変容する世界
「ね、ねぇ名前ちゃん! 黒子君って凄いんだね…!!」
女子更衣室で顔を合わせるなり、さつきちゃんは興奮気味に話し出した。
『うん。見たの、初めてだっけ?』
「昨日の練習試合、凄く恰好良かったー! あ、でも選手としてだからね? 別に好きになった訳じゃないから…っ!」
『うんうん。あれで意外とギャップあるよねー』
さつきちゃんは今まで黒子君の事は良く分かってなく、仲は特に良くもなければ悪くもなかった。
…これがもしかして恋愛の第一歩になるのだろうか?
体育館に出たら、黄瀬君は早速黒子君にべったり懐き、"黒子っち"を連発していた。
素直過ぎる反応に、傍から見ていても苦笑いが零れてしまう。
練習が終わった時、私は黄瀬君から声をかけられた。
「あ、綽名っち! 帰りコンビニでアイス食ってかねーっスか?」
私は嬉しいお誘いに頷きを返そうとして、はたと思いだして首を振る。
『あーっと…行きたいのは山々だけど、今日は予定があるから無理ね』
「そうっスか…残念っス」
『また誘って?』
「勿論っス!」
生憎今日は、帰りに相田スポーツジムに寄る事になっていた。
…私も皆と一緒に行きたかったなぁ…
私は一つ溜息を吐いて、一人歩き出した。
※※※
-緑間side-
俺は黄瀬の誘いを断り着替えた後、赤司と話しながら校内を歩いていた。
部内の気になる事を一通り話し終えて、別れ際に赤司は俺を引き止めた。
「ああ緑間、俺も一つ気になる事があるんだが」
「何なのだよ?」
「…苗字の事だ」
いきなりの振りに、俺の心臓はどきりと跳ねた。
俺は動揺を隠す為に眼鏡を直す振りをするが、指先が小刻みに震えて眼鏡が小さい音を立てた。
「…っ、苗字が…どうかしたのか?」
「緑間は苗字の事が…その、異性として好きなのか?」
「なっ…!?」
俺は驚いて大声を出してしまった。
何故赤司が、そんな事を気にするのだよ?
俺は心臓を落ち着かせ、何とか平静な口調で取り繕った。
「その様な事…考えた事もないのだよ」
「…本当に?」
その時、赤司の片方の瞳が金色に揺らいだ様に見えた。…まるで…全てを見透かしてしまうかの様に。
「確かに苗字とは仲良くしている。だがこれは…男女の友情の延長線でしかないのだよ」
俺はそう言ったが、赤司は納得しなかった。
「緑間。帝光は恋愛も男女交際も禁じてはいない。このバスケ部内でもだ。
だが、その付き合いが部の人間関係に、悪い影響を及ぼされてしまうのでは困る」
「赤司…」
「正直、俺も彼女の事は意外と気に入っている。…でもまだ異性としてと言い切れる程、確信がある訳じゃない」
赤司は俺をゆっくりと見上げ、緩く微笑んだ。
「だから俺も、彼女に辞められたくはないんだ」
俺は顔を顰めた。
「それは…牽制、と取っていいのか?」
「そこまでのつもりはないが、そう聞こえたかい?」
俺は、これ以上赤司相手に何か言うと、墓穴を掘るだけにしかなりそうにないと思って、口を閉ざした。
自分でも、薄々この感情が何であるか気付きつつある。
が、それを認めてしまうのが怖い、と思って敢えて考えない様にしていた。
それを認めてしまうと、俺が俺じゃなくなってしまう様な、そんな気がした―
※※※
-名前side-
黄瀬君と青峰君に紫原君と黒子君と桃井さん。
彼等が楽しそうに帰る後ろ姿を、私は何となく見送った。
…そう、これが本来の有り得るべき姿。
私は所詮異分子に過ぎない。
私は彼等の笑い声を振り切る様に、別方向に足を進めた。
少し歩いていたら、後ろから軽く走って来る足音が聞こえた。
「苗字!」
その声の持ち主で、すぐに誰かが分かり、私は振り向く。
『緑間君?』
「送って行く」
私は首を傾げて彼に問う。
『何で…? 青峰君達と一緒に行かなくて良いの?』
「お前に聞きたい事があるのだよ」
わざわざ何だろう? 学校でも話す機会はいくらでもあるのに、と不思議に思い、私は彼を見上げた。
「クラスでも部活でも周りに人が多いから、立ち入った話は出来ないからな」
『立ち入った話って何?』
緑間君は、私の目を暫く見つめていたが、やがて決心したかの様に話し出した。
「…苗字は、まだ親に一軍入りの事は伝えてないのか?」
何で彼はそんな事を訊くのだろう?
『うん。一軍になるまでジム通いしろと言われてるから、今日もジムに寄らなきゃ。だから残念だけど、黄瀬君達の誘いは断っちゃった』
「何故だ!?」
『何故って…以前言ったよね? 親に変な期待を持たせたくないって』
その後の緑間君の台詞に、私は頭が真っ白になった。
「お前は…赤司の何が不満なのだよ?」
『…は? えっ!? 緑間君…??』
一体この人は何を言っているの!?
「こんな事を言うのは非常に不本意で業腹だが、俺にとっての赤司は、一度たりとも勝てた事が無い唯一の相手なのだよ」
いやいやいや、その話の流れは可笑しいだろ!??
『赤司君に不満なんてある訳ないじゃん!』
「なら何故だ? お前は一軍のマネージャーとして良くやっている。親に内緒にする意味など、もう無くなっていると俺は思うが」
『緑間君。それ知られたら、今度は赤司君にまで迷惑かけてしまうよ。
私も親にあれこれ言われるの嫌だし、部活の妨げになるかもしれないじゃない。勿論赤司君がそれを許す筈もないけど』
「…なら、もし赤司側がそれを受け入れたら…とは考えないのか?」
私は口を開けたまま、固まってしまった。
「お前は赤司の事を、そう考えた事はないのか?」
『ちょ、ちょっと待って…!?』
私は彼の詰問に頭を混乱させながら、何とか状況を理解しようと立ち止まった。
ええと…彼は私が赤司君を好きかと聞いて…いるんだよね? 何故だかは分からないけど。
兎に角…答えればいいのか?
私は額に手を当てた。
『そんな事考えた事もないよ。親の妄想なんて付き合ってられないし、第一赤司君と私とじゃ、家も人も吊り合わないって』
「吊り合い云々の前に、男としてどうか? と聞いているのだよ!」
『何でそんな事を訊くの? 何と言うか…緑間君らしくないよ?』
彼は目を見開いた後、顔を軽く顰め、自嘲気味に呟いた。
「…そう、だな。確かに…あまりこの様な話は俺にそぐわないな」
彼が何故か傷付いている様に思え、私は眉尻を下げて口を開いた。
『あの…確かに赤司君は、全て完璧で魅力的な人だとは思うよ? …でも今はそれだけだよ』
「……そうか。変な事を訊いて悪かった」
緑間君は目を伏せ軽く息を吐き出し、私を促して再び歩き出した。
※※※
「テツくーーーん!!!」
次の日、ハートマークを沢山飛ばしながら、さつきちゃんは黒子君に抱き付いていた。
アイスの当り棒、昨日だったんだね…
私が一人納得しながら頷いていると、緑間君が私に聞いて来た。
「桃井は…一体どうしてしまったんだ?」
傍に居た黄瀬君が解説する。
「緑間っち…見た通りっスよ。桃っち、黒子っちに惚れてしまったんス」
「惚れ…!?」
「そう、loveっス!!」
「そう…なのか?」
緑間君は何を思ったのか、私にまで確認して来る。
私も黄瀬君に同調して頷いた。
『うん。…あれはどう見てもloveでしょ』
緑間君は深い緑色の瞳で、私をじっと見た。
意味が分からない私は、軽く首を傾げてその瞳を見上げた。
「…苗字も、その…惚れた相手がいたら、ああなるのか…?」
へ…?
私は目が点になり、固まった。
「人によって色々っスよ!? 誰もがああなるとは限らないっス!」
と黄瀬君が慌てた様にフォローしてくれた。
…緑間君が変だ。
確か…原作では、アレは気にも止めていなかった筈…
何かが変わって来ている、と思った。
※※※
-緑間side-
練習と片付けを終え、着替えた俺はミーティングルームに向かった。
赤司に頼まれて、代わりに部誌を顧問に提出しなければならないからだ。
確か今日の当番は苗字だった筈だ。
「苗字、終わったか?」
部屋に踏み入れたと同時に足が止まる。
苗字は開いた部誌に顔を伏せて眠っていた。
「…苗字!」
俺は彼女に近寄り、起こそうと軽く肩を掴んで揺さぶった。
「起きるのだよ! こんな所で寝るな! 風邪ひくぞ!?」
『…んっ…』
俺は苗字の上体を無理に掴んで起こしたが、眠ったまま彼女は横に身体を倒し、椅子から落ちそうになる。
俺は慌てて彼女の身体を抱き止めた。
彼女は、どんなに揺さぶっても起きる気配すら無かった。
どれだけ深く眠っているのだよ?
彼女は無防備に俺に身体を預け、気持ち良さそうに眠っている。
…疲れて…いるのだな。
俺はそっと息を吐き、彼女の髪に指先を滑らせた。
柔らかく、小さく華奢で…甘い匂いのする身体。
触れていると、心臓が甘く高鳴ってくる。
俺は我慢が出来なくなり、壊れ物を扱う様に、そっと抱きしめた。
愛おしい気持ちが溢れ、胸が苦しくなる。
(人によって色々っスよ)
先程の黄瀬の言葉と桃井の姿を思い出し、独り言ちた。
…そうか。俺は…苗字の事が……
自覚してしまったら、もう後戻りは出来ない。
でも、そんな事はどうでも良くなる位に、俺は一時の甘い陶酔に浸っていた。
……!?
俺の腕の中で眠っている彼女の腕が、いつの間にか俺の背に周り、ギュッと服を掴んだ。
俺の心臓が勢い良く跳ねる。
「…苗字…?」
俺は起こしたかと彼女の顔を覗き見るが、彼女は変わらずに深く眠っていた。
抱き締めているだけだったのに…これではまるで、逆に抱き締められているみたいなのだよ。
俺は堪らなくなり、彼女に惹き寄せられる様に顔を近付けた。
あとほんの少しで唇同士が触れそうになる。
不意に軽くドアを叩く音で我に返った。と同時にドアが開けられる。
「緑間、真田コーチがまだ…」
赤司は俺と彼女を認めて足を止めた。
-苗字side-
温かくてとても気持ち良い感触に包まれて、私は深く眠っていたが、激しく揺さぶられて嫌々目を覚ました。
『……!?』
ぼんやりと辺りを見回す。…ここはミーティングルームの中だ。
そうだ、確か私は部誌を付けていて、終わる頃に寝てしまった筈。
でもそれなら、この状況は何なの?
私が目を覚ましたのは誰かの腕の中。
ぼうっと顔を上げたら、緑間君の秀麗な顔が至近距離で目に入り、私の意識は急速に覚醒した。
『み、緑間君…!?』
そして緑間君の肩越しには、赤司君が腕を組んで仁王立ちしていた。
赤司君の表情はあくまでも穏やかだ。でも、それが反って怖い。
「まだコーチから部誌が出てないと聞いて来た。終わったのかい?」
『ご、ご免なさい! 書き終わって確認してて…寝落ちしちゃったみたいで…!』
「で、これはどう言う状況か説明してくれるかな? 緑間」
緑間君は、あたふたと私から腕を外し身体を離した。
「苗字が寝惚けて椅子から落ちそうだったのを、支えてただけなのだよ…!!」
そ、そうだったのか。
私は恥ずかしいやら申し訳ないやらで、穴があったら入りたい気持ちだった。
『ゴメン! 緑間君にも迷惑かけちゃったね』
「…女性たるもの、迂闊に場所を弁えず寝るのはどうかと思うのだよ…!」
「そうだね。今度から気を付けて。これは俺から先生に渡しておくよ」
『す、すみません…』
私がチラリと緑間君に目をやった。
彼は私と目が合った途端に、パッと顔を背けてしまった。
……ああ、やらかしてしまった…
私は落ち込んで深く溜息を吐いた。