ミューズに祝福されし猫耳ーズ-2-
ステージの舞台裏に連れて来られた。
今は、前の出し物の終わり頃になっていた。
どうやらギリギリで間に合った様だ。
舞台袖からそうっと観客席を見渡す。
『…沢山入っているね』
「あまり観客を意識するな。飲まれるぞ」
『そんな事言っても…』
私の手はカタカタ震えていた。
止めようとすればする程、震えは大きくなって行く。
やっぱり…まだ駄目だ。私は全然克服出来ていない。
イヤだ…もう逃げ出したい…!!
「苗字!!」
緑間君は、私の震える両手を掴んだ。
涙目の私と緑間君の強い視線が絡み合う。
『……っ!!』
「落ち着くのだよ!」
『み、緑間君…やっぱり…無理だよ…っ!』
「……今まで、お前は練習を繰り返し、俺の前でも完璧に弾き熟せる様になった。
人事を尽くしたお前は…もう人前でも弾ける筈だ。…それに…お前は一人じゃない」
『…!』
一人…じゃない。
その言葉が私の頭の中に沁み渡る。
そうだ…これは一人で弾く曲じゃない。
「俺がいる。それでも不安か?」
『緑間…く』
彼の瞳は強い光を湛えて私の心を射抜いた。
その強い光は才能の上に努力を続けた自負心から来ているのだろうか?
私の目から一筋の涙が零れた。
「苗字は弾ける。俺は、そう確信している。だが…まだ足りない」
彼は、ゆっくりと私に顔を近付けた。
『…なっ、何…を!?』
「……静かに。目を閉じろ」
私は言われるがままに目を閉じた。
心臓がどくどくと激しく脈打っている。
私の手の震えは止まっていた。
彼は一旦、私から手を外した。
そして、私の頭のヘッドドレスの上から何かを嵌めた。
「これでお前はもう大丈夫なのだよ。人事を尽くす事が出来る」
『……???』
目を開いた私は、近くの姿見に目をやり……絶句した。
さっきまで流した涙は、どこかに行ってしまった。
緑間君は眼鏡を掛け直し、フッと口元を緩めた。
「お前の分まで用意しておいて良かったのだよ。この俺に抜かりは無い」
『ちょっ…!?? 何これーーー!!!???』
「今日の蟹座は一位。今までの弱点を克服すると道が開ける、とあったのだよ。
猫耳カチューシャさえ着ければ、向かう所敵無しなのだよ!」
私は開いた口が塞がらなかった。
『敵無し、じゃないわよ!! このスプラッタメイドの恰好で猫耳とかー!? 出オチか!
これでショパン弾くの!? カオス過ぎだろーーー!!! ショパンも泣いちゃうよ!?』
「お前がいつまでもグズグズしているからなのだよ。前が終わった。…俺達の出番だぞ」
『いっ…!?』
私が足を進めようとしないので、彼は痺れを切らし、私の手を掴んだ。
『やだ! こんな恰好でなんて!! せめて着替えさせてよー!!』
「今更出来るか!! 恰好は諦めるのだよ!」
私は精一杯抵抗したが、彼との力の差は歴然としている。
私は呆気なく、ズルズルと舞台に引き摺り出された。
《次は、軽音部の前座、一年生ユニットによるピアノ連弾です…?》
何で司会は疑問符を付けているんだよ。
疎らな拍手と戸惑った観客達の騒めきが聞こえる。
恐る恐る観客席を見てみると、皆、私達を見て唖然としていた。
…無理も無い。
猫耳着けたタキシードの少年が、猫耳着けた血塗れメイドを引き摺っているのだから。
こんなのが前座になるのだから、一番気の毒なのは、実は軽音部なのかもしれない。
何か…あまりの状況のシュールさに、私は突然全てがどうでも良くなった。
間違えるとか、止まったらどうしようとか…悩むのがアホらしくさえなってくる。
私は手を握られたまま足を進め、開き直って観客に礼をして、ピアノ椅子に腰かける。
突然様子が変わった私に、緑間君は軽く小首を傾げたが、「漸くやる気になったのだな」と満足そうに頷いた。
私は席に着いて一つ深呼吸した。
もう…ここまで来れば逃げられない。
今までやって来た自分と緑間君を信じるしか…ない。
私は意を決して、鍵盤に指を置いた。
始めは英雄ポロネーズ…
力強く華やかな導入部の後に続くのはノクターン9-2…
ロマンチックで優雅な旋律に切り換える。
目まぐるしく変化する曲想に、集中力を切れさせる事が出来ない。
一人で弾くのとは勝手が違う。
相手と会わせなくてはならないが、聴き過ぎて本来のリズムを崩してはいけない。
音の大きさ…相手の音とのバランスにも気を配る。
私の意識は自分の指先と緑間君に向けた。
四本の手が其々動いて一つの曲を奏でる。
緑間君は巧みに低音をコントロールしていた。
彼の音が揺ぎ無いので、私は全てを彼に預けて高音を鳴らす。
…気持ち良い…
お互いの音の足りない所は補い合い、重なり、連なる。
弾いている途中、彼と視線が合った。
彼は私と目が合うと、柔らかく目を細めた。
私も彼に信頼してる気持ちを目だけで返す。
一言も交わさなくても、互いの演奏が雄弁に語らう。
私は沢山の人の目も何時しか気にならなくなり、演奏の世界に没頭して行った。
※※※
曲が終わり、私は息を吐いた。
何とか最後まで無事に弾き切った…と思う。
今度は割れる様な拍手が沸いた。
無我夢中だったが、弾いているうちに徐々に観客達の反応が変わり、私も楽しくなっていた。
途中、彼と手や腕がぶつかったり細かいミスはあったけど、止まる事は無かった。
これも、緑間君がいてくれたからこそなのだと思う。
「まだ課題はあるが…この短期間でよくここまで来れたのだよ。一応だが及第点をやるのだよ」
緑間君はフッと私に笑いかける。
『…良かった…ぁ』
私は気が抜けて、緑間君にコトンと寄りかかってしまった。
「おい!? 苗字!! まだ挨拶が残っているのだよ!!」
私は渋々立ち上がり、緑間君と並んで観客に礼をした。
拍手と口笛が沸き起こる。
《ユニット名、"猫耳ーズ"でしたー!》
…いつの間にか、妙なユニット名が付いてしまっていた。
「苗字さんの勇姿、バッチリと撮りましたよ! これは残す価値ありですね!」
その時、水色の髪の影の薄い少年が呟いた。
「みどりんも名前ちゃんも可愛かったねー♪」
「アレが可愛いとか…マジかよ、さつき。苗字のあの恰好はねーだろwww…まぁ、退屈はしなかったがな!」
「ミドチン、すげー趣味してんねー」
「あれが演出なら大したものだ。あのインパクトに敵う者は無いな。…後の者が気の毒な位に霞んでしまっている」
キセキ達がそんな論評をしていた事なんて、私は知らない。
※※※
"猫耳ーズ"は観客の投票で、特別賞を貰った。
クラスの喫茶店も黄瀬君のお陰で、売り上げが学園史上最高額だったらしい。
最後は全て売り切れ、記念撮影になっていたとか。
私は着替えた後、緑間君と一緒に音楽室の窓から後夜祭を眺めていた。
緑間君も今は猫耳カチューシャを外し、ピアノの上に置いている。
校庭の一角に女子達が群れているのが目に付いた。中央には黄色い頭が見える。
『黄瀬君だ。…後夜祭のキャンプファイヤーの時、告られて両想いになったらハッピーになれるジンクスがあるんだってね』
「…くだらん」緑間君は不満気に鼻を鳴らした。
『あれ? 緑間君は、おは朝を信望しているのに、ジンクスは否定するんだ?』
「勘違いするな苗字。正しく努力をした上で、最後に運を味方に付ける為のラッキーアイテムなのだよ。
ジンクスだけに頼るのは、愚の骨頂なのだよ」
音楽がかかり、キャンプファイヤーを囲んでダンスが始まった。
緑間君はピアノを弾き出した。
今外で鳴っている軽快なダンス曲だ。…つくづく…多彩な才能の持ち主だな。
彼の曲を聴いている内に、私はうずうずして来た。
私も横にあるキーボードを開けて、一緒に曲を弾き出す。
緑間君は口の端を緩め、主旋律を即興で変え始めた。
私の音に巧みに絡め、引き立たせる。
弾きながらこんなにワクワクするなんて…!
次にどう曲が変化するのか分からないのが楽しくて仕方が無い。
弾き終わった時、私は楽しさの余り両手を打ち合わせた。
『…緑間君、私、怖がってばかりで…ピアノ弾く楽しさを忘れていた。
……思い出させてくれて、ありがとう!』
そろそろ外でも曲が終わり、お開きになる頃合いだ。
私は立ち上がったが、その手は緑間君に掴まれた。
『…緑間君?』
「……苗字。これで、どうやら俺の役目は終わった様だ」
私の心臓がドクンと嫌な音を立てた。
…もう終り。緑間君とは……もう…?
どうしようもない位の寂寥感が心を吹き抜けて行く。
この短い期間に、私は彼と一緒にいるのが当たり前みたいになっていた。
けど、クラスも違うし、クラブだって同じだけど離れている。
そう、今までが特別だっただけ。付き合っている訳でもない。
これ以上…一緒にいる理由なんてない。
彼は……これから"キセキ"と呼ばれる特別な人になる。でも私はただの凡人、だから。
『でも…私……!』
まだ一人では弾けるとは思えないよ。
その声なき声が聞こえたかの様に、緑間君は言葉を続けた。
「苗字は人事を尽くし、過去の恐れを乗り越えた。
演奏の楽しさを思い出した今なら、俺がいなくてもきっと人前で弾ける様になれるのだよ。…だが」
彼は一旦言葉を切り、もう片方の手で眼鏡をカチャリと上げた。
「これからも…一緒に弾いてやらん事もない…のだよ。…苗字が差し支えさえなければ、な」
私の見開いた瞳に、頬を薄らと赤らめながらも憮然とした彼の表情が映った。
少し照れて、でも表すまいとした彼が可愛く思えて、私は柔らかく微笑む。
『…また、一緒に弾いてくれるなら嬉しいな』
緑間君も綺麗に微笑んだ。
彼も楽しんでくれていたのかな?
「偶には、この様なイベントも悪くないのだよ」
外では炎に焦がされた空が、ゆっくりと闇色に覆われて行った。