If-帝光編(一年)


step up!


緑間君は、私の左隣に腰をかけた。
彼の存在に、私は心が浮き立つのを感じた。

「行くぞ」

彼の声を合図に、指が自然に滑り出す。二人の音が絡み合う。

ああ、これだ。
私はこれを求めていたんだ。

彼の低音パートは柔らかく、力強かった。
私は寄り添う様に、両手で和音を鳴らす。

まるで文化祭の時に戻ったみたい…
二人の音は調和し、美しい旋律になり流れて連なる。…楽しい。

「フッ…」

彼の微かな笑い声が届き、私は目を細めた。
緑間君も楽しんでくれてるなら良いな…

『あっ…!?』

私の気持ちとは裏腹に、指が上手く動かなくてミスタッチをしてしまった。
優美に流れていた曲が突然止まってしまい、緑間君が軽く眉を顰める。

「…どうした? 苗字…?」
『ごめん。指が…上手く動かなくて…』
「貸してみろ」

彼は私の手を取った。
伝わる温かさに、私の胸はドキドキと甘く高鳴り出す。

「…指が冷えているのだよ。ここは寒いから弾いている内に指が悴んでしまったのだろう」

彼は立ち上がり暖房を点け、再び座ると私の両手を包み込んだ。

『…っ、あの』
「指が凍えては動かないのも道理なのだよ。…こうして温める方が早い」
『……』

彼の美しい白い指は、其々に私の指を包み、彼の体温を直に伝えて来た。
私の指の冷えは彼の温かさで徐々に和らぎ、互いに溶け合っていく。

私は顔を上げて緑間君を見た。
彼は長い睫毛を伏せていたが、ゆっくりと目を開き、私に視線を合わせた。

「……苗字」
『な、何?』
「お前は何故…一軍入りを承諾した?」
『…え?』

私は彼の質問の意図を図りかねて目を見開く。
彼は噛んで含める様に、ゆっくりと繰り返した。

「お前は、赤司との付き合いを強制させる母親に対抗して三軍に留まると言っていた。
なのに、今になって赤司の勧誘に応じたのは何故だ?
…赤司に直接勧誘されたら、気持ちが変わったのか?」
『…緑間君…?』

彼は逃すまいとする様に私の手をギュッと掴み、鋭い瞳で私の顔を覗き込んだ。
同時に指先に軽い痛みが走り、私は思わず顔を顰める。

『…別に赤司君の勧誘で気持ちが変わった訳じゃない。私は…色々考えて、一軍に入る事にしたのよ』
「その…"色々"が聞きたいのだよ」

彼の追及に、私は溜息を吐いた。
これから変わる諸々を見届ける為とは、口が裂けても言えない。でも何も言わない訳にもいかない。
私は考えつつ、口を開いた。

『…本当は…最近まで一軍に来る気は無かった。
赤司君の勧誘で気が変わった訳じゃないけど、考える切っ掛けにはなったと思う。
このままで自分は本当に良いのか? って。
がむしゃらに頑張っている黒子君、楽しそうにバスケをする青峰君、そして…人事を尽くす緑間君の美しいシュート』

私は彼の翡翠色の瞳を静かに見返し、微笑んだ。

『それらは、どんな言葉より雄弁な説得力があったと思う。
私はそれらに魅せられて…少しでも力になりたくて、貴方達の傍に行きたいって思ったから』
「…苗字」

緑間君は、ほんのりほほを染め、目を伏せた。

それに、と続けて私は悪戯っぽく笑った。

『母にはね、実は一軍入りした事を伝えてないんだ』
「なっ…!?」
『当分はね。余計な期待をさせるのも面倒だし。無理って言っても聞いてくれやしないんだもの』
「…成程な。苗字が、その様に考えた末の結論なら、俺も歓迎してやらない事もないのだよ」
『…良かった』

彼の訝し気な瞳に、私は言葉を続けた。

『…私、緑間君に一軍入りした事を、あまり良く思われて無い気がしたから』
「否定はせん。…赤司目当てなのかもしれんと思ったのだよ」
『そこまで私…身の程知らずじゃないつもりだよ?』

「…お前は自身を低く評価し過ぎなのだよ。
俺は…お前が少しずつ苦手を克服し続けるのを見て来た。その努力は評価に値するものだ。
その努力の結果、赤司を認めさせる事が出来るなら、或はと言う事があるやもしれん」

『……それは…あの…緑間君には認めてもらっていると解釈しても良いのでしょうか…?』
「そう言っているつもりだが?」
『…ありがとう。…嬉しい』

赤司君への可能性を示唆されたよりも、緑間君が私の努力を認めてくれているのが嬉しかった。

そう言えば…

私は気になる事があり、彼にチラリと視線を走らせる。

私の指は十分に温まっていたが、まだ彼の手に包まれていた。
心地良いけど…一体いつまでこのままなんだろう…?
私は躊躇いがちに口火を切った。

『…あの』
「何だ?」
『指、そろそろ温まったと思うのだけど?』
「…そう、だな。だがもう遅い」
『……は?』

彼は私の手を離した。
私は離れて行く熱を名残惜しく感じた。

「この曲は全部弾くのに五分程度かかる。予鈴まであと3分程しかないのだよ」
『ええっ…!?』

まさかの時間切れである。
がっかりする私に、彼はテープを寄越した。

「苗字、俺の指にテーピングを頼むのだよ」
『……分かった』

私は彼の左指に丁寧にテープを巻いて行く。
これも、日向先輩に散々練習台になって貰った成果だ。

触れる指先の彼の熱に、私は平静を保つので精一杯だ。

テープを巻き終わると同時に予鈴が鳴り響いた。
彼は、私が返そうとしたテープを両手で包み握り込ませた。

『緑間君、これ…?』
「俺専用のテープなのだよ。部活中は常に携帯しておけ」
『…っ!?』
「連弾は次に持ち越しだ。弾きたい時は何時でも連絡しろ」

彼と至近で目を合わせ、手を触れ合わせると、身体の奥底から痺れる様な甘い感覚が沸き起こる。
…これはもう、どんなに否定してもしきれるものじゃない。

…私はきっと、彼に恋している―


「そろそろ授業が始まる。行くぞ苗字」

彼は、さっさと楽譜とピアノを片付けて暖房を切り、私に背を向けた。

私がそんな気持ちだなんて、彼は夢にも思わないだろう。
彼は私と触れても、動揺もせず憎らしい位に平然としているのだから。

私は切なく溜息を一つ零し、片付けをして音楽室を出た。
鍵を返すからと緑間君と別れ、振り切る様に廊下を速足で歩き出す。

そんな私の後ろ姿を緑間君が揺れる瞳で見詰め、独り言ちている事には気付かずに。

「…蟹座のラッキーアイテムは楽譜、足りないものを知る、か。…全く、おは朝の威力は大したものなのだよ」

※※※

「名前ーーーっ!!」

次の日の休み時間、青峰君が飛び込んで来るなり、私に体当たりして羽交い絞めにする。

『ぎゃっ! く、苦しい…っ!! 離してよ!!』
「やったぜー!!」

周囲はいきなりの闖入者に騒めき、遠巻きに引きながら見ていた。
つか重えよ!!! 全身の体重かけて来るな!!!

『だから何が!?』
「行くぞ!名前!!」
『だからどこへ!??』

私は否応無しに青峰君に引き摺られ、教室を引っ張り出された。
そのままズルズルと私の肩をホールドしたまま彼は歩き出す。

『どこに行くの!?』
「あ? テツのクラスに決まってんだろ」
『何で!?』

私の質問に、彼は顔を顰めて足を止める。

「何でって…おめーはテツが一軍昇格テストに合格した祝いはしねーのか?」

『黒子、昇格テストしたの!?? しかも合格!?? 初耳なんですけど!!!』
「おう。テツが赤司に言って、二軍と三軍の合同試合形式でやったらしいぜ」
『何それ、見たかったー!』

ちょっと一軍に来るの、早まったかも…?

『それを早く言え!!!』
「…あ? 言ってなかったか?」
『ねーよ!! つか放せ!!』

私は首に回された彼の腕を軽く叩いた。
ホールドから解放された私は青峰君と一緒に、半ば駆け足になり黒子君の教室に飛び込む。

「おーい、テツいるかー!?」
「青峰君と苗字さん…!」
『やっほー! 黒子、昇格オメ!』

私が黒子君の傍に駆け寄ると、後ろから強い衝撃で突き飛ばされ、黒子君にもろに体当たりしてしまった。

『ちょっとー!? 青みn…っ!!』
「うわっ!?」

青峰君は強引に、私の後ろから私ごと黒子君まで羽交い絞めにした。

「これでテツと一緒にバスケ出来んな!! 俺は、おめーがやれるヤツだって知ってたぜ…!」
「 青峰君、僕はまだ…っ苗字さん大丈夫ですか!?」
『いや、あまり大丈夫じゃない…』

私は黒子君と青峰君に挟まれて、潰されかけて息も絶え絶えだ。
青峰君は勢いを付けた上に、容赦なく全体重をかけて来る。

「青峰君、苗字さんが…」
「ん? おめーいたのか? ちっこいから分からなかったぜw!」

胸も薄いしな! と、失礼な事を言ってゲラゲラ笑い、青峰君は更にぎゅうぎゅうと締め付けて来る。
その態度に軽くキレた私は、肘で後ろにド突いてやった。

「ぐは…っ!!」

やっと青峰君が離れてくれて、私は身体を黒子君から離した。
青峰君は鳩尾を抑えて涙目で私を睨んでいる。

…やってしまった。

私はそろりと青峰君から距離を取る。

「てめー…!」
『やべ…っ!』

私と青峰君は黒子君を中心軸に、ぐるぐると追いかけっこを始めた。

「ちょ、青峰君! 苗字さんも落ち着いてください!」
「痛てーんだよっ!! チビ女!!」
『きゃああっ!! ガングロ怖い!!』
「誰がガングロだコラ!」

俊敏な青峰君に敵う筈が無く、私はすぐに彼に捕えられる。
黒子君が宥めるも効果無く、私は青峰君に腕を掴まれて、壁に押し付けられた。

『……っ!!』

私はギュッと目を瞑って身体を固くした。
彼に掴まれている腕に更に力が加わったが、それ以上は何も起こらなかった。

『……?』

私は恐る恐る目を開け彼を見た。
青峰君は私を真剣な瞳で、じっと見下ろしている。

「…名前…」

私を呼ぶ彼の低く掠れた声に、一瞬ドキリとした。
どうしたんだろう? いつもの彼と様子が違う。

『…青峰君?』

私は小首を傾げて彼を見上げる。
青峰君と私は見つめ合ったまま固まってしまった。

何これ…? 一体どうしたら良いの…?

私が内心で途方に暮れてた時、横から控え目な声が聞こえた。

「あの青峰君…ここでそれは止めた方が良いと思います」

……は? 何の事?

黒子君が青峰君の脇腹を軽く突いていた。

「…名前っ!!!? 悪りっ!!」

青峰君は顔を真っ赤にすると、私の腕を離して飛び退いた。

今のは一体…何だったんだ…?
ただじゃれて悪ふざけしていた筈だったのに、何か変な雰囲気になった様な…

私の思考を黒子君の声が断ち切った。

「お二人共、折角来ていただいたのにすみませんが、テストしただけで結果はまだ出ていません」
『「…は!?」』

私と青峰君は、キョトンと互いの顔を見交わした。


『どーなってんのよ、青峰君!?』

青峰君は口を尖らせて反論する。

「だーってよー、職員室で監督とコーチが話しているのが聞こえちまったんだよ。テツの一軍入りは間違いねーぜ!」
『フライングかよ。つか、何でアンタ職員室にいたの!?』
「数学の時間に寝てて呼び出されてよ…って、細けーこたぁどーでも良いんだよ。善は急げだぜ!」

青峰君はニヤリと笑い、拳を突き出した。
「てな訳でよ、これからも頑張ろーな、テツ!」

私も同じ様に拳を突き出す。
『黒子、また一緒に宜しくね!』

黒子君は苦笑した。
「これでテスト失格してたら、締まらないですよ?」

「赤司の言う条件はクリアしたんだろ? なら大丈夫だぜ」
『黒子は一軍に上がれるよ』
「…お二人共、心強い言葉をありがとうございます」

彼は私達と両手で拳を合わせた。

放課後の部活時に、黒子君の一軍昇格が正式に通達された。


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