Hold me!
あの後、私と緑間君は互いの顔を見る事も無く、最低限のぎこちない会話だけして別れた。
私の心臓は未だに激しい動悸が止まらない。
席に戻って、思い出すだけで顔が火照ってくる。
(…行くな)
彼の声を頭の中で反芻する度に、震える様な羞恥心が湧き上がって来た。
…あれって…まさか…いやいやでもそんな…
でも、そうとしか思えないし…
そんな意味の無い言葉を内心で呟き、私は頭を抱えた。
「どうしたんスか? 具合でも悪いんスか?」
隣の席から声が聞こえ、私はゆっくりと顔を上げた。
黄瀬君は私の真っ赤な顔を暫く凝視し、得心した様に頷く。
「…誰かに告られたか迫られでもしたんスね」
経験豊富な男はこれだからイヤだよ。
しっかりと言い切られ、しかもそれが図星と来たもんだ。
『べっ…別に告られても迫られてもいないけど!』
「でも近い事はあったんスね?」
彼の鋭い洞察に、私は渋々頷くしかなかった。
黄瀬君は明らかに面白がっている。
「で、何されたんスか?」
『…黄瀬君はさ、モテるから経験あると思うけど…二人から同時に好意を示された時はどうしてる?』
「それは、その二人のどちらかに自分の好意があるか無いかで変わるっスね。モテ期到来っスか?」
モテ期…なんだろうか? 心臓に悪いんだけど。
『…恋愛までは行かないけど、好意は両方にある。特に片方は強い…かな。でも今は受けていられる状況じゃないって言うか』
別に告られた訳じゃ無いし、と私が続ける。
黄瀬君は少し身を乗り出して声を潜めた。
「それは…微妙な所っスね。その二人はお互いに知った仲っスよね?」
私は無言で頷く。
「その片方の好意を受けるなら、もう一方への下手な同情は逆に命取りになるっスよ。
よく考えて自分の好きな方を決めるっス。又は両方とも受けない手もありっスけど」
確かに…恋愛事として進めるなら、黄瀬君の言う通りだ。
もし片方を選んだら、もう片方は選べない。
そうなったら、どうしても片方を傷付けざるを得ない。これには出来るだけの誠意を持って対応するしかない。
しかし彼等は大人っぽいけど、まだ中学一年生。
いくら私の経験が乏しいとは言え、恋愛相手にするには若過ぎる。
それに、これからの彼等に、何か良くない事が起こるのが既に分かっている。
もし恋愛事まで絡ませたら、更に事態が混乱するかもしれない。
『…両方とも受けられない、か…』
今はまだ、始まったばかり。
少なくとも事態を見極めるまでは、私は今のままでいる事にした。
もし実際に告られたなら、それはその時に考える。
その為には、出来るだけ自分の気持ちをコントロールしなければ。
私は秘かに決意すると、溜息を吐いて教科書を引き出した。
※※※
-緑間side-
(…行くな)
青峰を追おうとした苗字を思わず捕まえて、気が付いたら口走っていた。
俺は一体…どうしてしまったのだろう?
あの時…青峰を追いかける彼女の背を見たくなくて、自分一人置き去りにされるのが堪らなく嫌で…我慢出来なかった。
苗字を腕の中に閉じ込めた時、俺に伝わる彼女の鼓動と体温を離し難いと思ってしまった。
あの感情の制御の出来ない高ぶりは何だったのだろうか。
あの後、恥ずかしくて彼女の表情を見る事が出来なかったが、苗字の赤く染まった耳を見た時には不思議な満足感を覚えた。
…そうだ、俺だけがこの様に感情をかき乱されるなど不公平なのだよ。
しかし放課後の部活中に、苗字は俺と目を合わせようとはしなかった。
俺も正面から彼女を見る勇気は出なかったが、その態度には少なからず苛立ってしまう。
「次、クォーターダッシュ20回!」
俺は次々と練習メニューを熟して行く。
黒子はまた倒れていた。それを目敏く見付けた苗字は慌てて黒子に駆け寄って行く。
…本当に黒子は赤司の言う通りの見込みはあるのか?
俺は不愉快になり、思わずその光景を睨み付けてしまった。
-名前side-
放課後の部活で会う事は分かっていたが、どうにもやり辛くて私は困惑していた。
兎に角、意識を作業に集中させて、余計な事は考えない様にした。
緑間君も青峰君にも気拙くて目を合わせられない。
休憩時間になり、私は選手達にドリンクを配る。
「名前、くれ」
青峰君がすぐ後ろから声をかけて来た。
私はビクリと身体を揺らし、努めて平静を保ちながらドリンクを手渡す。
青峰君は私の手をぐいと引っ張った。
『…っ、青峰君!?』
「名前、さっきは悪ぃ事しちまったなって…手、大丈夫か?」
『ああ、うん。今はもう痛くないし』
「ホントか? 見せてみろ」
青峰君は私の手を取り、慎重に裏表返しながらまじまじと見た。
痣とか痕とか残って無いのに安心した彼は漸く破顔した。
「手、小っせえ…まぁ大丈夫みてーだな。それにしてもおめー、手荒れてんな…」
『好きで荒らしてないし! それに時々クリーム塗ってるもん』
「さつきも冬になったら手荒れるとか言ってた。何か塗ってるみたいだから何が効くのか聞くと良いぜ」
青峰君は、ざらざらと楽しそうに私の手を撫で続けている。
その撫で方、微妙に乙女心が傷付く。
『…あの』
私が手をいつ引っ込めたら良いのか見計らっていたら、控え目な声が私を呼んだ。
「苗字さん、こちらにもお願いします」
声の主は黒子君だった。
彼は私が近寄ると、小声で私に耳打ちした。
「…緑間君にも持って行ってあげてください」
さっきから青峰君と僕を睨んでいて怖いです、と彼は付け加えた。
黒子は鋭いね、と私は苦笑し頷いた。
緑間君に持って行くと、彼は受け取りざまに「苗字」と呼んだ。
私は彼の顔を見上げる。緑間君は片手で眼鏡のブリッジを上げた。
「練習が終わったら、テーピングを頼みたいのだよ」
それは一見変わりない、いつもの彼だった。
私はホッとして微笑み頷いた。
部活が終わり、私は約束通りに着替えた緑間君の元に駆け寄る。
まだ体育館では練習している部員達がちらほらいるので、私と彼は片隅にパイプ椅子を寄せて座った。
私はそのまま懐から彼専用のテープを取り出し、彼の指に巻き始めた。
その時、彼が頼りなげな声で呟いた。
「…さっきの事だが、苗字は…怒っているか?」
『さっきの…? 昼休みの事?』
「ああ」
『別に…怒ってはいないけど驚いたよ』
「……そうか。不快感を与えたなら謝る」
『不快って訳じゃ…吃驚はしたけど』
これってどう返せば良いのかな?
不快感否定するって、まるでその反対って言ってるみたいで…うっかりすると変な誤解を与えそうだ。
「…苗字、俺は」
彼が途中で言い澱んだのが気になり、私は顔を上げて彼を見た。
緑間君は至近距離で正面から私の顔を覗き込む。
彼の瞳は戸惑いに揺れていた。
『緑間君…?』
「何故だかお前が、他の…特に男と楽しそうにしているのを見るのが苦痛なのだよ。
他のヤツが同じ様にしてても何も思わないのに、苗字だけが。
そんな時はイラついて、己の感情が制御出来なくなる…この場合、どうしたら良いのだろうか?」
彼はあくまでも真顔で私に相談している。
マジかよ、と私は内心で呻いた。
それって、完全に告っているのと同じじゃないか。本当に気付いてないのか…?
彼は恋愛事に疎いとは知っていたけど、自覚無しにも程がある。
それは嫉妬ですよ、とも言えずに私は口篭ってしまう。
彼は頭良いし、恋愛の事も勿論知識にある筈だが、その知識と今の自分の感情が結びつかないのだろうか?
…もしかしたら、自分だけは恋愛事は埒外と思い込んでいるのかもしれない。
『…どうしたらって…他の事に目を向ける、とか?』
「他の事など目を向ける処か、逆に全て頭から吹っ飛んでしまうのだよ」
もう勘弁してください。彼の天然っぷりに私の許容量はパンクしそうです…!
私は内心で悶え、頬に熱が集まって来るのを自覚した。
中学生なのに天然自覚無しのタラシなんて、先行きが楽しm…いや、恐ろしい。
私は堪えながらも何とか彼の指のテーピングを終わらせた。
「苗字」
『は、はいっ!?』
緑間君は私に更に顔を近付け、額に手を当てた。
「…顔が赤いが、熱は無い様だな。保健室に行くか?」
彼の鈍感っぷりに、私はあえなく撃沈した。
※※※
次の日の昼休み
私はいつも一緒に食べているグループに断りを入れ、お弁当を持って席を立った。
「苗字!」
「名前!」
同時に異なる呼び方で呼ばれて教室の入口に目をやると、緑間君と青峰君が立っていた。
「「迎えに来」たのだよ/てやったぜ!」
私は慌てて駆け寄った。
『え?わざわざ? ありがとう二人とも』
その瞬間、私は二人に挟まれて両腕を同時にホールドされた。
『いやいや、私は逃げも隠れもしないから…!』
二人は私の頭上で睨み合った。
「…青峰、苗字の腕を離すのだよ」
「おめーこそ離せよ。何馴れ馴れしく掴んでんだ?」
『私を挟んでケンカしないでよ。やるんなら他所でやって!』
私は緑間君のジャケットの胸ポケットから、銀色の鎖と輪が覗いているのに気が付いた。
『緑間君、それは何?』
緑間君はそれを取り出して掲げた。
「お前は…おは朝をチェックしてないのだな。勿論、蟹座のラッキーアイテムなのだよ」
『それ…手錠、だよね…?』
「丁度いいのだよ」
『…?』
ガチャリ
緑間君は彼自身の右手首と、ホールドした私の左手首を手錠で繋いだ。
『……は!?』
「これで逃げられまい」
「緑間!? ちょ、待て!? てめー何やってんだ!?」
私が慌てて手錠の付いてる手首を振るが、ガチャガチャ鳴るだけで外れなかった。
「おめー、いくら何でもやり過ぎだろ!!」
『犯罪者扱い…!?』
「心配無い。食堂に着いたら外してやるのだよ」
…背の高い二人に挟まれて右腕は青峰君に捕えられ、左手首は緑間君に手錠で繋がれた私は、
廊下で出会う生徒達に怪訝な顔をされ、遠巻きにヒソヒソ囁かれた。
『…あの、意味も無く外聞が悪過ぎる真似は止めてくれませんかね?』
…覚えてろよ、二人共。
「苗字さん?」
控え目な声に首を巡らすと、黒子君がドン引いていた。
「また貴女は何をやらかしたんですか?」
『まだ何もやってねーわ!! 決め付け酷っ!!」
「貴女には前科があります」
『前科言うな』
「あーテツ、丁度いいから一緒に行こうぜ」
「今そう言おうと思ってましたけど…何ですか、この彼女の強制連行は?」
青峰君は苦笑いして肩を竦めた。
「蟹座のラッキーアイテムだとよ」
「…え?」
食堂に着き、二人は赤司君達を見付けて、私と黒子君を引っ立て…もとい、連れて行った。
「やあ、待ってたよ」
赤司君はにこやかに挨拶をしてくれたが、手錠を見て不思議そうに首を傾げた。
紫原君は我関せずで食べ出してる。
『もう着いたでしょ? いい加減に外してよ!』
緑間君は、ポケットをまさぐっていたが、諦めた様に軽くため息を吐いた。
「…鍵を教室に置き忘れて来たのだよ」
マジかよ。
脱力した私は、椅子にへたり込んだ。