猶予から岐路へ
その時、私はすぐに断る事が出来なかった。至近距離からの彼の視線が強過ぎて。
私は方便としてバスケ部に入っている。
でも彼は信念を持ち、真剣に部の事を考えている。
…どうしよう…逃げたい。
喉がからからになり、上手く言葉が出て来ない。
その時、扉が開く音がした。
「お話中、失礼いたします」
黒いスーツ姿の男性が現れ、「征十郎様、会長がお呼びです」と控え目な声で告げた。
赤司君は軽く溜息を吐き、席を立った。
「苗字さん、邪魔したね。では、また」
赤司君は、その男性と一緒に去って行った。
極度の緊張状態から解放され、私はホッと息を吐いた。
食事を終えてからホールに戻ると、兄が私を見付けた。
「おい名前! どこ行ってたんだ? 遅いって母さん探していたぞ」
『…ごめーん。会場広いから迷っちゃってー』
兄は私の顔をじっと見た。
「お前…唇にソース付いてる」
『やばっ! 直して来る!!』
「先に一人で食ってんじゃねーよ!w」
『お母さんには内緒ね!』
「…全く何やってんだ? お前…」
結局母には、こってり絞られた。
母の話に寄ると、あれから赤司君は一旦戻ったものの、父が呼んでいますので、と挨拶だけして去ってしまったらしい。
※※※
次の日は、以前通りに黒子君と青峰君が練習していた。
彼等と一緒の帰り道で、青峰君が口火を切った。
「どーよ、そんで。見付かりそうか? 赤司が言ってた、お前だけのバスケ型ってのは」
「…まだです」
落ち込んだ黒子君に青峰君は追い打ちをかける。
「だろーなー。実は赤司にからかわれただけじゃねーの?w」
「終いには泣きますよ。酷いです」
『ちょ、青峰君! 赤司君って真顔でからかう人なの!?』
「…苗字さんも酷いです」
『えっ!? 私!??』
「ヤツはいつも真顔だろ。崩れた面なんて見た事ねーよ」
それから赤司君の話題に移った。
「ふーん。まー赤司だって万能じゃねぇし、出来ない事もあんじゃね?」
「…例えば何ですか?」
「何かすげえ曲がるパスとか…バナナパス!みてーな」
青峰君は腕を振り、ギュワッてよ、と曲がる軌道を描く。
…凄いヒントだな、今の。
「それは誰にも出来ません」
黒子君は冷静に突っ込んではいるけれども。
これはきっと黒子君の一軍昇格も近い。
未来を見据えた彼等のやり取りを聞き、私はモヤモヤした。
彼等は一軍に行ったその後は?
…私は一人、三軍でマネ続けるの?
……三軍だって役に立てるならいい。
そう、思っていた。
…でも、少しずつ黒子の世界が動き出しているのを肌で感じると、焦燥感が胸の内を焼いた。
私は一人、そのままだと置き去りにされてしまうのではないか?
そうなると、きっとこの世界は私を必要としなくなる。
怖い―
何故だかそう思った。
これ以上、彼らと関わりを持たずに生きても、時間は普通に過ぎ去って行く…筈だ。
それなのに、恐怖感が消えてくれない。
"黒子の世界"に必要とされない事で、私はこの世界から消滅してしまう様な気がした。
黒子君は一人、欲しい小説があると言って本屋の前で別れた。
私はぼうっと黒子君の後ろ姿を見送った。
「行こうぜ。ん…? どうしたんだ、おめー…?」
青峰君に頭を軽く小突かれた。
私は我に返り、不安感を誤魔化す様にへらりと笑った。
※※※
次の日、三軍のキャプテンから呼び出されて告げられた。
「苗字、今度の南原中との練習試合は、お前が帯同してくれ」
『はい、キャプテン』
私は試合の帯同するのは初めてだ。
だが、審判のサインも覚えたし、ルールもスコア付けとかの要領ももう分かっている。
それで特に心配とかはしていなかったが、私はある事をすっかり失念していた。
ここは必勝を旨とする、"帝光中学校"なのだ。
『一軍の…同伴選手ですか…!?』
確かに原作にはそんな記述はあった!
でも、それは二軍の練習試合だけだと勝手に思い込んでいた。
まさか三軍の試合にまで一軍選手を入れるとは。
それも今回はよりによって…
「今回の帯同は苗字か。…よろしく頼むのだよ」
「名前チャンかー。三軍マネにも可愛いのがいるんだなァ♪ ヨロシクーw」
灰崎君とは初対面だが、馴れ馴れしく私の肩を抱き寄せて来る。
それを緑間君が振り払い、私の腕を掴んで引き寄せた。
「灰崎っ!! 部活中にふしだらな事はするな!!」
「シンタローだって名前チャン抱き締めてんじゃねー? ずりぃぜお前だけ」
「なっ!? お前が馴れ馴れしく苗字に触るからだろう!」
灰崎君は緑間君が怒っているのを鼻で笑った。
「まぁ、そんなに怒んなよ。女に触りたくなんのは男としては正常だろー? …で、こいつはシンタローの女?」
「なっ…!?」
『はぁ!? 違うわよ!!』
「何だー、俺は人のモン奪うのが趣味なのになぁ…残念w」
『悪趣味ね!!』
人のってのは何だ!? 大体、私は誰のモノでもない。
灰崎君は、ぺろりと舌を出して自らの唇を舐め、爬虫類の様な視線を私に寄越した。
私は、ぞっとして緑間君に身体を摺り寄せる。
「…っ!! 苗字…」
緑間君の抱く腕の力が、心なしか強くなった様な気がした。
彼に守られている様な安心感を得た私は、灰崎君にピッと指先を突き付ける。
『これ以上セクハラしたら、に、虹村先輩に言いつけてやるわよ!』
「おめー…マジでイヤな所突いてくんな…!」
灰崎君の顔が露骨に引き攣った。
「わーったよ、真面目にやりゃーいいんだろ!?」
「…はぁ。分かれば良いのだよ」
「チッ! ならシンタローはいいのかよ?」
『…何が?』
私が本気で意味が分からず、キョトンと聞き返す。
「そ・れ・だ・よ!! 目一杯おめーに触ってんだろ!?」
灰崎君の突っ込みで、私は緑間君に抱き締められている状態なのを改めて自覚した。
でも全然イヤじゃない。
むしろその反対で、包まれている安心感と、密着して伝わって来る体温にドキドキしている。
私は身体に回された緑間君の片腕に手を掛け、灰崎君に反撃した。
『緑間君はセクハラしないもん! 嫌な人が触ったらセクハラだけど!』
「へぇ、じゃあシンタローにされるのはイヤじゃねーんだァ?」
何だか灰崎君が言うと、無駄にいやらしい。
『そ、そりゃ…緑間君は良い人だし!』
「羨ましいねぇ、よっ色男!」
灰崎君はニヤニヤし始めた。
「灰崎…いい加減にするのだよ!」
「おやおや? お堅いシンタローちゃんも結局は普通の男だったんだねぇw」
「な、何の事なのだよ!?」
「隠さなくっても良いぜ? 可愛いじゃねーの、真っ赤になっちゃってーw」
『…へ?』
私は後ろを振り向こうとしたが、緑間君に頭を押さえ付けられて頭を動かす事が出来ない。
『ちょっと! 緑間君、首痛いから放してっ!』
「お前も、一々灰崎の言う事を真に受けるな!!」
灰崎君は気が済んだのか、ゲラゲラ笑って去って行った。
この面子で練習試合するのか…
私はげんなりして溜息を吐いた。
不良の灰崎君と真面目な緑間君を組ませた意図は分からないでもないけど。
私は漸く解放され、緑間君の顔を見上げた。
…一瞬、緑間君と視線が交わる。
「……っ!!」
彼の赤くなった頬を見た私は、恥ずかしくなり俯いた。
相乗効果で心臓が高鳴り、私まで頬が熱くなってしまう。
「苗字」
…ん?
一転して真面目な声に戻った緑間君を不思議に思い、顔を上げた。
彼は私を気がかりそうに見ていた。
「…灰崎は…女絡みで今までも色々とトラブルを起こしている。くれぐれも気を付けるのだよ」
『…あ、うん』
心配してくれているのかな?
やっぱり、緑間君は優しい。
※※※
練習試合が始まった。
始めは三軍だけの選手で戦っていたが、どうにも旗色が悪く、徐々に差を付けられていた。
コーチが立ち上がり、灰崎君に声をかける。
選手交代して灰崎君が入ったら、みるみるうちに点差が縮まった。
しかし、途中からまた風向きが変わった。
灰崎君を強敵と見た相手校にマークされ、当りがきつくなって行く。
ただでさえ短気な灰崎君が、苛々していくのが分かる。
そろそろキレる頃合いと見たコーチが選手交代を告げた。
「緑間、行け」
「はい」
緑間君にボールが渡り、彼は素早く3Pシュートを放つ。
それは高々と美しい軌道を描き、リングに吸い込まれた。それは芸術にも似て。
『…うっわ…!』
まだ彼は異能に目覚める前だったが、その片鱗は確かに見せていた。
正確無比な3Pシュートが立て続けに決まり、逆転をして更に点差が開いて行く。
私は実際に緑間君の3Pシュートを見るのは初めてだった。
…これが…コートレンジ全てからの高弾道スリーに育って行くのか。
彼の打ったスリーは確実に決まる。
それが故に、彼にボールが渡ると、私はワクワクして目が離せなくなる。
私は何時しか彼の放つシュートに魅了されていた。
交代して出て来た灰崎君が私の隣に腰かけた。
私はドリンクとタオルを渡す。
私は試合を観ながらスコアを書き込んでいく。
不意に肩を掴まれ、私は驚いて隣の灰崎君に目をやった。
『な、何!?』
「選手を癒すのも、マネージャーの役目じゃね?」
私はコーチに目線で助けを求めたが、コーチは試合の方に視線を向けていて、こちらには気付いてくれない。
他の控えの選手達は灰崎君が怖いらしく、見て見ぬ振りを決め込んでいた。
『イヤ! 放して』
「冷てー事言わねーでよぉ。俺と付き合えばイイ事してやるからよ…」
『今、試合中よ!』
「皆試合に気を取られていて、誰も俺達の事なんて見てねーよ」
『やっ…!』
灰崎君は、私の耳元に息をふぅっと吹きかけ、耳たぶをちろりと舐め上げた。
私は、おぞましい感覚に涙目になり身を震わせる。
その時、コート上の緑間君と一瞬視線が合った。
彼は私達を見ると鋭く目を細め、手に持ったボールを高々と放った。
そのボールは大きくゴールを外れ―
ドゴッ!!「んがっ!!?」
私に迫っていた灰崎君の頭に見事直撃した。
レフェリータイムを取り、気絶した灰崎君は保健室に運ばれた。
「苗字、大丈夫だったか!?」
緑間君は駆け付けて、震える私の手を取った。
私の手は、彼の手の温かさに徐々に落ち着きを取り戻した。
『……大丈夫。助けてくれてありがとう』
「フン、別に助けたつもりはない。偶々外れ玉がアイツに当たっただけなのだよ」
『ふふっ。それでも私は助かったから。ありがとう』
絶対に外れないシュートを撃つ彼が、平然と"外れ玉"と口にするなんて。
私が安心して笑うと、彼もフッと口許を緩めた。
「無事ならいい。前も言ったが、灰崎には一人の時は近寄るな」
『…そうする』
「これ以上、俺に外れ玉を撃たせるな」
『……すみません。心しておきます』
結果、帝光中学校は大差を付けて、試合に勝利した。