嵐の夜に
-緑間side-
風呂から出て戻ったら、赤司を除く全員が倒れて眠っていた。
俺は部屋を見渡すなり、眉間に皺を寄せ顔を顰めた。
黒子は椅子の上で丸くなり、黄瀬はソファーの上で反っくり返っていた。
そして紫原と青峰に挟まれる態で、苗字が眠っていた。
青峰の頭は苗字の肩に、片腕を苗字の腹の上に乗せていた。
俺はそれを見て、カッと頭に血が上り、つかつかと歩み寄る。
「苗字、起きろ。こんな所で寝るな!」
彼女は軽く呻いたが、身体を起こすのが出来ない様だった。
俺は青峰の頭と身体を押し退け、苗字の肩を揺すった。
その時、手に伝わった熱が普段よりかなり高い事に気が付き、俺は息を飲んだ。
やはり雨に打たれて熱を出してしまったか。
「…苗字?」
彼女は目を開け、辛そうに身体を起こした。
熱のせいか、瞳が潤んでいる。
「大丈夫か? 赤司が用意した、お前用の寝室に案内してやるから今日は早めに休め」
『緑間君…ありがとう』
彼女に背を向けた途端、電気が消えて部屋の中が真っ暗になった。
雷が時々鳴っていたから、送電線にでも落ちて停電したのだろう。
『あっ!?』
背後で彼女の小さな悲鳴と、ガタッと何かがぶつかる音がした。
「苗字!?」
『…大丈夫。いきなり暗くなったから、驚いて椅子に足をぶつけただけ』
俺は手探りで彼女を探し当てると、苗字の手を握った。
小さくて華奢な女性の手は、俺の手の中にすっぽりと入った。
握った瞬間、彼女の手がびくりと震えた。
その時、俺の中で庇護欲が頭をもたげた。…苗字を守らなければ。
「暗いからな。足下に気を付けるのだよ」
彼女に直接触れる、またとない口実が出来た。
俺は内心で暗闇に感謝しつつ、平静を装ってゆっくりと歩き出した。
俺は暗闇の中で彼女の手を取り、携帯のディスプレイの灯りを先に向けながら歩いていた。
部屋はそれなりに広く、調度品を入れても広さに余裕があった。
しかし六人分の鞄や荷物やらが所々に散らばり、一時的に乱雑になっているから足下に注意する必要がある。
荷物は避けて歩いていたつもりだが、ドアの入口の微かな段差で彼女は足を躓かせた。
俺は慌てて彼女を支える。
熱のせいか…思ったより、ふらついている。
このまま苗字に廊下を歩かせるのは得策じゃないと思い、俺は彼女に開いたままの携帯を押し付けた。
「持ってろ。落とすなよ」
『…え?』
俺は彼女の膝の裏と背を掬い上げ、横抱きに抱えて歩き出した。
『ちょ…!?』
「携帯で先を照らしてろ。暗くて見えん』
『大丈夫だから下ろして…!』
「何が大丈夫なのだよ? 熱でふらふらして躓かれる位なら、こっちの方が手っ取り早いのだよ」
俺は彼女を強引に抱き上げながら、このままどこかへ連れ去りたい衝動に駆られた。
その甘やかな誘惑に耐える為に、つい軽い憎まれ口を叩いてしまう。
闇の中では、熱に染まった俺の頬を隠してくれるから、俺も大胆になれるのかもしれない。
彼女を腕に抱いている事を自覚すればする程、心拍が早まって行く。
苗字には、激しく打ち付ける俺の鼓動が伝わっているだろうか?
暫く歩くと、ゲストルームに着いた。
俺は抱えたままの彼女にドアレバーを下げさせ中に入る。
そのまま彼女を奥に設えてあるベッドまで運んで行った。
あとほんの数歩までベッドに近付いた時、不意にディスプレイの光が消え、俺は彼女を抱えたまま何かに足を取られた。
「……っ!??」
俺は前のめりに倒れ、上半身が柔らかい物に乗っている事に気付く。
瞬間、落ちた雷が室内を青白い光で満たした。
※※※
-名前side-
暗闇の中で、私は柔らかな寝台に投げ出され、同時に大きくて温かいものが圧し掛かるのを感じた。
起こされて、緑間君に運ばれながらも、私はまだ夢見心地でぼうっとしていた。
闇に包まれた豪奢なお屋敷の中で、緑間君に抱き上げられているなんて、あまりにも現実離れしたシチュエーションだ。
私は熱に浮かされ、半ば意識が朦朧としていた。
柔らかな寝台の上に、もつれ込む様に倒された一瞬、青白い光に照らされた彼に私は息を飲んだ。
それは思った以上に近い。彼の翡翠色の眼差しは私の心を鋭く射抜く。
私は非現実的なまでの彼の美しさに魅せられ、思わず抱き締めてしまった。
現実感が一時的に欠落して、いつもより大胆になっている。
「苗字…」
緑間君に耳元で優しく囁かれ、私の身体に腕が回されて、ギュッと抱き締められた。
…ああ、やはりこれは都合の良い夢だ。きっと私の願望が見せた束の間の―…
心地良い体温に全身を包まれ、私は夢か現か判断が付かないままに、再び意識を闇に沈めた。
※※※
ふと目覚めると、見慣れない瀟洒な天井が目に入る。
辺りはまだ暗く、頭の重さは綺麗に消え失せていた。
気が付いたら、私の左手は何かを掴んでいた。
その温かな感触に私は視線をやり、暗い室内で浮かび上がるそれに驚いて起き上った。
…まさか!?
緑間君は右手を私に掴まれたまま、ベッドに寄りかかって眠っていた。
彼の眼鏡は外してベッドサイドテーブルに置いてある。
『み、緑間君っ!?』
……ああ、やってしまった、と私は頭を抱えた。
昨夜私をここに運んでくれた時、私はそのまま彼の手を離さなかったので、やむなくここで彼は一夜を過ごす破目になったのだろう。
一緒のベッドで寝たりしないのが、真面目で堅い彼らしいと思った。
私は彼を起こそうと、肩に手をかけ覗き込んだ。
電気が停電から回復したらしく、フットライトが淡い光で彼を照らしていた。
長い睫毛が伏せられ、美しく整った彼の顔は、まるで
私は思わず、声をかけるのも忘れて見入ってしまった。
…眼鏡をかけてない彼の寝顔だなんてレア過ぎる。
ずっとそのまま見ていたかったが、何もかけないのでは風邪をひくかもしれない。
私は身体を起こし、ベッドから毛布を引っ張り出した。
彼をそのままベッドの上に引き上げたかったが、私一人の力では無理だ。
良く眠っていて起こすのも忍びないので、せめて毛布くらいはかけてあげないと。
私はベッドから降りて、彼の横で屈み、上から包み込む様に毛布をかけた。
「…う、ん」
その時、彼は微かに睫毛を震わせて身動ぎした。
『……え、』
彼の身体はズルリと倒れ、気が付いたら私は、凭れて来た緑間君とベッドの横に挟まれて、身動きが出来なくなっていた。
ちょっと待て。…何なんだ? これは!??
お、重い。動けない。
耳元では、すうすうと安らかな彼の寝息が聞こえ、柔らかな緑色の髪が私の頬をくすぐった。
どうすれば良いの!? これ。
彼の重みと体温が直に私に伝わって来る。
私の心臓は痛いぐらいに激しく打ち付け、全身の血が沸騰しそうだ。
うう…このまま眠れ―…る訳ないだろが!
私はそのまま、まんじりとせず夜を過ごした。
※※※
どれだけの時が経ったのだろうか?
気が付いたら、窓の外が明るく白んでいた。
…もう―朝だ。
「んっ…」
低く甘い、やや掠れた声が耳元に落とされ、私は思わず身体を震わせた。
肩に凭れた彼の頭の重みが動き、軽くなっていくのを感じて、私は慌てて目を閉じる。
彼に寝たふりをしているのを感づかれないかと、心臓がバクバクと打ち付ける。
何故、咄嗟に寝たふりをしてしまったかと言うと、何となく恥ずかしかったからだ。
このままどんな顔をして、彼と目を合わせれば良いのか分からない。
「んなっ…!?」
案の定、驚いた彼の声が近くで聞こえた。
まぁ、そうですよねー、私も驚くわ。
慌てた様に身体から離れた熱を、名残惜しく思う暇も無く、私の身体は宙に浮いた。
『…!??』
そのままふわりとベッドの上に下ろされる。
私は更に寝たふりを続けた。
ぎしり
微かな音を立てて、私の両脇が沈み込んだ。
私の額に彼の前髪が落ちて当たり、息遣いが近くに聞える。
それでも私は動けなかった。
…一体、何がどうなって…?
私は息を詰め、微かに身体を強張らせた。
「…………っ」
頬に柔らかな感触が触れ、すぐに離れた。
…え!??
両脇の沈みが元に戻り、慌ただしくドアの開け閉めした音が聞こえた後、部屋は静寂を取り戻した。
……今のって…まさか…く、唇!?
『〜〜〜っっっ!!!!!』
私はベッドの上で突っ伏し、悶えた。
※※※
-緑間side-
…やってしまった。
俺は苗字をこの部屋に送った後、すぐに退出するつもりだった。
だが、眠ってしまったのに俺の手を離さない彼女に困惑し、無理に外す事も出来ず、ついベッドに凭れて眠ってしまった。
なのに気が付いたら苗字に凭れていたのは、どう言う事なのだよ…?
俺の身体には毛布がかかっていたのは、彼女がやったのだろう。
眠っている苗字を見たら、愛しい気持ちが抑えきれなくなり、俺とした事がキ、キスなどしてしまうとは…!
彼女を守るつもりだったのに…!
逆に寝込みを襲ってしまうとは…我ながら不覚だった。
雷の時…しがみついて来た彼女に、俺の理性の箍が弾け飛んでしまい、思わず抱き締めてしまった。
苗字が正常な状態じゃないから、あの時だけの事なのも分かっている。
しかし今でも俺の腕には、彼女の温もりが残っている…
俺は自分の手を見下ろし、ギュッと握った。
そうすれば、彼女の熱の残滓を留めておける様な気がした。
「緑間」
不意にかけられた声は、俺を物思いから突如、現実に引き戻した。
俺は弾かれた様に顔を上げる。
「赤司…っ!?」
もしかして、苗字の部屋から出て来たのを見られたのだろうか?
俺は平静を装い、表情を読まれまいと眼鏡のブリッジに手をかけた。
そんな俺を見た赤司が口元でフッと笑った。
「苗字の容体はどうだい?」
ああ…やはり赤司は気付いていたのか。
俺は観念すると、深く息を吐き出した。
「…落ち着いた様だ。熱も下がったみたいなのだよ」
「そうか。先程苗字の家に連絡を入れた」
「…なっ…!?」
「容体次第で家の車で送るつもりだ。落ち着いた様なら良かった」
彼女が以前言っていた、親の話が頭を過った。
「苗字が一軍にいる事は言ったのか?」
「ああ、彼女の親は知らなかったみたいだね。俺からの連絡で大層驚いていたな」
赤司はルビー色の瞳を細めて緩く微笑んだ。