

「煩くって邪魔だって、食堂を追い出されたんス」
『あの取り巻き達…どーにかならないの?』
「…これでも注意してるんスけどねー…一応あれでもファンだし?」

黄瀬君は苦笑気味に肩を竦めた。

「それにしても、手描きっスか? 絵、上手なんスね」
『…ありがとう』

私は黄瀬君と適当に会話しつつ、最終仕上げのハイライトを入れて行った。
「…そういや、今日の六時間目は美術っスね」
『…黄瀬君、美術は?』
「全然っス!」

そんな自慢にもならない事、良い笑顔で親指立てて言われましても。

※※※

美術の時間、私達は先生の言葉に従い、其々隣の席の相手と組んで、互いの似顔絵をデッサンする事になった。

……ちょっと待て。…隣の席の…相手とだと?

私はギギギ…と音を立てる様に、ぎこちなく首を回した。
そこには、多分に漏れず、キラキラのシャラライケメンの黄色が一人、見事なウィンクをかまして来た。
「名前ちゃん、よろしくっス!」

しかもいつの間にか名前呼びかよ。

私が引き攣りながらクラス中を見渡すと、黄瀬君好きな女子達が嫉妬交じりの視線で睨んで来た。
こ、怖い……!!

『あの…っ、私と代わってくれない?』
特に私をキツイ目で睨んでいた、取り巻きの中でもボス格の、いつも黄瀬君にべったりなケバい女子に声をかけてみる。

「えっ!?」
それは彼女には意外だったみたいで、般若みたいな表情がみるみるうちに明るくなる。
「そ、そんなに言うなら…! 黄瀬君に貴女みたいな地味な子を描かせるのも可哀想だしね?」

一言余計だっつの、このアマ。
『地味で悪かったね。代わらなくて良いの?』
「代わるに決まってるわよ!」

彼女はいそいそと黄瀬君の元に行った。
…これで清々した。……あ、黄瀬君の顔が引き攣ってら。まあ知った事ではないけど。

彼女の相手の男子はぽかんとしている。
『よろしくね? 本田君』
「あ、ああ…」

描き出して暫くしてから、何やら教室の一角が騒がしくなった。黄瀬君のいる所だ。

『…ん?』

例の彼女、黄瀬君に何か突っかかってから、わっと泣いて美術室から走り出て行った。

『…何だアレ?』
折角代わってあげたのに。


彼女が出て行ったっきり戻って来ないので、黄瀬君は描く相手がいなくなってしまった。
「隣の席は元々苗字さんだったんスから、苗字さんが戻れば良いんスよ。先生もそう思うっしょ?」
「…そうだなぁ」

私は再び、自分に不穏な女子達の視線が集まって来るのを感じた。
冗談じゃないわよ。好きでもない男子相手の嫉妬で苛められたりしたら堪らない。

『なら、黄瀬君を描きたい女子は、皆で黄瀬君を描けば良いでしょ?』
私の発言に、大勢の女子達は目一杯の拍手をした。
先生は渋い顔をしている。
『描きたいものを描いた方がモチベーションが上がりますよ』

私の言葉に、再び拍手が沸き起こる。
そして、かなりの数の女子が黄瀬君の周りに集った。

やっぱり好きな相手と組んだ方が良いよね。私も無用なトラブルはゴメンだし。
しかし、それにはやはり大きな問題があった。

「…で、俺は誰を描けば良いんスか?」
黄瀬君のこの台詞を切っ掛けに、黄瀬君を囲んだ女子達が激しくガンを飛ばし合った。
そして、黄瀬君の正面の席を取り合いし始めて、授業は収拾が付かなくなってしまった。

『…ふむ…これが噂に聞く、学級崩壊か』(違)
「コラ苗字!」

美術教師が私の頭を軽く叩いた。
「何、他人事みたいに論評しとる? この事態は、お前のせいでもあるんだからな!」
『何で私っ!?』
元はと言えば、黄瀬君のせいじゃ…!!

私は先生に抗議をしようと向き直った。
その時、私の腕は何者かにぐいと掴まれ、引っ張られた。
私は不意に引かれたので、バランスを崩し、その相手の胸に後ろから倒れ込んだ。

私を引っ張ったのは黄瀬君だった。
彼の腕は私の身体に回され、後ろからがっちりと抱き締められている状態になっている。
女子達の間からは悲鳴が上がった。
このとんでもない事態に、私は冷や汗が噴き出る。

「俺は、やっぱり苗字さんを描くっス!」
『いやあの、黄瀬君を描きたい人が多いんだから、いっそ黄瀬君を真ん中に立たせて描けば良いんじゃ…モデルなんだし?』
「学校ではモデルじゃないっス! それに、そんなんじゃ俺の授業が出来ないっスよ!」

教師は面倒になったのか、手をひらひらと振った。
「ああ。元の通り、黄瀬は隣の席の苗字と組め。本田は…そうだな、隣の二人に入れて貰え」


私は渋々黄瀬君と組み、結局彼の似顔絵を描く事になった。
…美形だから、目の保養にはなるけどな!

私は元の席に着席し、その席に放り出されていたスケッチブックを見た。
出て行った彼女の物だ。

『何これ。…白紙じゃん?』
私の言葉を聞いて、苦笑する黄瀬君。
「……彼女、意味の無いお喋りばかりして、全然手を動かしていなかったっス」
『ああ…それで……?』

黄瀬君が注意とかして逆切れしたとかかな?
と、推測したけど、真相は全く別の所にあった。

彼は私の手元を覗き込んだ。
「名前ちゃん、やっぱり上手っスね…! 今度、俺の似顔絵でグッズを作る時に頼もうかな?」
『だが断る!』
「ヒドっ!!」

……ん?

私は、ふと目の端を掠ったモノを見て愕然とする。

『ねぇ、黄瀬君…? その……スケッチブックの絵の…不可思議な軟体動物は何…かな?』
「名前ちゃんっス!!」
『そこ、良い笑顔で言うなーーーっっ!!! キラキラ星飛ばしてるんじゃねーーーっっ!!!』

私は、彼のスケッチブックを取り上げ、ページをパラリと捲った。
思った通り、前のページには、私を描いたらしい軟体動物とはまた別のアメーバ擬きが描かれていた。

道理で、あの子が泣きながら出て行った訳だ。
好きな相手に、こう見えると言われている様なもんだ。…ただ単に下手なだけだが。

アメーバ擬きよりは、まだ正体不明の軟体動物の方がマシ…なんだろうか?
私は頭を抱えた。

『…黄瀬君、私、これでも一応人類なんで…これ、ちょっと前衛的過ぎ…
通常のスケッチに、前衛的表現は求めていないから…!』

彼はしゅんと肩を落とした。

「…俺、絵を描くのとかは…苦手なんス。どーしたら上手くなるんスかね…?」
『と、言われてもなぁ…。私、何となく描けて当たり前だから、どーして描けない人が描けないのか分からないし』
「逆に俺が聞きたいっスわ。何で名前ちゃんは、そんなに絵が描けるんスか?」

何で絵が描けるのか? そんな事、考えた事もなかった。

『……私、運動が苦手なんだけど。黄瀬君はどうして、そんなにすぐ運動は何でも上手くなるの?』
黄瀬君は整った目をパチパチと瞬いた。
「何となく…? と、そう言う事っスか」

『…適材適所ってヤツなのかしらねー…でも中学生でこれって…』
ヤバいよ…絵を描くコツとかでどーにかなるレベルじゃねーよ。

「細かい事とか頭使う事とか、苦手なんスよ」
『真似は得意なんでしょ?』
「それ、運動に関してだけっス」
『フーン…なら、私の手と腕の動きを真似してみれば?
全く同じ動きが出来るなら、結果として同じモノが描けるかもしれない』

なーんてな、と我ながら無茶苦茶な提案だなと内心でセルフ突っ込みをかます。

でも、黄瀬君には違ったみたいで。

私が描いている時、彼に真剣な瞳で穴のあく程見つめられた。
普通ならイケメンに、そんな風に見つめられた女は照れたりするのかもしれない。
でも彼は私を見て、ブツブツと何やら呟いている。不気味ですらある。
それに、彼が見ているのは私の顔ではなくて…

「大きく…腕を回して…肘が軸になって…手首を固定…」
時々漏れ聞こえて来た声の内容は、色気も素っ気も無いものだった。ってマジかよ。

私が終えると同時に、彼は勢い良く描き始めた。
さっきのとは明らかに違う、確信めいた動きに私は驚いた。

みるみるうちに、スケッチブックが埋って行く。
しっかりとした輪郭が形作られ、はっきりとした絵になっていった。
天才怖え。

彼は完全に私の手の細かい動きまで、そのものを再現していた。
私は慄然と金縛りにあった様に動けず、その彼を凝視してしまった。

「おーい、そろそろ時間だぞー? 皆、出来たかー?」

先生の声で私は我に返る。
黄瀬君は、丁度描き終わり、漸く手を止めた。


皆の絵を回収し終えた先生が、顔を顰めて一つのスケッチブックを二度見した。
「おい黄瀬。これ…お前さんのスケッチブック…だよな? お前、一体誰を描いたんだ…?」
黄瀬君は軽く首を傾げる。
「苗字さんを見て描きましたっス」
「……お前は苗字がこう見えるのか? なら、病院に行った方が良いぞ?」

えっ?
そう言えば…さっき見た絵って……

先生が掲げた絵を見た、クラスメイト達は騒めいた。

その絵は、見事に……黄瀬涼太その人が描かれていた。

「しかも、苗字の描いた絵と全く同じってのは…どう言う事だ? まさか…苗字が描いたのか?」
『ち、違います! それは確かに黄瀬君が描きました!!』

黄瀬君が見ていたのは、私の顔ではなく、手の動き。
なら、普通に考えると…出来上がるのは私の画像ではなく、黄瀬君のになる道理である。

そんな単純で、しょーもない真理に思い当たった時、私の膝は崩折れる。
『…それを真似してどーするよ…』
天才過ぎるだろ。

先生に「苗字を描かないと減点する」と言われた黄瀬君は、慌てて「描いたっス!」とその前のページを捲った。
その絵を見た先生を含むクラスメイト達は全員が凍り付いた。

結果、私はクラスメイト達に同情され、女子達に嫉妬され絡まれる事は無くなった。
いや、何よりだけど! でも何だか納得がいかない。

で、黄瀬君は超が付く程のナルシストと思われてしまったらしい。
自分の絵だけが(勿論美形に!)しっかりと描き、自分以外のをアメーバやら軟体動物に描けば、そう思われても無理のない事である。
先生からは、描けるのなら真面目に描け! と怒られていた。あーあ…

「名前ちゃん」
『何よ、黄瀬君?』
「今度は、これで描いてみて欲しいんス!」
『…何で鏡を持って来ているの?』
「名前ちゃんが自画像描いて、それを俺がコピーするんス!」
『やだ。何が悲しゅうて自画像なんか! そんな訳の分からない事される位なら、まだ軟体動物の方がマシよ』

私の言葉を聞いた黄瀬君は泣きそうに顔を歪めた。

「俺…描けるのにって思われてて…説明しても信じて貰えないんス。それで俺だけ追加で課題が出されて…苦手なのに!」
『黄瀬君、美術の本質は模写じゃない。オリジナリティーよ。黄瀬君は誰にも無い個性があるんだから、それを大切にしなくちゃ』

私の言葉を聞いた黄瀬君は顔を上げた。彼の顔には明るさが戻っている。

「俺、オリジナリティーがあるっスか?」

あれをオリジナリティーと言うのならな。私は頷いた。
『…黄瀬君は、誰にも真似の出来ない独特な感性を持っているとは思うよ』

黄瀬君は泣き笑いみたいな表情をした。
「…名前ちゃんにそう言って貰えるとは…嬉しいっス…!」

……うっ。
普通に下手だと言った方が彼の為だろうか?
でも、それで絵を描くのがトラウマになられるのは…私がイヤだし。
私は絵を描くのが好きだから、彼が苦手でも良いけど、嫌いになって欲しくない。

私は彼の肩を軽く叩いた。
『アレは…私にも幾分かの責任はあるから、私が証言してあげる。一緒に職員室に行こう?』
苦手なのに、追加課題なんて流石に気の毒だしね。

「行って…くれるんスか!? ありがとう、綽名っち!」

……ん?
『…まさか、その綽名っちってーのは…?』

彼は片目を瞑ってドヤ顔で親指を立てた。

「俺、ソンケーする人にはケーイを持ってそう呼ぶ事にしてるっス!」
『私…尊敬される所なんて無いと思うけど?』
「俺の苦手な所をそんな風に言ってくれたのは、綽名っちが初めてっス!」
『いや、別にそれで呼ばなくて良いし』
「何でっスかー!?」

何がどーしてこうなった?

結局、私は黄瀬君に絡まれながら、職員室に行く破目になってしまったのだった。


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