If-帝光編(一年)


片翼のプリモ


「次、スリーメン!」
「はいっ!!」

選手達が激しい練習を続けている。
でも、それは私にとって、いつもの見慣れた光景ではなかった。

一軍の選手達の数は、三軍よりもずっと少なく、精度が桁違いに高い。
それはまるで、完成された精密機械の動きにも似ていた。

「おらぁ! そこ、足をもたつかせるな!!」

『…凄い』
私は記録を手伝いながらも呆然と呟いた。
「苗字さん、それが終わったら倉庫からビブスを取って来て。
それからドリンク作りを手伝って」
『はいっ!』

私も三軍にいた時以上に忙殺されていた。
休憩になり、私達はタオルとドリンクを選手達に配った。
私の手持ちは最後の一つになり、まだ手渡されてない選手を目で探す。

『…あ、緑間君! 』
私は彼に駆け寄ろうとしたが、ひょいと横からドリンクを掻っ攫われた。
「へへ、もーらい♪」
『…灰崎君』
「緑間じゃなくて悪かったなァw」

微妙にイラつく私を見た彼は、何故か嬉しそうだ。
こいつはきっと、人のそんな顔を見るのが好きなんだろう。
そう思うと喜ばせるのもシャクなので、私は軽く眉を顰めた後に表情を消した。
緑間君の方は、他のマネージャーからドリンクを受け取っていた。

突然、灰崎君の頭上から拳骨が落とされた。
「おい灰崎! てめーは碌に練習してねーくせに、一人でドリンク二本もガメてんじゃねーぞコラ!!」
「いだだ! いだだだっっ!!!」
「おめーはグランド十周!! 罰としてドリンクは没収だ!」

虹村先輩は容赦なく灰崎君をグランドに追い出した。
灰崎君は渋々走り出す。

『あの先輩!、すみませんでした。灰崎君が二本持っていたとは気付かず…』
私が謝ると、虹村先輩は私の頭をポンポンと軽く叩いた。
「おめーは来たばっかだし、女子マネにはヤツは少々荷が重過ぎるからな。何かあったら俺に言え」

虹村先輩は、選手だけじゃなくて、マネにも気を配ってくれてるみたいだ。


紫原君がひょこっとやって来て両手を出した。

「綽名ち〜ん、一軍昇格おめでとー。これからよろしく〜」
『…ありがとう、紫原君。…で、その手は何かな…?』
「勿論、昇格祝いに作って来たんでしょ〜? ケーキに決まってんじゃん!」

いやいやいや、何を言っているのかな〜?

『ケーキって、何で私が?』
「だって、引っ越し祝いは引っ越した方が近所に配るよねー?」
『…確かに場所は第四体育館から移ったけどさ…』

引っ越しって言うのかそれ!?

青峰君がいきなり闖入して来た。
腕を私の肩に置き、体重をかけてくる。…あの、重いんですけど!?

「そうそう、一軍に入った新入りは、全員にケーキを配る決まりなんだぜ♪ てな訳で名前、俺にも持って来いよ!」
『うわぁw 便乗来たー!? な訳あるかっ!!!』
「どーしても全員に無理なら、俺と紫原だけで許してやっからよw」
「ケーキ、ケーキ!!♪」

その時、静かな声が割り込み、二人はピタリと黙った。
「嘘はいけないな、青峰、紫原。苗字さんが困っているだろう?」
『あ、赤司君!?』
「すまなかったね、二人が」
『…いえ、大丈夫です。ありがとうございます』

私がそこから退散しようとした時、私は赤司君に腕を軽く捕まえられ、引き止められる。

「苗字さん」
『…はい?』

彼は私をじっと見て、そっと顔を近付けて囁いた。

「合宿の時のデザート、うちのシェフに作らせたんだけど、君のと同じ味にはならないんだ。
良かったらレシピを教えてくれるかな?」
『は、はぁ。良いですよ』
「なんなら、直接家に来てくれても構わないよ?」
『…はぁ!?』
「うちのシェフに直接教えてくれても」

…何を言い出すんだと思ったら…そう言う意味か。…吃驚した。

彼は首を傾げ、私を覗き込んだ。
「どうしたの?」
『ああ…はい、なら明日レシピ書いて来ます』
「ありがとう。宜しく」

「君のお味噌汁が飲みたい」的なニュアンスかと思ってしまった。紛らわしい…
何にせよ、デザートは好評だったみたいで良かった。

ふと視線を感じて、顔を上げたら緑間君と目が合った。
彼はついと目を逸らし、淡々と練習を続ける。

「ねえ名前ちゃん」

私が振り向くと、さつきちゃんが含み笑いをしていた。

「名前ちゃん、赤司君と仲が良いんだね!」
『ちょっと話してただけだって』

私が軽く笑って否定すると、さつきちゃんは小走りに走って来て、私に耳打ちする。

「みどりんがね、ずうっと名前ちゃんを見ていたよ?」
『…え?』
「時々手を止めてチラッとだけどね。
みどりんも、名前ちゃんと話したいんじゃないかなぁ?」

彼女の言葉が気になって、私は緑間君を盗み見た。
彼はドリンクを一口飲み、目を閉じたまま動かなかった。
それから休憩時間が終わるまで、彼と目が合う事は無かった。

私は先輩マネージャーから洗濯の手伝いを頼まれ、一旦体育館を離れた。
洗濯から戻った私を緑間君が呼び止める。

「苗字、テーピングを頼みたいのだが」
『いいよ。テープは…』
「あ、私持ってるからやってあげるよ!」

その時、居合せた先輩マネージャーが入って来たので、私は一歩下がった。
私は別の先輩に用事を頼まれたので、そこを離れた。


「ようし、今日はここまで!」

コーチの一言で、練習の終わりは告げられた。
これから残って練習するか帰るかは、各自の判断に委ねられる。

私は緑間君に話しかけようと近付いた。
が、その直前、青峰君にガシリと腕を掴まれ、強引に向きを変えさせられた。

「じゃあ、行くぜ!!」
『ちょ、どこに!?』
「あ? どこにって…第四体育館に決まってんだろ。テツが待ってんぜ!」

青峰君はニヤリと笑うと、私を第一体育館から引っ張り出した。


「苗字さん、青峰君!!」

私達が第四体育館に入ると、黒子君は嬉しそうに駆け寄って来た。
「おぅ、テツ。練習始めっか」
「…? 苗字さん」

黒子君は軽く首を傾げると、私の顔を覗き込んだ。

『な、何?』
「…何だか元気がないです」

彼の言葉に、私はぎょっとした。

『…えー? ああ、慣れなかったから、ちょっとだけ疲れたかも?』
「おめー、選手じゃねーだろ?」
『青峰君、気疲れって言葉、知ってます?』
「アレか、ベンキョーで頭を使うと寝てしまうってヤツか」

青峰君のアホ発言に、黒子君は表情も変えずに一刀両断した。

「全然違います。…やっぱり一軍は大変ですか?」
『そうだね。でも初めての私に皆親切に教えてくれたから。少しずつ慣らしていくよ』

黒子君はにこりと笑って、ボールを手に取った。

「…苗字さんに先を越されましたが、僕も負けてはいられませんね」
『ふふっ、待ってるからね!』

※※※

「名前、来週、相田さんの所の予約するの?」
『うん、お願い』
「…名前は、まだ三軍なのね?」

私は母の言葉に黙って頷いた。
一軍への配置換えの事は、まだ母には内緒にしていた。
余計な期待は持たせたく無いし、自分の恋愛の相手は自分で決めたい。

私は朝食を取りながら、ボーっとおは朝を見ていた。
…今日の蟹座のラッキーアイテムは楽譜か。
お告げは"足りないものを知る"か…意味が分からない。

支度をしながら楽譜を手に取る。それは、以前帝光祭で弾いた連弾用の楽譜だった。

それを必死で弾いていた時は、私は三軍だった。
今は一軍に入って距離的には近くなった筈だけど、その時よりも今の方が緑間君を遠くに感じる。
それを手にした時、何故か手放し難くなり、そのまま鞄に入れて家を出た。


久し振りに、昼休みに音楽室に行った。理由は…何となく。
おは朝のラッキーアイテムのせいかもしれない。

一時期は二人で弾いていたけど、今はまた一人に戻っている。
その時と違うのは、今持っている楽譜は二人用のだと言う事。

…一人で弾いていた時は、まだ寂しく思った事なんて無かったのに。

私はそっと溜息を吐き、楽譜を据えて弾き出した。

私が弾いているのは、以前と同じ高音のパート。
隣で緑間君が弾いている時の事を思い出し、頭の中で彼のセコンドの音の記憶を呼び起こす。
その記憶の音色を頼りに、私は連弾のつもりで弾いていく。

…あの時は…色々と困ったり、振り回されたり…逃げたり追いかけられたり…

くるくると巡る記憶は苦くも甘く鮮やかで。…何だかんだ言っても楽しかった。

でも合わせている筈の音は今は無く、自分の音だけが響いているのが空虚に聞こえ、私はとうとう手を途中で止めてしまった。

私はピアノに突っ伏し、頭を抱えた。
今の私の心境を表す様に、濁った和音が冷え冷えとした音楽室に響き渡る。
その時に別の音もしたが、大きなピアノの音に掻き消されて聞こえなかった。

…駄目だ。これはやっぱり一人では弾けない。

私が声無き声で呻いた時、不意に私の頭に手が置かれた。
突然の温かで優しい感触に、私の心臓は音を立てて跳ねた。

「…全く苗字は馬鹿なのだよ。連弾曲を弾きたいなら俺を呼べ。それは二人で弾くものなのだよ」
『……っ!?』

私が慌てて顔を上げたら、同じ楽譜を抱えた緑間君が後ろに立っていた。


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