If-帝光編(二年)


キセキと勉強会


『…何だか天気が崩れそうだな…』

私は空を見上げて呟いた。
空は鈍色にどんよりと曇り、湿った風が吹いている。今にでも雨が降って来そうだ。

私は鞄を漁ったが、目当ての物を入れ忘れてしまった事に気付いた。

『…!? 折り畳み傘、乾かして畳んで…机の上に放置したままだ…!』

やばい。でも、もうすぐ約束の時間になる。取りに戻ったのではとても間に合わない。
私は一旦軽く頭を振ると、予報では曇り時々雨の天気が着くまでに保つ様にと願いながら足を速めた。

ぽつ…

私の頬を水滴が滑り落ちた。
掌を上に向けると、数滴の雫を受け止めた。本格的に降って来た!

私は濡れるのを覚悟で走り出した。
雨脚はどんどんと強まり、私は全身がずぶ濡れになった。
衣服が水を吸って手足に纏い付き重くなる。

待ち合わせの駅前広場では、緑間君が既にいた。
傘を差した緑間君は私の声に振り向き― ぎょっとした様に目を見開き顔を赤らめた。

「苗字っ!? …まさか、その様な姿で今まで来たのか!??」
いきなり大声で怒鳴られ、私は訳が分からず自分の身体を見下ろした。

『……げ!?』

濡れた衣服は身体に貼り付き、肌と下着が透けていた。
緑間君は上着を脱いで、そっぽを向きながら私の頭に被せた。

「羽織れ。…少々大きいだろうが、無いよりはマシなのだよ」
『…でも、あの…これまで濡れちゃうよ?』
「あとで乾かせば問題ない。その姿を晒す方が余程問題なのだよ!」

私は礼を言って上着を羽織った。
ぶかぶかの上着を羽織ると、緑間君の匂いがふわりと私を包み込む。
彼の上着は袖が長く、指先まで隠れてしまう。

…緑間君、やっぱり身体が大きくて手足が長いんだなぁ。
分かってはいたけど、自分の身体との違いにドキドキする。

緑間君は傘を私に傾け、早く歩く様に促した。

今日は連休の一日目、赤司君の家で二年のレギュラー陣とマネージャーで勉強会を開く事になっていた。
でもレギュラーの内灰崎君は欠席、新井さん菊地さんは其々の用事で不参加らしい。

私はジムに行ってからの参加なので、一人遅くに合流する事になっていた。
赤司君の家には行った事がないので、緑間君が途中まで迎えに来てくれたのだ。

『今日はマネージャーは桃井さんと私?』
「桃井は青峰の言に寄ると体調不良で不参加だ」
『ええっ!? 大丈夫なの?』
「風邪だそうだ。軽いが咳が止まらないから移さない様にと欠席してる」

風が強まり急速に体温が奪われる。私はぶるりと震え、上着の前を合わせた。

「着いたぞ」

緑間君と共に私は足を止めた。
眼前に聳える厳めしさの中に優美さを兼ね備えた門を見上げる。
都心の高級住宅街の一角を占める広い庭の向こうに、壮麗な洋館が建っていた。

『話には聞いていたけど、やっぱり大きいね』

緑間君はインターホンを押し、来訪を告げる。
ゆっくりと音を立てて門が開いて行く。

私と緑間君は門を潜り、屋敷に向かった。
雨は更に強まっていた。

出迎えてくれた赤司君は、緑間君の上着を着た私を見て目を丸くした。

「雨に濡れたのだよ」
「そのままでは身体が冷える。シャワーを浴びて来るといい」

緑間君の説明に頷き、赤司君はお風呂まで案内してくれた。
温かいお湯を浴びて、思ったより身体が冷えていたのに気付く。
脱衣所に用意された服を着て、メイドさんの案内で部屋に辿り着いた。

「皆様はこちらです」

ドアを開けると、キセキ達の視線が一斉に集中した。

「あ、綽名ちんだー」
「綽名っち、それ似合ってるっス!」
「苗字さん、こんにちは」
「……」
「やあ。身体は温まったかい?」
「名前おめー、いつの間に赤司ん家のメイドになったんだよ?www」

青峰君の揶揄に赤司君は苦笑する。

「家は男所帯なものでね。俺の服よりはマシだろうと持って来させたんだが。
君の服を今洗濯している。乾くまでは、それで我慢してくれ」

私は礼を言って、示された席に着き、勉強道具を出し始めた。

「今回特に勉強が必要なのは、青峰と黄瀬だ。特に青峰、赤点追試は許さないからしっかり勉強しろ」

赤司君の宣言に青峰君はうへぇと首を竦める。

「黒子は心配ないだろう。俺、緑間、苗字、紫原は上位だから交代で付く。
紫原は物理、緑間は生物と化学、黒子は現国と古文、苗字は歴史と地理、俺は英語と数学だ」

既に私が来る前に彼等は勉強を始めてたから、私も一緒にノートを開く。
緑間君がボードに図を描いて説明する。

「細胞の作りはこうだ。細胞膜は細胞質を包み込み、細胞質の中にあるのが核。
単細胞生物と多細胞生物とがあるが、単細胞生物とはアメーバ、ゾウリムシ…」

…ゾウリムシ。

私は、かつて緑間君と初対面した時の事を思い出し、顔を引き攣らせた。

「どうした? 苗字」
『…緑間君、ペイズリーとゾウリムシの違いを述べよ!』
「あの時の事は…っ、悪かったのだよ…!」

赤司君は不思議そうな顔をした。
「あの時って?」
「過去の事なのだよ!」

黄瀬君が苦笑いして軽く突っ込んだ。

「…まさか緑間っち、ペイズリーをそんな風に言ってたんスか?」
「何か美味そうな名前だなそれ」
「峰ちん〜それはぺストリー」
「お、良く分かったな紫原w」
「ペイズリーとゾウリムシ…形状は確かに似てるかもしれませんが…身に着けてる女性に言ったとしたら、デリカシー無いですよね」

容赦の無い黒子君の発言に、緑間君は苦虫を噛み潰した様に顔を顰めた。
「…デリカシーが無くて悪かったな」

…自分の発言が切っ掛けとは言え、集中砲火を食らってる緑間君が少し気の毒になった。

緑間君は溜息を吐くと、続きを始めた。

「…続けるぞ。単細胞生物の例だが、アメーバ、…ゾウリムシ、ミドリムシ…」

青峰君は"ミドリムシ"と言う単語がツボに入ったらしい。

「み、緑間がミドリムシって…くっそウケるwwwブプッww」
「青峰っち、それ言っちゃ駄目っスよww」
「黄瀬、おめーも笑ってんじゃねーかよwww」
「お前等は〜〜っ!!!」

紫原君は、ぼーっとお菓子を食べていたが、手を止めてボソッと進言する。

「駄目だよミドチン。峰ちんに合わせて、もっと分り易く説明しなきゃ〜」
「これ以上、どう分り易くすると言うのだよ!?」
「峰ちん、俺、並列回路と直列回路、どう説明したっけ〜?」

紫原君の質問に、青峰君は事も無げに答えた。

「ああ、あの…直列回路は一人のおっぱいが並んでいる様なもので、並列回路は二人以上のおっぱいが…」
「紫原っ!! 一体どんな例えで教えているのだよ!!??」
「だーって、峰ちんには、そっちの方が分かり易いじゃん? 赤ちんも、ちゃんと覚えるのが肝要だって言ってたしー」

……これって、私…ここに居て良いのかな?

赤司君は超然と知らんふりしているし、黒子君は困った様な顔をしているし、黄瀬君は苦笑してるし、緑間君は何故か私を見て真っ赤になっているし。

「でも緑間のその絵…見ようによっては、おっぱいに見えねー事もねーよなw」
「まん丸の形が紛らわしいんスよ!」
「なっ…!??」
「あ〜あ、峰ちんがそんな事言うから、ミドチン消しちゃったじゃん」
「破廉恥なのだよ!!!」
「描いたのミドチンー」

緑間君は、今度は角の丸い長方形の図面を描き出した。
それを見た青峰君は詰まらなそうに鼻を鳴らす。

全く…何しに来ているんだ…?

女子がいるから、気まずくなるのかもしれない。
肝心なのは、青峰君と黄瀬君がテストをクリアする事だ。
私は彼等に助け舟を出そうと思った。

『青峰君が分かり易く、だね?
なら、単細胞生物はオスメス無しで分裂して殖えるおっぱいの無い生き物、多細胞生物はおっぱいのある生き物、と言い換えた方が良いんじゃないかな?』

私の言葉に、青峰君ははたと膝を打った。

「成程な…! それなら分り易いぜ!! 名前は良い先生になれるぜ」
『いやあそれほどでもw』
「その説明は不完全だ苗字。木や虫も多細胞生物に含まれるのだよ!」

「それ、真面目に突っ込んじゃ駄目っス! 綽名っちは女子なんスから、無理して俺達に付き合わなくても良いんスよ?」
『えー、だってー…青峰語に翻訳してみただけだよ?』
「青峰語っスか…w」

「峰ちん語の辞書って、もしあったら"おっぱい"しか載ってないよね〜」
『すごいボキャ貧辞書…ああでも、グラドルとバスケ位は付け足してあげてw』
「1ページで終わりそうな辞書ですね」
「それ、既に辞書とは言わないっス。単なるペラ紙っス…」

「てめーら…っ!! 何笑ってんだよテツ!? 赤司まで後ろ向いて肩震わせてんじゃねーーーっ!!!」
「俺は漫才をしに来た訳ではないのだよ! 真面目に聴け!!」

外は風雨が強まり、窓枠がガタガタと音を立てて揺れた。
不意に部屋のドアがノックされ、執事らしき人が入って来た。

「征十郎様とご学友の方々、お勉強中失礼いたします」

少し緊張した様子で赤司君と小声でやり取りしていたが、執事さんが一礼して出て行った。
赤司君は一旦勉強を止めさせると、全員に告げた。

「これから更に天気が荒れるそうだ。今日帰るのは危険だから、不都合が無ければ家で一泊する事を薦めるよ」

全員が顔を見合わせた。

「俺は別に構わないっスよ」
「特に用はねーけど…これからもずっと勉強かよ…」
「僕も泊まりで不都合は無いです」
「別に良いよ〜お菓子があるなら〜」
「俺も泊まりで構わないのだよ」

赤司君は私を見た。ひやりと背が撫でられた様な気がした。

「苗字は?」
『…私も…明日は特に用とかは無いので、大丈夫です』

言いながら私は内心で首を傾げる。家に連絡さえすれば…大丈夫、だよ…ね?

赤司君は全員を見渡して頷いた。
「では客用寝室を用意させる。後で案内するから勉強を続けてくれ」

※※※

夕食後、私が歴史・地理の勉強を見ている時、赤司君のお父さんが帰宅した。
赤司君は私達に断りを入れ、一旦席を外した。

お風呂は順番に入る事になっていて、緑間君もその時は席を外していた。

…何だか、さっきからやけに頭が重い。

「苗字さん、顔色が悪いです」
「確かに。疲れているんじゃないっスか?」
「綽名ちん、まいう棒食べる〜?」

「一休みしようぜ。…俺も疲れたー」

青峰君はクッションを枕代わりにし、ごろりとカーペットの上に横になった。

『青峰君、行儀悪いよ?』
「名前、おめーもここで横になれよ。少しは楽になれるんじゃねーの?」
「俺も少しだけ…休みたいっス。食事以外の時間は、ずっと勉強してたっスからね」

「ふわぁ…俺も寝る〜」

紫原君も巨体をカーペットの上に横たえる。

「まだ赤司君と緑間君が戻って来るまでかかると思います。10分位の休憩なら大丈夫じゃないでしょうか?」
『…そうだね、10分位休んで、また続きしようか』

正直、私はかなり身体が辛かったので、薦められるままに青峰君の横で身体を伸ばした。
頭が重くて少し寒気がする。…やはり雨に濡れたのがいけなかったのかな?

目を閉じると、クラクラと酩酊したかの様に意識が沈んでいった。


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